| この素晴らしい世界に祝福を! 7 億千万の花嫁 【電子特別版】 | |
| 暁 なつめ | |
この素晴らしい世界に祝福を!7【電子特別版】
億千万の花嫁
暁 なつめ
角川スニーカー文庫
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「貴様というヤツは、貴様というヤツは! 貴様というヤツは、どうしていつもそうなのだ!!」
「お前こそどうしていつもそうなんだよ! 毎度俺ばっか叱りつけやがって、一体何が気に食わねーんだ! お前アレか!? ひょっとして俺に構って欲しいのか? ツンデレなのか? 俺の事が好きならそう言えよ!」
ソファーにうつ伏せで寝転がったまま俺が放ったその言葉に、ダクネスの眉がキリキリと吊り上がる。
「お前みたいなヘタレで童貞の引き籠もりなぞ好きになるわけがあるかっ! 言うに事欠いてバカな事を! 貴様、とっちめてやるっ!」
「や、やめろお! 今、アイリスから預かった指輪を大事に磨いてるとこなんだぞ! 暴れて無くしたらどうしてくれんだよ、これって貴重な物じゃなかったのか!」
ダクネスに襟首を絞め上げられながら、俺は指輪を見せ付け抵抗する。
「貴重な物だからこそ怒っているのだ! アイリス様が肌身離さず大切にしてきた国宝を、貴様の小汚いハンカチで磨くんじゃない!」
「ひ、酷え、今のは俺でも傷付いたぞ!! 確かに安物のハンカチかもしれないが、アイリスの想いが詰まった大事な指輪を、ちゃんと俺なりに手入れしていたのに!」
「ハンカチの値段を言っているのではない、お前はそのハンカチで、たまに鼻をかんでいただろうが! 新品の磨き布を用意してこい!!」
ひとしきり怒鳴ったダクネスは、ようやく俺を解放したかと思うと、疲れた顔でソファーにドッと身を預けた。
「まったく、お前といると本当に疲れる。ようやくこの街に帰ってきたというのに、ちっとも落ち着けないではないか」
「そりゃこっちのセリフだよ。普段は散々手を掛けさせるクセしやがって、たまに真面目な顔して説教しやがる。お前、貴族の端っこにかろうじて引っ掛かってる程度とはいっても、一応はお嬢様の端くれなんだろ? もうちょっとおしとやかさや高貴な令嬢感を醸し出しても罰は当たんないと思うんだよ」
「き、貴族の端っこ!? 王国の懐刀とまで言われたダスティネス家が、貴族の端っこ......! ......この私を相手に、貴族の端っこに引っ掛かっているだのお嬢様の端くれだのと言える男は、世界広しといえどお前くらいのものだろうな」
「おい、褒めるんならもっと分かりやすく褒めたらどうだよ」
「褒めてない」
ソファーに背を預けていたダクネスが、テーブルの上に置かれていた紅茶を啜る。
「......そういえば、お前は昔からそういう男だったな。私が自らの正体を明かした際にも身分ではなく名前の方に興味を示す、変なヤツだった」
「おっ、何だよララティーナ、お前にだけは変なヤツ呼ばわりされたくないぞ。世間知らずのお嬢様で冒険者でドM。どんだけキャラ属性詰め込むつもりだよ欲張り女め」
ダクネスは、啜っていた紅茶をテーブルに置き。
「......やはりお前とは、いつか決着を付けなくてはならないようだ」
「はいはい、いつかまた勝負しましょうねお嬢様」
悔しそうなダクネスを適当にあしらいながら、俺も同じく紅茶を啜る。
「おっ、これ美味いな。お前ってば不器用なクセに紅茶淹れるのだけは上手いよな」
その言葉を聞いたダクネスは、ちょっとだけ機嫌を直し。
「ふふ、料理の味は普通だと言われたが、紅茶に関しては自信があるぞ。美味い紅茶を淹れるコツは、事前にカップを温めておく事、そして最後の一滴まで注ぐ事だ。先ほどからの暴言を謝るのなら、また淹れてやらない事もないぞ?」
「わかったわかった、からかって悪かったよ。お詫びといっちゃなんだが、お前が没落貴族になった際にはメイドとして雇ってやるから」
「没落などしてたまるかっ! ......まったく、お前は本当によく分からん男だ。ヘタレかと思えば勇気ある行動を取る時もある。人助けをする事もあれば、おかしな連中と夜遊びし、あまり褒められない事をしている時もある。一体、どれが本当のお前の姿なのだ?」
「本当の姿も何もあるか。誰だって、機嫌がよけりゃ良い事もするし機嫌が悪けりゃ立ちションくらいするだろ。俺はそんな普通の人だよ。真面目な勇者様じゃなくて悪かったな」
「いいや? 悪くはないさ。むしろ、王子様や勇者様なんかよりも、普通の男の方が好ましいぞ? ......たとえば、お前の様な男とか」
「お、おい、なんだよどういう意味だよ。今のはなんなの? めぐみんといいお前といい、どうしてそうあやふやな言い方するんだよ。もっと童貞にも分かる様ハッキリ言えよ」
俺の言葉に、ダクネスは薄く微笑むと。
「さあ、どういう意味だろうな?」
そう言って、機嫌良さそうに紅茶を啜った。
1
──冒険者ギルドから呼び出しの書状が届いたのは、俺達がアクセルに帰って、しばらく経ったある日の事だった。
「それでは、冒険者サトウカズマさん。今回お呼び立てした件ですが......」
冒険者ギルドのカウンターで、重い袋を抱いたギルド職員のお姉さんが俺に満面の笑みを向け。
「今回は賞金が高額なので支払いが遅れましたが......。こちら、大物賞金首『魔王軍幹部シルビア』の討伐報酬、三億エリスとなります! サトウさんが今までに討伐した魔王軍幹部は、これで四人目ですよ!? サトウさんは、このアクセル冒険者ギルドのエースです! ......さあ、これをどうぞ!」
「「「「「「おおおおおおおお!」」」」」」
その様子を見守っていた冒険者達から歓声が上がる。
俺は外野に向けて余裕の笑みを浮かべながら、ズッシリと重い袋に手を伸ばし。
「おいおい、落ち着けよお前ら。この俺が大物賞金首を仕留めるのは、何も今に始まった話じゃないだろう? まったく、たかが三億エリスくらいで何をそんなに......。......あれっ? お姉さん、もう手を離してくれて大丈夫ですよ。賞金の袋、ちゃんと持ったので落としませんから。あの、ちょっ......! おい、離せ! こらっ、この手を離せ!!」
名残惜しそうに袋から手を離そうとしない職員と揉み合っていると。
「しっかし、カズマんとこのパーティーは魔王軍幹部を四人も倒したのか。最初の頃は、いつ壊滅するのかと心配してたのに、凄え出世をしたもんだなあ」
「だよねだよね、昔はカエルも満足に狩れないパーティーって話だったのに、今じゃカズマくんって、この街有数のお金持ちで成功者だもん。分かんないもんだよね」
ギルド内のそこかしこから、冒険者達のそんな声が聞こえてきた。
「いや、俺は昔から、カズマはやる時はやる男だと思っていたね」
「お前、以前は、いつカズマ達のパーティーが全滅するか賭けようぜって言ってなかったか? ......まあ、それにしても凄えよなあ。カズマは、最弱って言われてた職業、『冒険者』だ。装備だって大した物じゃないってのに、それでも魔王の幹部と渡り合ったってのがなおさら凄えよ」
俺はようやく奪い取った賞金を大切に抱きかかえると、未だあちこちで噂している連中に顔を向ける。
そして......。
「ったく。おいおい、そんな風に俺を煽てたって何もないぞ? ......せいぜいこの店で、一番良い酒を奢るくらいしかなああああああ!」
俺がドヤ顔で放ったその言葉に、ギルドの皆が歓声を上げた。
「うおおおおおお、カズマさんかっけえええええええ!」
「キャーッ! カズマさん素敵、結婚して! そしてあたしを養って!!」
「アクセル一の成り上がり男!」
「さすが、運だけのカズマさん!」
「ハッハッハッ、そんなに褒めてもこれ以上は......。お、おい、今俺の事を、運だけのカズマさんって言ったの誰だよ、運以外にもあるぞ色々と!」
俺がこの地に降りたって、そろそろ一年近くが経っただろうか。
とうとうこの時がやって来た。
そう、俺の時代が。
「──まったく! カズマはまったく!! 帰りが遅いと心配してみたら、私達に内緒で宴会やってるだなんてどういう事なの? 様子を見に来て正解だったわ!」
普段より二割増しで騒がしいギルド内で、対面に座ったアクアが言った。
「こんな時間まで帰らない俺も悪かったけど、俺達のパーティーがギルドに呼び出されるだなんてどうせ悪い事に決まってるって言って、俺一人でギルドに行かせたのはお前だろ。おっ、ほらほら、キンキンに冷えたクリムゾンビアがやってきたぞ。ほれ、まずはグッといっとけ」
頰を膨らませているアクアの前に、自分用に頼んでいたクリムゾンビアをドンと置く。
「ちょっと、お酒さえ飲ませとけば私の機嫌が直ると思ったら大間違いよ? めぐみんなんて五分置きに『まだ帰ってきませんね......』とか言って家の中を熊みたいにウロウロして心配してたし、ダクネスはダクネスで『あの件か? やはりアイリス様は、義賊の正体にお気付きになっていたのか? ああ、どうしよう、どうしたら......』とかぶつぶつ呟いて頭を抱えてたし! ......っぷあー! ねえー、クリムゾンビアーのおかわりちょうだーい!」
テーブルをバシバシ叩いて憤っていたアクアは、冷え冷えビールを一気に飲み干し追加を頼む。
俺の隣でチビチビと酒を舐めていためぐみんが、
「でも、珍しく良い方の呼び出しで安心しましたよ。アクアなんて、良い知らせか悪い知らせかどうかで賭けをしようと、『大変な犯罪をやらかしたカズマが、今頃ギルドで逮捕されてる方に三千エリス』とか言い出して」
おい。
「そして、カズマが大変な事に巻き込まれていたら、逃げられる様荷物をまとめておこうと言い出してな。アクアの足下に置いてあるリュックがその証拠だ」
ダクネスの言葉を聞いた俺は、足下に置かれていた荷物を確認すると、上機嫌でクリムゾンビアのおかわりを受け取るアクアに食って掛かった。
「お前、何が心配しただふざけやがって! このリュックは何だ! おい、そのクリムゾンビアのおかわり寄越せ!」
「嫌よ、自分で新しいのを頼みなさいよ! それに、ちょっぴり心配したのは本当だもの! だってほら、カズマがいなくなったら色々大変だし! たとえば......! たとえばね......。たとえば......? ねえダクネス、この人がいなくなったら私達ってどう困るのかしら」
「てめーふざけんな、普段俺がどんだけお前らのフォローしてると思ってんだ! そろそろ一回シメてやるから、表に出ろこらっ!」
「あっ、どこ引っ張ってんのよあんた! 神器が伸びるじゃない、止めて! 止めて!!」
羽衣を摑んで外に連れ出そうとする俺の手を、アクアがバシバシ叩いて抵抗する。
「まったく。なぜアイリス様は、こんなに騒がしくも落ち着きのない男を気に入ってしまったのか......。まあ、物珍しさが加わっての、一時の気まぐれだと思うのだが......」
アクアの隣で、グラスに注いだワインの香りを楽しみながら、ダクネスが呆れた様に呟いている。
王都では色々あった。
他の冒険者達と共に魔王軍による襲撃を防いだり。
王都を騒がせる賊から、貴族の財産を守ってみたり。
迫り来る国家の危機を、誰にも知られる事なくそっと解決してみたり。
そして何より、この俺にアイリスという可愛い妹が出来たわけで......。
「アイリス、元気にしてるかなあ。夜とか寂しくて泣いてたりしないか心配だな。......そうだ、バニルに頼んで俺そっくりな人形を作ってもらおう。あいつ、夜中に笑うバニル人形が売れ筋だとか言ってたからな。夜中に笑うカズマ人形を作ってもらって、アイリスに送ってやろう。そうすれば夜も寂しくないはずだ」
「おいカズマ、そんな怪しげな物絶対に送るんじゃないぞ! 手紙くらいなら私のツテで届けてやるから、それは止めろ! 下手をすればテロリスト扱いされるからな!?」
2
そんな感じでギルドから賞金を受け取り、一週間が経った。
ここ最近旅に出てばかりだった俺達は、久しぶりにアクセルの街での暮らしを満喫している。
「──おい、この料理を作ったのは誰だ! これを作ったシェフに伝えろ、数多の賞金首を葬り話題沸騰中の冒険者、サトウカズマがお呼びだとな!」
「アークプリーストのアクアさんもお呼びだと伝えてね!」
一気に小金持ちになった俺とアクアは、アクセルの街の飲食店に通い、毎日こうして美食巡りをしていた。
店内の片隅を占領した俺達のもとに、シェフと思われるお兄さんがやってくる。
「ど、どうされましたかお客様、何か不都合がございましたでしょうか?」
いきなり呼び出されたシェフは、どこか怯えた様子でこちらを覗う。
「いや、この料理が美味しかったもので礼が言いたくてね。最近王都で城暮らしをしていた、この俺の舌をうならせるとは大したもんだ」
「あ、ありがとうございます」
戸惑いながらも頭を下げるシェフに、アクアがナプキンで口元を拭いながら。
「このシチューは隠し味にワインを使っているわね? この渋みは赤ワイン。銘柄は......そう、三十年物のロマネコンティニュー。......違うかしら?」
「先ほど買ってきた、特売のお酢を使っております」
「......そう。安物のお酢でこれほどの味を引き出すだなんて見事なものね」
「これはこれは、どうもありがとうございます」
俺達が危害を加えるつもりがないと知り、平常心を取り戻したシェフがアクアに対して頭を下げた。
そんなノリの良いシェフに対し、俺はフォークに刺した食べかけの肉を見せ。
「そのシチューも美味かったが、俺をうならせたのは特にこれだ。この、なんか柔らかいやつ。そう、この味を喩えるなら......。好きな女の子の部屋に忍び込み、ドキドキしながらクローゼットを開けたらミミックだった。それほど強烈な、斜め上のインパクト......。どうだ、分かるかシェフ?」
「さっぱり分かりません」
「そうか。要するに超美味い。冒険者佐藤和真が、この店に星三つをやろう」
「私もこのお店に星三つをあげるわ」
「ありがとうございます。次は星四つを頂ける様精進いたします」
そう言って朗らかな笑みを浮かべるシェフに、俺は数枚のエリス札を手渡した。
「はは、言うじゃないか! 美味しかった、また来るよ。......これは美味い食事の礼だ、釣りはチップとして取っておくといい。ごちそうさま」
「ごちそうさまー!」
「お会計丁度でございますが、またのお越しをお待ちしております。ありがとうございました」
最後までノリの良いシェフに見送られ、俺とアクアは店を出た。
──シルビアの賞金を受け取り小金持ちになってからというもの、俺達はこうして、日々を贅沢に過ごしていた。
シルビア討伐の三億エリスは四人で山分けし、そして俺に至っては、バニルとの取引により大金を貰う事になっている。
それだけあれば、多少贅沢な暮らしをしても余生を働かずに暮らしていける。
勝ち組だ。
苦労ばかりしてきた俺も、とうとう勝ち組冒険者の仲間入りを果たしたのだ。
俺とアクアは膨れたお腹をさすりながら、一流冒険者に相応しい我が屋敷へと帰り着く。
そして晩飯はどこの店にするかと、二人で談笑しながら玄関のドアを開けると......。
「ただい......」
「まったく、とんだ変態クルセイダーですね! ほらほら、これが欲しいのでしょう? いつまでも我慢していないで、早く参ったと言ってこれで......! ......あっ」
「この私はその様な物に屈しはしないっ! クルセイダーとしての誇りにかけて、このまま一時間でも二時間でも......。あっ」
布団で簀巻きにされ、玄関先に転がされたダクネスと。
ダクネスの前に屈み込み、つまみ上げた氷を顔の前でこれ見よがしにブラブラさせるめぐみんがいた。
二人は頰を熱っぽく火照らせ、ダクネスに至ってはハアハアと荒い息を吐いている。
そんな二人と目が合った俺は、そっとドアを閉めてやる。
と、バンとドアが開くと同時に慌てためぐみんが飛び出してきた。
「ドアを閉めないでください! 二人とも、これは違うのです!」
「いやいや、いいからいいから分かってるから。俺とアクアは外でご飯食べてくるから、二人はそのまま続けてくれ。なんなら今日はどっかに泊まってくるから」
「アクシズ教では同性愛も認められているわ。祝福の魔法はいるかしら?」
「全然分かっていないじゃないですか! これはですね、ダクネスが......」
めぐみんが俺とアクアの腕を摑み、必死になって引き留める。
「くっ、ここでまさかの羞恥責めまでもが加わるとは......っ! カズマ達にこの様な無様な姿を見られたくらいでは、まだ私は屈しはしないっ!」
「話がややこしくなるのでダクネスはちょっと黙っててください!」
簀巻きのままモゾモゾしているダクネスに軽く引いていると、開け放したドアから熱気が漏れている事に気が付いた。
夏も間近だというのに、この二人は暖炉に火を入れていた様だ。
「これは、特殊な遊びをしていたのではなく、ダクネスにお願いされて我慢大会の練習を手伝っていたのですよ。ダクネスは、この街で毎年夏に行われる我慢大会での優勝者らしいのです」
中の熱気で頰を火照らせためぐみんは、同じく頰を火照らせたダクネスの額にウリウリと氷を押し付けた。
「ちょっとガッカリな様なホッとした様な気分だけど、練習するならダクネスの実家でやれよ。どうすんだよ、広間をこんなに暑くして」
めぐみんに氷を押し付けられ、幸せそうな顔でほうと息を吐いていたダクネスは。
「実は、父がここ最近体調を崩していてな。私がこういった事をしていると、嫁入り前の娘が一体何をと心配させてしまうので、一応気を遣っているのだ」
「親父さんが体壊したのは、お前が実家で暖炉を焚きまくったからじゃないだろうな」
氷を押し付けられて、先ほどまでの変なテンションも落ち着いたのか、
「ふう......。カズマ達も帰ってきた事だし、そろそろ切り上げるとしよう。めぐみんに手伝ってもらって分かったのだが、去年よりレベルが上がった分、熱に対する耐性なども上昇している様だ。今年も優勝間違いなしだな。おいカズマ、すまんがこれを解いてくれ」
そう言って、簀巻きのままでモゾモゾしだした。
............。
「今のお前の姿ってさ、こないだ王都に行った時、アルダープの屋敷で俺がバインド食らった状態に似てるよな」
「......? そうか? そういえばそんな事もあったな。まあその話は後にしよう。まずはこれを解いてくれ。布団の下は汗まみれなので、早く風呂に入りたいのだ」
モゾモゾしているダクネスの傍に、俺の言葉を聞いたアクアとめぐみんが屈み込む。
二人も俺の意図に気づいたのかニヤニヤしている。
ダクネスはそんな俺達を、どことなく不安気な表情で見上げてきた。
俺は、わざと見せ付ける様に指をわきわきさせながら。
「お前とはもう長い付き合いだ。そろそろ俺の性格も分かっている事だろう。そう、俺はやられたら必ずやり返す男。......おいおい、王都で俺が動けない時には、散々嬲ってくれたダクネスさんよお! 今日は、また随分と面白い格好だなああああああ!」
「くっ! こ、殺せっ!!」
再び頰を火照らせてジタバタと暴れ始めたダクネスは、初めて女騎士っぽい事を言った。
「──ふう。身動き取れない火照った体を、カズマに散々弄ばれてしまった......」
「お、おい、言葉を選べよ。お前がそういう事言うと、何だか卑猥に聞こえるんだよ」
身動きが取れなくなったダクネスを皆でくすぐり倒した後。
口では非難がましい事を言いながらも、ダクネスは満足気に艶々していた。
「明日も練習しようと思うのだが、なんならカズマ。明日はお前が、暑いのを我慢する私の前で、氷をチラつかせる役をやるか?」
「やらない。......やらないって言ってんだろ、期待した目でチラチラとこっち見んな」
いつまでも残念そうな顔でこちらを見るダクネスを、シッシとシャワーを浴びさせに追いやると、俺はソファーの上に裸足で三角座りをしているアクアを見た。
「まったく、王都ではあんなに堂々としてたダクネスはどこに行っちゃったのかしら。私なんて、昨晩この街の共同墓地で迷える魂を浄化してきたんだからね? 日々社会のために貢献している私を見習いなさいな」
定期的に墓地を浄化するというウィズとの約束をすっかり忘れ、最近ゴーストによるイタズラが増えてるって噂を聞いて、慌てて浄化に行ったくせに。
......いや、今はその事は置いておく。
それよりも、先ほどからもっと気になる事があるのだ。
「......お前、さっきから腹の上に抱いてるの。......何ソレ?」
アクアは膝の上に毛布を置き、そこに小さな卵を載せていた。
俺と一緒に出かけている時も、ポケットに手を突っ込みなにやらごそごそしていたのだが。
「あらあら、カズマったら早速コレが気になる様ね? いいわ、教えてあげる。聞いて驚きなさいな、これは何とドラゴンの卵よ」
「「ドラゴン!?」」
俺とめぐみんが驚きの声を上げる中、ドヤ顔のアクアが自慢気に。
「こないだ一人で留守番してたら、私達の活躍を聞きつけた行商の人が来てね? 『お目にかかれて光栄です! 私はあなた方の様な、魔王軍と正面から渡り合える凄腕の冒険者を探し続けていたのです! 危険も顧みず日夜魔王軍と戦うあなた方に、とっておきの品を譲らせてください!』って言われたの。今後も魔王軍と渡り合うつもりなら、使い魔としてドラゴンくらい必要でしょうって言われて、なるほどねって思ったわけよ」
俺達の活躍を聞きつけた?
何だろう、凄く胡散臭い。
俺達が大金を手にした事を聞きつけた、の間違いじゃないのか?
渋い顔をする俺には気づかず、アクアはドラゴンの卵とやらの説明をしてくる。
「いい? カズマはここの常識を知らないアンポンタンだから教えてあげるけど、ドラゴンの卵ってのはね、本来なら凄く手に入り難いの。市場に出たとしても、貴族か大金持ちが先に手に入れちゃうのよ。そこへ、わざわざ私達に譲らせて欲しいって人が現れたなら、そんなの買うしかないでしょう? ドラゴンよドラゴン。ワクワクしない?」
......正直、ワクワクしないと言えば噓になるが、聞けば聞くほど胡散臭い。
「......その卵、いくらしたんだ?」
俺の言葉にアクアは嬉々として。
「それがね、なんと、私の持ち金全部と交換で良いって言われたのよ! ドラゴンの卵なんて最低でも億は下らない代物なのに、何でそんな安い値段にするのかって聞いたらね? 貴族やお金持ちみたいに、金持ちのステータスとして飼うんじゃなく、凄腕の冒険者達に育ててもらって、来るべき魔王との戦いに役立てて欲しいから、だって!」
両手で大事そうに卵を抱きしめるアクアに、俺は軽い目眩を覚えながら。
「......それで、買っちゃったのか」
「買っちゃったわ。既に名前も付けてあるの。この子の名前はキングスフォード・ゼルトマン。なにせ私が育てるんだもの、この子はいずれドラゴン達の帝王になるわ。この子を呼ぶ時は、ゼル帝とでも呼んであげて」
アクアは言いながら、抱いた卵を手の平で包みこんだまま、それに向けて柔らかな光を浴びせだした。
魔法で温度調節をしているのか、それとも、女神なりに成長を促進させたりしているのだろうか?
でもこれ、どこからどう見ても鶏の卵です。
「というわけで、孵化するまで私はクエストに参加できないからね。ねえカズマ、ちょっと手が離せないから、晩御飯持ってきて食べさせて」
今晩のおかずは目玉焼きにしてやろうか。
3
「──じゃあ行って来る。......バカな事させて悪いなめぐみん」
「構いませんよ。こうしないとアクアが出かけようとしませんし、あの悪魔に対抗できるのは、何だかんだいってもアクアだけですからね」
翌日。
俺はアクアとダクネスを連れ、ウィズの店へと向かっていた。
めぐみんは留守番だ。
この暑いのにも拘わらず暖炉に火を入れ、その前で毛布にくるまり、アクアが買った卵を温めてもらっている。
卵の孵化は、温めるだけではなくたまに角度を変えてやったりと、色々と面倒くさいらしい。
これは、卵の孵化作業があるから行きたくないと駄々をこねた、アクアへの折衷案だ。
アクアとダクネスを連れた俺は、街のメインストリートから外れた通りにある、こぢんまりとした魔道具店に到着する。
「たのもう! たのもう!! ねえ開けなさいよ、もうお日様はとっくに昇ってるわよ! あんた達の一番のお得意さんがやって来たわ! ほら早く、ドアあけてーあけてー!」
すっかりおなじみになったウィズの店先で、朝も早くからアクアがバンバンとドアを叩く。
アクアが店先で騒いでいると、中からドタドタという足音が近づき、やがてバンとドアが開けられた。
「朝っぱらからやかましいわ、近所迷惑を考えろ公害女め! 開店にはまだ時間がある、顔を洗って出直して来い!」
勢いよく飛び出して来たのは怪しげな仮面を被ったバイト。
なんちゃって大悪魔であるバニルが俺達を見て怒鳴りつけてきた。
「今日はお客じゃなくて、別の用事でやって来たのでした! 開店時間に来るとあんた達忙しいでしょ? わざわざ気を遣って早起きして来てあげたんだから感謝なさい。ほら、ちゃんとありがとうって言いなさいな」
真っ向からバニルと対峙するアクアが、フフンと笑う。
現在この店では、俺の開発した商品を主軸として未曾有の大繁盛をみせていた。
俺への報酬は開発した商品の知的財産権買い取りという事なので、ウィズの店でどれだけ売れてもそれが増える事はない。
とはいえ商品が売れて喜ばれるのは、開発者として嬉しい事である。
「空気を読まない事には定評のある貴様に、気を遣ったと言われるのはゾッとせんな。何かオチがあるのではと疑ってしまう。......まあいい、用件は分かっている。そこの成金小僧への報酬であろうて。中に入って待っていろ、今持ってきてやろう」
そう言って店に入ったバニルに、アクアがちょろちょろと纏わり付く。
「感謝して! 木っ端悪魔ごときにわざわざ時間を割いて頂いて、どうもありがとうございますって感謝して!!」
「やかましいと言っておろうが! 現在徹夜続きの過労店主が店の奥で眠っているのだ、静かにしてもらおうか! これ以上騒いで当店の評判を落とす気なら、尻からアロエが生える呪いを掛けるぞ!!」
「やれるもんならやってみなさいな! あんたみたいな雑魚っぴ悪魔の呪いが私に通じるわけないでしょう? バカなの? あんた仮面が本体だって言ってたけど、脳みそって物はどこにあるの?」
「フハハハハハハ! フハハハハハハハ!! やはり貴様とは決着を付けねばならんようだ、よかろう、表に出るがいい!」
「お前らは、毎度毎度顔合わす度に喧嘩すんなよ! っていうかウィズが徹夜続きって、そんなにこの店儲かってるのか」
俺は摑み合いを始めた二人を引き剝がし、バニルに尋ねる。
「うむ、笑いが止まらんとはまさにこの事よ。作れば作っただけ売れるので、店主には飯も食わせず休ませず、昼は店番、夜は商品の生産というサイクルを二週間ほど続けさせていたら、最近、とくにおかしな事もないのに泣き出したり笑い出したりと情緒不安定になってな。人様の前に出せる状態ではなくなってきたので、今は休ませているのだ」
「お、お前......」
呆れる俺に、報酬が入った袋を片手でぶら下げ戻ってきたバニルが、
「我輩は考えたのだ。あの、一人にさせると何かやらかすトラブル店主にどうやったら赤字を出させないかを。ここしばらくの観察で、あやつは暇を持て余すと余計な事をすると気付いたのだ。そこで、飯を食う暇もないほどに二十四時間働かせてみたら、これがまあうまくいってな」
そんなドン引きする事を言いながら俺に袋を寄越してきた。
いくら死ぬ事はないリッチーだといっても、もうちょっと労ってやったらどうなんだろう。
というか、どっちが店主でどっちがバイトかよく分からなくなっている。
「ところで......」
と、バニルはクルリとダクネスを振り向くと。
「おい、先ほどから暇そうにしているそこの。日夜熟れた身体の性欲を持て余し、処女の癖に夜な夜」
「なああああああああーっ!!」
ダクネスが、突然大声を上げながらこちらに向かって突っ込んできた。
そのダクネスをバニルはヒョイとかわし。
「......うむうむ、極上の羞恥の込もった悪感情、美味である。......鎧の娘よ、貴様には破滅の相が出ているな。貴様らの傍には、常に鬱陶しくも眩しい発光女がうろちょろしているせいか、未来を見通し辛い。今回大きな儲け話を持ってきてくれた礼に、我輩の力でじっくりと占ってやろう」
と、悪魔らしくニヤリと口元を歪めながら言ってくる。
「ねえ発光女ってひょっとして私の事?」
アクアがくいくいとバニルの服を引っ張り。
「......破滅の相だと?」
表情を引き締めたダクネスが、思わず聞き返す中、俺は......!
「おいそんな事よりも、さっきダクネスの事をなんて呼ぼうとしたのかを詳しく!」
目尻に涙を溜めたダクネスが、耳まで顔を赤くして殴り掛かってきた。
4
奥歯がガクガクします。
「では、一つ見てやろうか。貴族としての変な義務感だけは強いクセに、実力が伴わず空回りばかりする娘よ。さあ、ここに来るがいい」
「............」
悔しそうに歯を食いしばりながら、バニルの対面に座るダクネス。
俺はそれを見ながら、半泣きになったダクネスに思い切り殴られた頰を押さえていた。
アクアは自業自得だと言ってヒールを掛けてくれないので、自分でフリーズを掛けながら熱を取る。
後でバニルに、ダクネスの事を何て呼ぼうとしたのか事細かに聞いてやろう。
「ねえダクネス、悪魔の占いなんて話半分に聞いときなさいよ。そんな怪しげな物より、尊い私のお告げの方が、絶対ご利益があると思うの」
それはない。
「フン。我が占いは、神々のいい加減などうにでも解釈できる、あんな抽象的な物ではないぞ。見通す悪魔である我輩の占いは、本職にひけをとるものではない。......では、今からいくつかの質問をする。なかには答え難い物もあるだろうが、正直に答えるのだぞ」
「わ、分かった。......しかし、エリス教徒にして聖騎士たるこの私が、なぜ唐突に悪魔に占われなくてはいけないのか分からないのだが......」
「まぁ聞くのはタダだし。質問に答えるだけならいいんじゃないのか?」
気楽に言った俺の言葉に、それもそうだなと呟いて、ダクネスはバニルと向かい合う。
「うむ、準備は良いようだな。ではまず、この水晶玉の上に片手を乗せるのだ。......よし、後は待っていれば良い。では、これから出す質問に正直に答えてもらおう」
「う......。わ、分かった......」
バニルに言われるままに、ダクネスは水晶の上に手を置いた。
「では、汝に問う。防御力も大事だが、攻撃に踏ん張れる重さも重要なクルセイダーなのに、最近コッソリ鎧の軽量化をおこなった様だが。それはなぜか?」
そのバニルの言葉に、ダクネスがビクリと震えた。
「......そ、その......。わ、わ、私は不器用なので、鎧を軽くし、少しでも攻撃を当て易くしようと......。し、しよう......と......」
しどろもどろになりながら、何とか答えたダクネスに。
「我輩は、正直に答えよと言ったぞ」
バニルがボソリと呟いた。
............。
「......最近、ますます腹筋が割れてきたのを気にして、鎧を軽くして......みました......」
ダクネスは恥ずかしそうに俯きながら、蚊の鳴く様な声で答える。
......割れてきたのか。
............気にしてるのか。
バニルはそれを聞き、満足そうに頷いた。
「よしよし。......では、汝に問う。風呂場の洗濯籠に放り込まれていた、仲間の魔法使いのワンピース。これをコッソリ自分の身体にあて、鏡の前でちょっと嬉しそうにしながら、『うん、コレはない。コレはないな......』とぶつぶつ言っていたのはなぜか。しかも、自分でコレはないとか言いながら、普段笑いもしない無愛想な顔を、首を傾げてニコッと笑ませていたのはなぜか。そして頰を染めて周りをキョロキョロ確認し、そのまま慌てて洗濯籠に戻していたのはなぜか」
見通す悪魔様最強じゃないですか。
どこまで知ってるんですかバニル様。
「......か、かか、可愛らしい系の服は似合わないし、買うのも買ってきてもらうのも恥ずかしいので、今までは触ることもなく......。ふと目にしてつい、試してみようかな、という出来心で......。こ、こんな無愛想な筋肉女が出来心で身体に合わせてしまいました、ごめんなさい......ご、ごめんなさい......」
赤い顔を両手で覆い、震え声で謝るダクネス。
別に、めぐみんの服を自分の身体の上に合わせてみたぐらいでそこまで謝る事もないと思うが、指摘されたダクネスはよほど堪えたのか、もう心の耐久力は限りなくゼロに近い。
「私は可愛いワンピースを着たダクネス、悪くないと思うの! いつもカッコイイ系や大人系の服着てるしね! お嬢様風のドレスだって着たんだから、可愛いワンピースだって着てもいいじゃない! ダクネスがコッソリ可愛い服着る事の何が悪いのよ!」
きっと悪気はまったく無いアクアが、拳を握ってダクネスを励ましている。
それが追い討ちになったのか、テーブルに腕枕状態で突っ伏したダクネスが、耳まで赤くして動かなくなった。
バニルはそんなダクネスを見て、満足そうにウンウン頷く。
そして......。
「では、最後に。同居人のそこの男にいやらしい目で見られている事を自覚しながら、それでも屋敷内で、身体の線がくっきり出る服を着てウロウロしているのは」
「これはっ! これは本当に占いとやらに関係あるのかっ!?」
ダクネスが、泣きそうな顔でバンとテーブルを叩いて立ち上がる。
バニルがそれに、『は?』といった感じで首を傾げ。
「いつ我輩が、質問しなければ占いは出来ないなどと言った。単に、質問に答えてもらおうと言っただけだ。占い自体は水晶玉に手を置くだけでいい。我輩が汝に質問していたのは、占いの結果が出るまでの暇つぶし......、こっ、こらっ止めろ! なぜお前達は我輩の仮面に気安く手をかけるのだ! 泣きながら仮面を引き剝がそうとするな!」
──散々オモチャにされた事が悔しかったのか、水晶玉に手を置きながらも、先ほどから完全にそっぽを向いているダクネスに、バニルが水晶玉を覗きながら。
「......ほうほう、これは。うむ、やはり破滅の相が出ているな。貴様の家、そして父親が、これから大変な目に遭うだろう。そして、あまり頭のよろしくない貴様は、自分を犠牲にすれば全てが解決すると、短絡的な行動に出るであろう。その行動は誰も喜ばず。貴様の父親は後悔と無念を抱き、そのまま余生を送る事になる。良い回避方法は......」
バニルの言葉に、今までとは打って変わって真剣な面持ちになるダクネス。
「......おや、貴様の力ではどうにもならんと出たな。その時が来たならば、いっそ全てを捨てて逃げるが吉。『強く押せば、ダクネス辺りならそろそろやる事やれるんじゃないか?』と思うも、一線を越える勇気もなければ今の関係が壊れる事を恐れる、小心者なそこの男と遠い地でやり直すがよい」
「おい待ってくれ、本当に待ってくれよ。なんかもうお前が口開く度に、ウチのパーティーメンバーからの俺への信頼がマイナスになっていくから」
ダクネスが、無言で立ち上がる。
思わずビクッとしてしまった俺だが、どうやら怒られるわけではないらしい。
当たり前だ、強く押せばいけそうなんじゃないかと思っただけで、俺はまだ何もしていない。
「......バニル、占いには感謝する。だがどんな事態に陥っても、逃げる事は出来ない。......まあ、話半分に聞いておこう。カズマ。大金が入ったのだし、どうせしばらくはクエストには出ないだろう? 今の占いが気になるわけではないが、久しぶりに実家に寄って、父の顔でも見てくるとしよう」
そう言って、ダクネスは店を出て行ったのだった。
5
「ねえ木っ端悪魔。あんたもっと具体的な事言えないの? さっきは神々のお告げを抽象的だとか何とか言ってくれたくせに。あと、私の事も占いなさいよ。とりあえず、じきに生まれるウチのゼル帝が何ドラゴンかとか。ドラゴン族を治めるだけの器があるか。あっ、後あれよ。ゼル帝買ってお金がなくなっちゃったから、らくちんにお金が稼げる方法とかも教えなさいよ、あんた何でも見通せるんでしょ?」
ダクネスが店を出た後、アクアがそんな事を言い出した。
バニルは心底嫌そうに口元を歪めると。
「こんな俗物的な女神など初めて見たわ。楽して金を稼ぐ方法があれば当店の産廃店主に教えて、我がダンジョン建設のための資金にしている。我が力は、その者が過去に行ってきた事、そして、その者にこれから起こるであろう事柄を見通せるのだ。そもそもこういった技能は、欲にかまけて使うとロクな事にならぬ。......貴様はそんな事も分からないとは、それでも本当に女神なのか?」
アクアがそんなバニルを鼻で笑った。
「しょせんは悪魔ね、誇大広告も甚だしいわ。はー使えない使えない。カズマ、もう帰りましょう? 帰ってゼル帝の孵化に戻るの。早くあの子を孵化させて、この悪魔をあの子の養分の足しにでもしてあげるわ」
「......おっと我輩ピンときた。そのゼル帝とやら、名を照り焼きと改名するが吉。さすれば、晩飯の際にでも皆に愛される事請け合いであろう」
バニルとアクアが、共に半笑い状態で立ち上がる。
「あらあら、何その名前。卵からはドラゴンが生まれるのよ? 高いお金出して買ったんだから。なぜそんな美味しそうな名前付けなきゃいけないのかしら」
「見通す悪魔、バニルの名に賭け宣言しよう。節穴女神の御眼鏡にかなった卵からは、さぞかし立派な鶏肉が生まれるであろうと......」
睨み合う二人を放っておく事にした俺は、受け取った報酬を大切にしまい立ち上がる。
盗まれたり落としたりしない様、銀行に預けに行くのだ。
大金を得た事で上機嫌な俺は、未だ火花を散らして睨み合う二人を置いて、そのまま店を......。
「待て、大金も手に入った事だし今晩は例の店に予約して外泊だなと浮かれる小僧」
出ようとしたところで止められた。
というか、今晩の俺の予定を見通すのは止めて欲しい。
「我輩が、初めてこの店でお前達と出会った際に、貴様に告げた事を覚えているか?」
「......告げた事? なんかあったっけ?」
そんな昔の事を言われても、今更思い出せないのだが。
「せっかくの助言を忘れてしまったのか、女神並みの記憶力しかない小僧め。......しょうがない、新たな名助言をくれてやる。汝、受け取った報酬で満足する事なく、更なる売れ筋商品を沢山作っておくがいい。もう金には苦労しないと思っているな? 先のクルセイダーの娘だが、あの娘にはこう言った。貴様の力ではどうにもならんとな。......だが、お前の頑張り次第では、どうにもならん事もないかもしれんぞ?」
「私も一つ助言をあげるわ。汝が必死に稼いだ大金は、またもウィズに使い込まれ、しばらくの間真っ白に燃え尽きる事でしょう。......どう? どう? 見通すアクアがあんたの未来予想図を立ててあげたわよ?」
「「............」」
──ポーションが割れる音や二人の罵声、そして破壊音が響くウィズの店を背に、屋敷へと向かう帰り道。
俺は、店から出る際にバニルに言われた事に思いを巡らせていた。
バニルの話だと、ダクネスの実家、そしてダクネスの親父さんに不幸が訪れる。
それをダクネスが、自分の身を犠牲にして短絡的にどうにかしようとする。
それを解決出来るかどうかは俺次第。
そのためには、売れ筋商品の開発でもしておけと。
......なんのこっちゃ。
6
それはバニルの占いの事も、そろそろ忘れかけた日の事だった。
ノックも何の前触れもなく、突然玄関のドアが開けられる。
そして、執事服を着た無愛想な表情の男が許可もなく屋敷に入ってきた。
「このような時間、それも食事中に失礼。実はダスティネス卿に火急の用があり、こうして参上したのですが......。しばし、お時間をよろしいでしょうか?」
男は名前も名乗らず不躾に用件だけを告げ、食事をしていた俺達を、どこか冷たい目で一瞥する。
ムッとした表情を浮かべたダクネスが、手にしたフォークの先に野菜を刺したまま。
「この私をダスティネス卿と呼ぶからには、どこかの貴族の使いか。......一応聞くだけ聞こうか。何だ?」
不機嫌そうなダクネスの言葉に、男はいえ、と小さく呟き。
「我が主、アレクセイ・バーネス・アルダープ様がお呼びです。この様な場所では何ですので、表に馬車を用意してあります。詳しくは我が主の屋敷にて。どうぞ、こちらへ」
人様の自慢の屋敷をこの様な場所呼ばわりしたその男は、悪びれもせず外を示す。
男の態度に、ダクネスが握っていたフォークが軋んだ音を立てぐにゃりと曲がる。
この短気なお嬢様が物騒な事を口走って殴り掛からないかと心配するが、曲がったフォークをテーブルに置いたダクネスは。
「......ちょっと出かけてくる。私の帰りが遅ければ、玄関の鍵は掛けておいてくれ。......では、行ってくる」
そう言って、いきなりの展開についていけない俺達を置いて、男に付いて出掛けて行った。
「......何だったのでしょうかあの人は?」
「アルダープって言ってたな。それって確か、領主のおっさんの事だろ? よく分からんが、また変な事に巻き込まれたりしないだろうな?」
またおかしな事にならなければいいが......と、俺達は表情を曇らせ黙り込んだ。
「ダクネスが出かけるなら、ハンバーグの残りは私がもらってもいいわよね。ねえめぐみん、今日はめぐみんが食べさせて? カズマったら人に食べさせるのがへたくそなのよ。昨日なんて、スプーンによそったシチューを鼻から食べさせようとしたんだから」
今日も卵から手を離さない、空気の読めない一人を除いて。
──その、翌朝。
「お前、もう夏だってのに毛が抜けないのな。相変わらず猫らしくないやつだ。......なあ、一体どうやったらお前は本来の姿に戻れるんだ? お前アレだろ? この子猫の姿は仮の姿なんだろ? 本当は、語尾に『にゃ』を付ける猫耳美少女なんだろ?」
広間の窓際で暖かな日差しを受けながらあぐらをかき、その上にちょむすけを乗せブラッシングしていた俺は、先ほどからしきりに話しかけていた。
以前からちょこちょこコイツに話しかけてはみるものの、今のところ返事らしきものはない。
たまに人語が通じている風な時もあるのだが、未だ正体を現さない。
コイツが普通の猫じゃない事はもう分かっている。
となるとマンガなんかの展開では、絶対に美少女化するはずなのだが......。
「先に言っておくと、俺は人外美少女も嫌いじゃないし、お前が何者でも引かないからな? 寒い日なんかは勝手に布団の中に潜り込んでくるお前が、朝起きて美少女になって隣で寝てても、俺は慌てないし動じもしない。もちろん、お前が何者だろうとずっとこの屋敷にいていいから安心しろ。それどころか、毎日美味しい魚を焼いてやろう」
魚という単語に、気持ち良さそうにブラッシングされていたちょむすけが、鼻をひくつかせて顔を上げた。
「おっ、魚に反応したかいやしんぼめ。いいか、よーく聞くんだちょむすけ。お前が人間の姿になれば当然体も大きくなり、魚だってたくさん食べる事が出来るんだ。分かるか?」
「にゃーん」
ちょむすけは答える様に一声鳴くと、もっとブラッシングしろとばかりに喉を鳴らし、ブラシを持つ俺の手に額をこすりつけてくる。
「よしよし、やっぱりお前は可愛いやつだな。もし人の姿になったとしても、ずっとそのままでいてくれよ? 他の連中みたいに残念ヒロイン枠には入らないでくれ。良い子にしてたら、その内生まれる予定の鶏肉をご馳走してやるからな」
そう言って俺がブラッシングを再開していると、突然玄関のドアが開けられた。
「カズマ! 賞金首モンスターを狩ろう!!」
昨夜はあのまま帰ることなく俺達を心配させた残念ヒロインが、朝早くに帰ってきたかと思えば開口一番にバカを言いだす。
「......朝帰りしたかと思えばいきなり何なの? お前がどこの誰とイチャイチャしようが関係ないけど、一応嫁入り前のお嬢様なんだから放蕩娘なのも大概にな?」
「バカッ、朝帰りではない! 夜中遅くに帰ってはお前達に迷惑が掛かるから、昨日は実家に帰ったのだ! それよりも!!」
こちらにやってきたダクネスが、絨毯にあぐらをかく俺に一枚の紙を突きつけてくる。
「ほら、これを見るがいい!」
「......賞金首モンスター『クーロンズヒュドラ』? ......何この、ヤマタノオロチみたいな化け物は」
ダクネスが見せてきた紙には、クーロンズヒュドラという賞金首モンスターの、イラストや習性、詳細な説明が書かれていた。
嫌そうに紙を受け取る俺に、ダクネスは『ヤマタノオロチ?』と首を傾げ。
「クーロンズヒュドラ。そいつはアクセル近くの山に住み、普段は深い眠りについている大物賞金首モンスターだ。こいつは、体内に蓄積した魔力を使い果たすと湖の底で眠りにつき、周辺の大地から魔力を吸い上げ始める。眠りについた巨大なヒュドラが、再び魔力を蓄積させるのにかかる年月は十年ほど。そして前回眠りについたのが、今から約十年ほど前の話になる」
つまりは、そろそろそいつが目覚めそうだって事か?
この紙に書かれた詳細を見るに、一言で言うとデカい。
大きさはといえば、大きめの民家ほど。
それでいて怖い。
名前や外見からして、ゲームでいうところのラスボスにしか思えない。
「こんなもん狩るとか、いくら朝早いからって寝惚けた事言うなよ。それよりお前、昨日の執事は何だったんだ? めぐみんが心配してたぞ、ダクネスは世間知らずだからおかしな貴族にホイホイ付いてって、よからぬ事をされたりしないかって」
「昨日の件は......っ! き、昨日の件は、お前達には関係のない事だ。貴族のしがらみというやつだから、巻き込まれたくなければ首を突っ込むな。そんな事より、そのめぐみんはどこだ? めぐみんなら、この話に乗り気になるのではないか!?」
「めぐみんならアクアと一緒に出掛けたよ。生まれてくるドラゴン用に、格好良い首輪が欲しいって言ってた」
「......私もアクアから、ドラゴンが生まれてきたら小屋作りを手伝えと言われたのだが、あの卵はその、どう見ても......」
言い難そうに複雑そうな表情を浮かべるダクネスに。
「どう見ても鶏の卵だと思う。......とにかく、俺はそんなもん狩りになんて行かないからな? 行くんならめぐみんとアクアの三人で行けよ? いつもみたいに泣いて駄々を捏ねて頼んできても、俺は絶対に行かないからな」
「いつ私が泣いて駄々を捏ねたのだ! ......実は、つい先日湖の様子がおかしいとの報告があった。湖周辺の枯れた地に、雑草が生えだしたのだという。これは、ヒュドラが大地から魔力を吸い上げる必要がなくなった事を意味している。つまりは目覚めの兆候だ」
ダクネスは一旦言葉を止めた後、芝居がかった声を上げた。
「......いいか、カズマ? この街を救えるのは、魔王軍の幹部をも倒した私達のパーティー以外にあり得ないだろう! お前もこの街の冒険者の端くれなら、この地を守りたいと思うだろう? ......数多の魔王軍幹部を倒してきた勇者、サトウカズマ! さあ、今こそお前の出番だ!!」
拳を握り、目を輝かせて声を張るダクネスに、俺はフッと鼻で笑う。
「お前、俺が勇者だの何だの言われたくらいで、ホイホイ出掛ける様なバカだとでも思ってんのか? そろそろ長い付き合いなんだから俺の事を理解しろよ。もっとこう、俺にやる気を出させる餌はないのかよ。ちなみに言っとくと金じゃないぞ? もう金銭には困ってないからな。ほれ、他にあるだろ色々と?」
俺の言葉に、ダクネスはしばらく顔を俯かせ。
やがて、ほんのりと頰を染め、拳を握り言ってきた。
「......わ、分かった......。クーロンズヒュドラを倒せたあかつきには、お前が喜びそうな褒美として。その......、ほ、頰にキスを......」
「お前バカだろ。子供じゃあるまいし、今時キスくらいで命なんて賭けられるかよ」
「!?」
よほど覚悟を決めた提案だったのだろう、俺にそっけなく断られるのは予想外だったのか、ダクネスは驚きの表情で固まった。
「大体、キス一つにそんな大層な価値があるって考えに一番腹が立つよ。ていうかお前、どんだけ自分に自信持ってるんだ? 王都で貴族達にチヤホヤされたからって、最近調子に乗り過ぎじゃないですかねえ?」
「お、おお、お前......!」
ワナワナと震えだしたダクネスに、俺は膝上のちょむすけを抱き上げるとその顔を覗き込み。
「おいちょむすけ。このお姉ちゃんな、自分のキス一つで男が命を賭けてくれるって本気で思ってたみたいだぞ? どんだけ自己評価高いんだろうね? まったく、もっと別のアプローチがあるんじゃないんですかねえ?」
「にゃーん」
それに返事をするようにちょむすけが一声鳴く。
「おっ、そうかそうか、お前もそう思うか。そうだよなあ、もっとこう色々あるよなあ?」
「貴様、好きに言わせておけば! 猫を降ろせ、ぶっ殺してやる!」
目を血走らせて拳を握るダクネスに、だが俺は、ちょむすけの柔らかな毛の感触を楽しみながら余裕をみせた。
「おっ? なんだなんだ、毎度バカの一つ覚えみたいに、また腕力にものをいわせようってか? 今の俺には『バインド』ってスキルがある。これを使えば、あっという間にお前を簀巻きにする事だって可能なわけだ。それともまたくすぐり地獄を味わいたいのか? それでもいいなら掛かってこい!」
不敵に笑い煽る俺に、だがダクネスは、なぜかちょっと顔を赤くした。
「......バインドか。そういえば、そんなスキルもいつの間にか使いこなしていたんだったな。よ、よし。いいぞ、では勝負だな。私を搦め捕ったならまた先日の様に好きにしろ。だが私は、バインドで縛られ弄ばれたくらいでは屈しはしないっ!」
「何でちょっと嬉しそうなんだよ! っていうか、俺が行く必要もないだろ。行くならめぐみんだけ連れてけよ。何だかんだいっても、出会い頭にめぐみんの魔法で一発だろ。それでどうにもならなきゃ逃げればいいし、そもそもヒュドラってドラゴンの亜種じゃないのか? きっと鱗も硬いんだろうし、非力な俺に出来る事なんて......」
と、俺がそこまで言った時だった。
怒るでもなく、殴り掛かるでもなく。
しゅんとした表情で突然黙り込んだダクネスに、俺は言葉を詰まらせる。
......そんなにこの賞金首を倒したいのだろうか。
「な、なあ......。どうしても、ダメか?」
ダクネスは俺の前にしゃがみ込むと、悲しそうな上目遣いでこちらを見上げる。
......泣き落としとは、こいつもアプローチが上手くなったじゃないか!
7
──アクセルの街から半日ほど南下すると見えてくる小さな山。
その山の麓までやって来た俺達の前には、緑色に濁った湖が広がっていた。
「なあ、そういえばさ。万が一ヒュドラを倒せなかったらどうするんだ? 俺達が攻撃を仕掛けたら、最悪、今のところは大人しくしているモンスターを怒らせるだけって事になるんじゃないのか?」
「いやあーっ! いやああああーっ!!」
俺の問い掛けに対しダクネスが。
「その事なら問題無い。今までであればクーロンズヒュドラには、大軍をもって取り囲み、暴れさせる事で魔力を消耗させ、魔力切れになったヒュドラを再び眠りにつかせるという対処を行ってきた。当然今回の周期に合わせて、そろそろ王都から騎士団が派遣される事になっている」
「ヒュドラなんていやあああああ! どうしてダクネスは賞金首なんて狙うの? カズマがたまに言ってたけど、本当に貧乏貴族なの? 帰ったら、コツコツ貯めてた貯金箱割ってお金貸してあげるから、それで我慢してよおおお!」
なるほど、失敗しても騎士団という保険があるのか。
「だが、予定していた騎士団の到着よりも早く、ヒュドラは目覚めてしまった。そして騎士団では、ヒュドラを眠らせる事は出来ても、トドメを刺すには至らない。それじゃあ根本的な解決にはならないから、数多の強敵を屠ってきた俺に頼った、と」
「帰らせて! ねえお願い帰らせて! 何だか嫌な予感がするの!」
騎士団が来るのなら、その時一緒についていって倒せばいいと思うのだが、ダクネスはなぜヒュドラを倒すのを急ぐのだろう?
と、気合い充分のめぐみんが、着けていた眼帯を外して笑う。
「ふはははは、今回は私に任せてもらいましょうか! ヒュドラは亜種とはいえ下級のドラゴン、こいつを倒せば堂々とドラゴンスレイヤーを名乗れます! 以前ドラゴンスレイヤーの称号欲しさに、同じくドラゴンの亜種であるワイバーンを爆殺した事があるのですが、倒したのが子供だったせいか、討伐モンスターとして認められなかったのですよ。今回こそは『竜殺し』の二つ名を頂きです!!」
「ゼル帝が生まれたらドラゴンを家で飼う事になるのに、なんでそんな物騒な称号欲しがるの!? ねえめぐみん、止めましょうよ! ゼル帝だってドラゴンスレイヤーを乗せるのは嫌がるはずよ! お願い、私を帰らせてよお!」
めぐみんの頼もしい言葉に頷くと、俺はあらためて湖の真ん中に視線を向ける。
「よし、それじゃあまずは......」
「早く帰ってゼル帝の誕生を見守らなきゃいけないのに! わあああああああーっ!!」
「さっきからピーピーうるせーぞ! ひよこってのは生まれるまでに二十日以上掛かるから、まだまだ大丈夫だよ! ていうかいい加減諦めろ、お前が帰ったらどうやってヒュドラを起こすんだよ!」
俺はとうとう我慢できなくなり、さっきからやかましいアクアを叱りつけた。
「なんでドラゴンの卵からひよこが生まれるのよ! 大体、どうしてあんな所に大事なゼル帝を預けなきゃならないの!?」
現在、アクアが買ってきたあの卵はウィズの店に預けてある。
「仕方ないだろ、卵の孵化なんてバカな事頼めるやつは他にいないんだし。知り合いの冒険者に頼んだら、多分高確率で食われると思うぞ」
といいつつも、卵を預けた際にウィズがゴクリと唾を飲み込んでいたのが気になるとこだが。
「でもでも、リッチーと悪魔に卵を預けるだなんて、生まれてくるゼル帝に変な影響及ぼさないか心配よ! ドラゴンの卵ってのはね、親ドラゴンが大事に抱いてる期間が長いほど、高い魔力を持ったり親の属性を引き継いだりするの! あの子は神聖なるホワイトドラゴンとして生まれて欲しいのに、なんか闇のパワーの影響を受けて、ブラックドラゴンとか生まれてきそうじゃない!」
「生まれたとしても黒色のカラーひよこだよ。そんなに気になるなら早くヒュドラを倒して帰ろうぜ。めぐみんの魔法でどうにもならなかったら、どうせ他に打つ手は無いんだ。そんときゃとっとと逃げればいいさ」
俺の言葉にようやく納得したらしいアクアが大人しくなる中、ダクネスが大剣を抜き放つ。
「よし、準備はいいか? ではアクア、始めてくれ!」
作戦は極めて単純だ。
水棲型のモンスターは綺麗な水を嫌がる習性がある。
そこでアクアが持つ、普段は役に立たない妙な体質の出番なわけだ。
「しょうがないわね。まあ私としては水を綺麗にする事自体に文句はないけど。じゃあちょっと行ってくるわね! めぐみんの魔法でダメだったら、すぐに逃げ帰るからね!?」
言うが早いか、躊躇なく濁った湖に飛び込むアクア。
そのままスイスイと泳いでいき、水をすくっては辺りに広げたりと、バチャバチャと暴れだした。
それを遠巻きに眺めながらめぐみんが呟く。
「......あれは浄化作業をしているんですよね? 暑いから水遊びをしているわけではないですよね?」
確かに、はたから見ると痛い子が一人で水遊びをしている様にしか見えないが、これでもちゃんとした討伐作業中のはずだ。
俺達が見守っていると、広い湖を浄化する作業に飽きてきたのか、目を瞑りプカプカと水面に漂い始めたアクア。
「......おいカズマ、アクアのやつ大物賞金首が眠っている真上で昼寝を始めたぞ。大丈夫なのかアレは? というか前々から思ってはいたのだが、アクアは魔法を唱える素振りも見せず、なぜ触れただけで水を浄化したり出来るのだ?」
「それは私も気になってましたね。芸の一つかと思い、あまりツッコみませんでしたが」
「本人いわく、水の女神だからだそうだよ」
一応言うだけ言っておくが、案の定まったく信じようとしない二人にふーんと聞き流される。
そうしている間にも俺達の目の前では、水の女神が風に流されどんどん湖の中心部へと漂っていく。
流されない様にヒモでも付けとくべきだったかと悩むが今更遅い。
シュールな絵面に俺達三人もすっかり緊張感を無くし、欠伸していたその時だった。
水面に小さなさざ波が走ると同時、うつらうつらと船を漕いでいためぐみんが目を見開く。
「これは......っ! きました、きましたよ! 凄い魔力をビンビン感じます! 魔力の出所は湖の底からです!」
緊迫しためぐみんの声に伴い、未だ寝こけるアクアの真下に巨大な影が広がった。
何か、とてつもなく大きな物が浮上してきたのだ。
「アクアー! お前いつまで寝てるんだ、起きろ! 下に来てるぞ! お前がそこに漂ってると、めぐみんが魔法を撃てないだろうが!」
俺の罵声でアクアが目覚め、寝起きだというのに器用に立ち泳ぎをしながら、のん気に欠伸し、辺りを見回す。
やがて状況に気が付いたのか、慌ててこちらへ泳ぎだした。
「おい、これ聞いてた話よりかなりデカいぞ! 大きめの民家並みって書いてあったのに、俺達の屋敷より大きいんじゃないのか!?」
湖に広がる巨大な影に、ダクネスやめぐみんの顔が引きつった。
大きめの民家サイズだと聞いていたから、めぐみんの魔法でどうにかなると思っていたのだ。
これほどの大きさともなると、一撃で体全体を吹き飛ばすなど出来そうにない。
「カ、カズマさーん、カズマさーん! なんか凄く大きいのが、私目掛けて追ってきてるんですけどー!」
巨大な影はやがて形を成し、水面下に八本の首がしっかり映る。
その首が全てアクアへ向けられ、どんどんとせり上がり......!
「来るぞ! めぐみんは魔法の用意! ダクネス、万が一に備えてめぐみんの前でガードしとけ! 俺は後ろに下がって退路を確保しておく!」
「ガードは任せろ! だが、他にモンスターはいないのだから退路の確保など必要ないぞ!!」
「そそそ、想定していたものより多少大きい様ですが、わわ我が爆裂魔法の威力なら一撃ですよ! この湖の生態系を破壊しつくしてやります!」
「何でもいいからはやくしてー、はやくしてー!」
混乱する俺達を余所に、それは姿を現した。
ああ......。
俺はここ最近の成功で、賞金首モンスターというものを舐めていた様だ。
巨大な八本の鎌首が、水を滴らせながらゆっくりと姿を現す。
「──ッ! ──ッッッッ!」
表現しがたいヒュドラの咆哮に、ビリビリと空気が震えた。
湖から半分ほど覗かせた背中は、まるで小島の様で。
空高く持ち上げられた鎌首を見上げ、俺は呆然と呟いた。
「これ、アカンやつや」
1
「おおカズマ。死んでしまうとは情けない!」
そこはおなじみの白い部屋。
ふと目を開けた俺は、ノリノリでそんな事を言うエリスと見つめ合っていた。
この人も意外とお茶目なのかもしれない。
というか、日本の事も色々と知っているのか。
「......ノリノリですねエリス様」
「すいません。有名なセリフなので、一度言ってみたかったんです」
エリスは、茶目っ気たっぷりにそんな事を言いながら目を細めた。
人間離れした美しさを誇る女神に、そんな可愛らしい反応を見せられると、それだけでドギマギしてしまう。
その正真正銘の女神様は、困り顔でポリポリと頰を搔きながら。
「それにしてもカズマさんは、もうここに来ても動じもしなくなりましたね。......ええと、他の皆さんは無事ですよ。今はヒュドラから離れて安全な所にいます。カズマさんの遺体も、ダクネスが自分からヒュドラに吞まれ、どうにか回収しましたから」
さすが出来る方の女神様。
俺が仲間の事を聞く前に、先に安否を答えてくれた。
「わざと吞まれて......って。あいつも無茶すんなあ」
あの後、ヒュドラに追われたアクアをどうにか回収し、めぐみんが爆裂魔法をぶちかました。
......までは良かったのだが。
「ていうかアレ、なんなんです? 反則も良いとこでしょうに。失った首が生えてくるとか、もうどうにもなんないんですけど」
俺は思わずエリスに向けて愚痴をこぼした。
そう、爆裂魔法を食らわせたまでは良かったのだ。
だが、首を何本か失ったヒュドラは魔力を使って再生を開始。
やがて何事もなかったかの様に活動を再開した。
そして......。
「ヒュドラに食われた俺の遺体ってどうなってます? あまり損傷が激しいと蘇生出来なくなるって聞いたんですが......」
そのままパクッといかれたわけだ。
「ええっと......。だ、大丈夫です! 蘇生は出来ます!! 三割方無くなっちゃいましたが何とかなります!」
聞かなきゃ良かった。
「......っ、そ、その......!」
軽くへこんでいる俺に、エリスはおずおずと上目遣いで。
「生き返っても、ダクネスを責めないであげてくださいね? 今回は、ダクネスが無理を言って行った討伐ですが......。あの子も、理由があっての事ですから......。カズマさんが亡くなった事で、今もそれを気に病んで、かなりのショックを受けているみたいです。もちろん、一番ショックなのは亡くなったカズマさんなのでしょうが......」
エリスは俺を慰める様に、眉根を寄せて心配そうな顔でそんな事を......。
..................。
この人はやっぱり優しいなぁ......。
俺の周りにこんな人はいただろうか。
ウィズ? ゆんゆん?
いや、あの二人も優しいが、エリス様には心の底からの抱擁感みたいな、安心感みたいなものがある。
「大丈夫ですよ、責めたりしませんから。......それより、エリス様ってたまに地上に降りてきて、コッソリ色んな所に遊びに行ってるとか言ってましたが。アクセルの街には遊びに来ないんですか? 死ななきゃ会えないってのも、ちょっと寂しいんですけど......」
そんな俺の言葉に、エリスはクスッと笑い。
「もう地上で何度も会ってますけどね。そろそろ気づいてくれてもいいと思いますよ? ちょっとだけ、寂しいです」
そんな事を、イタズラっぽく言っ......。
......えっ。
「今、なんて言いました? 会った事がある? えっ、それはアクセルの街で、ですか? えっ? えっ!?」
そんな事を言われても、ちょっと脳が追いつかない。
何度も会ってる?
いつどこで?
ええっと、それらしい人はいたか?
混乱している俺を見て、くすくすとイタズラっぽく笑いながら。
「ではヒントです。地上では、私は今とは違う外見をとっています。それにもっと活発で、言葉遣いだって違います」
違う外見。
もっと活発で、言葉遣いだって違......!
「そして私は女神ですが、先輩の様に地上でアークプリーストをやっているとは限りませ......」
「ああっ、分かった! キースに、『エリス教のプリーストは、信仰心の高さと胸の大きさは反比例するって本当なんですね。うひゃーっひゃっひゃっ!』ってからかわれて、キースの鼻を拳でへし折ったマリスさん!」
俺はヒントを遮り、確信を持って叫んでいた。
エリスは笑みを絶やさないままで。
「......違います」
あれっ。
ああっ、あの人か!
「『女神エリスはパッドだって噂を聞いたんだけどよ、そのエリス教徒が巨乳だなんて、女神に破門とかされないのか? そもそもそれって本物なのか? ひょっとしてパッドじゃないんですかお二人さんよぉ!? 違うってんならここで見せて証明してみろ!』と絡まれ、ダクネスと二人で、絡んできたダストをボッコボコにしていたセリスさん!」
「違います」
笑みを絶やさないままのエリスは、何だか少し怒っている気がする。
マリスさんでもセリスさんでもないとすると......?
と、俺が悩んでいたその時だった。
《カズマー! カズマー! もう蘇生は済んだからはやくきてー! 酸っぱい臭いのダクネスが、何だか凄く落ち込んでるの! はやくきてー、はやくきてー!》
聞こえてきたのは、相変わらず空気を読まないアクアの声。
ダクネスが落ち込んでるってのが気になるが、今はそれよりも。
「エリス様、ギブ! ギブアップです、すいません! 答えを教えてください、お願いします! でないと俺、知らない間にエリス様相手に失礼な事とかしちゃったら、罰当たるじゃないですか」
結局誰なのか思い付かなかった俺に、エリスは少しだけ。
どうしようかと悩むような様子を見せて......。
「......失礼な事とか、罰だとか今更......。そもそも、初対面の時にあんな事したのに......」
「えっ?」
「何でもありません。正体は内緒です」
言って、自分の口元に人差し指を当てるエリス。
「......あと、先輩の言葉を鵜吞みにしないでくださいね? い、一応今の状態で、パッドは入れていませんから!」
エリスが、ちょっとだけ頰を赤くし、言いながら片手の指をぱちんと鳴らした。
そして目の前に現れたのはおなじみの白い門。
それを見て、俺は慌てる。
まだ正体を教えてもらってない!
慌てる俺をよそに、白い門が開き、中から眩しい光を輝かせ......!
「ちょ、エリス様、すいません! 怒ったんですか? 拗ねてるんですか? いやだって、本当に胸の大きさを気にしてるなんて思ってませんでし」
「それでは、佐藤和真さん! 今度は、あなたが天寿をまっとうした時か、私の正体が分かったあなたに会えます様にっ! では、また! さあ、行ってらっしゃいっ!」
顔を赤くしたエリスは俺に最後まで言わせてくれない。
と、頰が朱に染まったからか、右の頰にうっすらと白い筋があるのに気が付いた。
「あれっ? エリス様、頰に何か......」
付いてますよ、と言うより早く。
俺はエリスに、問答無用で門の中へと、背中をどんと突き飛ばされていた。
2
「ガズマざんおがえりなざい」
目を開けると、そこにあるのは鼻をつまんだアクアの顔。
「ぶあっ! くっせええええ!」
鼻を突く酷い異臭に、俺は思わず跳ね起きた。
酸っぱくて生臭いこの臭いは......。
「俺か! この臭いのって、俺の体が原因か!」
ヒュドラに食われしばらく胃袋の中にいた事で、体にこんな異臭が染みついた様だ。
......そしてふと気付く。
誰もが俺と目を合わさない事に。
......その行動で更に気付く。
自分が素っ裸だという事に。
「服、溶けちゃったのか......」
「溶けちゃったわよ。隠しなさいよ。ていうかカズマさんてば、一時的にカズマちゃんになるくらい溶けてたのよ? 防具だってダメになっちゃったし、鞘に入ってたおかげで何とか無事だった、へんてこな名前の刀だけが残ったわ」
「おや、私が名付けた刀をへんてこ呼ばわりするのは聞き捨てなりませんね!」
めぐみんに絡みつかれたアクアは放っておき、俺は生き残った刀だけを手にすると。
「......で、お前は何を落ち込んでるんだよ」
俺と同じ臭いを放ち、離れた所でひざを抱えてうずくまるダクネスに声を掛けた。
ダクネスは俺の言葉に身を震わせ、申し訳なさそうな顔でこちらを見上げる。
「無理に戦いを押し付けた私に、怒っていないのか?」
「一体何を怒るんだよ。強情に戦いたがったのはお前だけど、大物賞金首や魔王の幹部を相手に戦うのは今更だし、俺が死ぬのも今更だろ?」
「それは、そうなのだが......」
やけに素直なダクネスに、何だか調子を狂わされる。
「ったく、らしくないな。エリス様から聞いたぞ? ヒュドラに食われた俺を助けるために、お前も自分から吞まれたんだろ? つかよく見たら、お前あちこち血まみれじゃないか。大丈夫なのかよ? あんまし溶けてない感じだけども」
ダクネスは、ちらとこちらを見上げると。
「......この血は、お前を回収した後、ヒュドラの中から腹を裂いて浴びた返り血ばかりだ。後少しでも中にいたなら、息が詰まって私も後を追っていただろうが......。今は大丈夫だ、他に怪我はない」
未だ暗い顔のダクネスに。
「遺体の回収してくれて助かったよ、ありがとうな。ほら、早く帰って風呂に入ろうぜ?」
そう言って、気にすんなとばかりに笑いかけた。
「ねえカズマ。ダクネスを励ますのはいいんだけど、その格好でお風呂に誘うのはどうかと思うの」
そういえば全裸でした。
3
「──しかし、どうして騎士団がヒュドラにトドメを刺さないのかよく分かった。刺さないんじゃなく、刺せないんだな」
アクセルの街への帰り道。
俺達は、未だどことなく沈んでいるダクネスを連れ、先ほどの戦闘を振り返っていた。
「どうやらクーロンズヒュドラは、失った首の再生に魔力を使っている様ですね。アレを倒すには、再生が追い付かないほどの超火力で消し飛ばすか、何度も傷を負わせて首を再生させ、魔力を尽きさせたところに致命傷を与えるしかないでしょう。どちらも現実的ではありませんが......」
めぐみんの現実的ではないという言い分ももっともだ。
ヒュドラだってバカではない。
ちまちまダメージを与え続けても、魔力が尽きれば、魔力回復のため湖の底に逃げてしまうだろう。
かといって、爆裂魔法以上の火力など用意出来るはずもない。
俺は最後尾をとぼとぼと歩くダクネスを振り返り。
「めぐみんの言う通り、今回ばかりは無理だわ、どうにもなんねえ。あのヒュドラは騎士団に任せて、大人しく魔力を削って眠らせよう。ダクネスもそれでいいか?」
「......うん」
だが返ってくるのは生返事だ。
......こいつ、そんなにあの賞金首を倒したいのか?
と、なぜかドヤ顔で胸を張るアクアが言った。
「まあ、悪い事ばかりじゃないわよ? この私のおかげで、あのヒュドラはしばらく湖から出てこないわ! 湖の一部を浄化されたから縄張りを荒らされたと思って、当分は湖を瘴気で汚染する作業に掛かりきりでしょうね。その間に騎士団の人が着くでしょうから、そしたら後は彼らに押し付けるの」
「......お前、今回はどうしたんだ? 本当にお手柄じゃないか。それに、なかなか賢いじゃないか」
俺達二人が浮かれていると、アクアに背負われためぐみんが。
「アクアが自信満々な時は、大概落とし穴があるのですが」
そんな、フラグになる様な事をぽつりと呟く。
いつもは俺におぶわれるめぐみんだが、酸っぱい臭いがすると言われ、今日はアクアを指名していた。
「いやいや、さすがに今回は何もないだろ。ていうか、何かあったとしたって俺達のせいじゃない。俺達はむしろ、騎士団が来るまでの時間稼ぎをしたわけだしな」
「そうよ、私が活躍した事に何か文句でもあるのかしら!? まったく、めぐみんはまったく! おかしな事言ってると、カズマかダクネスにおんぶさせるわよ?」
「謝るのでそれは止めてください、お願いします!」
──その後、特に問題もなく街に帰り着くと。
「私とめぐみんでギルドへ報告しといてあげるから、臭い二人はお風呂に入ってきなさいな。カズマの今の格好だと通報されちゃうしね!」
俺とダクネスはアクアに言われ、先に屋敷へ向かう事になった。
現在俺は、めぐみんから借りたマントで体を隠しているわけなのだが、確かに異臭を漂わせるマント男というのはいただけない。
「行くわよめぐみん、出来るだけ私達の活躍を大げさに吹聴するの! そうすれば、討伐報酬とまではいかなくても金一封くらいもらえるかもしれないわ!」
「任せてください、我が爆裂魔法がいかに凄かったか、とくとくと語ってやりますとも!」
多大な不安があるものの、俺は二人に任せ、ダクネスと共に屋敷へ帰った。
4
屋敷に戻った俺は、落ち込むダクネスを先に風呂に入らせた後、臭いがなくなるまで念入りに体を洗い。
「しかし、慣れってのは怖いな。死んだってのに、大して慌てもしなくなった自分がいる」
独り呟き湯船に浸かると、三割ほど失われていたという自分の体をあらためて見た。
アクアの話だと俺は一時的にカズマちゃんになっていたらしいが、ちゃんと元の大きさにまで回復してるんだろうな?
お湯の中でしげしげと、一時失われた部分を注意深く観察していると。
「......カズマ。今日はいつもより随分と長いが、どこか痛むのか? それとも、生き返ったばかりでまだ体力が回復していないのか?」
脱衣所の方から、ダクネスの心配する声が聞こえてきた。
「だ、大丈夫だ、問題ない! ほら、臭いがきつかったろ? だから念入りに洗ってるだけだから!」
落ち込みながらも真面目に俺の身を案じてくれているダクネスに、小型化していないか心配になり、入念にチェックしてましただなんて言えるわけがない。
だがそれを聞いてもダクネスは、立ち去る事はなく。
何か言いたい事でもあるのか、その場にずっとたたずんでいた。
「......なあ、カズマ。その、今回は無理を言って悪かった。今までがうまくいき過ぎて、私も焦っていたのだろう。どうしても、あのヒュドラを倒したかったのだ......」
脱衣所にたたずむダクネスは、そんな事を辛そうに言ってくる。
「まあ、もうアイツには遭う事もないだろうし、済んだ事はもういいって。それより、アクア達の帰りが遅い。きっとあいつら、ギルドで美味いもんでも食ってんだぜ。俺達も早く行こう」
「......ッ。ああ......、そうだな......」
それを聞いたダクネスが、いつになく落ち込んだ声を出す。
......こいつは、あのヒュドラに何か因縁でもあるのだろうか。
それとも、昨日家に訪ねてきた無礼な執事が絡んでいるのか?
「それじゃあ、着替えを持ってきたからここに置いておくぞ? では私は、広間で待っているから......」
そう言って、脱衣所から去ろうとするダクネスに。
「お前、何かヒュドラを倒さなきゃいけない事情でもあんの?」
「ッ!? そ、それは......」
あるみたいだ。
黙り込んだダクネスに、俺はどう答えるべきかと一瞬悩む。
本来なら、自分を殺した相手に再び戦いを挑むだなんて勘弁してほしいところだ。
だが、この分かりやすいまでにシュンとしてしまったお嬢様は、もう一度再戦したいなどと、自分からは言い出せないのだろう。
「......今日はダメだったけど。次にあのヒュドラに挑む際には、入念な準備をして作戦立ててから行くからな?」
「えっ!?」
驚きの声を上げるダクネスに、俺はからかう様に言ってやる。
「なんだよ。あんだけ民の安全だの偉そうに言ってたくせに、もうヒュドラ退治を諦めちまったのか?」
「バカなっ! この私を誰だと思っている! 民を守る事こそが、ダスティネス家に与えられた使命だ! 次こそは、あのヒュドラをぶっ殺してやる!!」
聞き慣れたその物騒なセリフは、ちょっとだけ、いつものダクネスを取り戻させた。
──風呂に入り香ばしい臭いを落とした俺達は、冒険者ギルドの前にやって来ていた。
既にアクアとめぐみんが、報告を済ませている事だろう。
冒険者ギルドのドアを開けると......。
「どうしていつもいつも、あんたって人は余計な事ばっかやらかすんだ!」
「本当よ! アクアさんってばこないだだって、魚屋の生け簀の水を真水に変えて、海で獲ってきた魚を全滅させたんでしょう!?」
「だ、だって、私は良かれと思って! 魚屋の件にしても、狭い生け簀の中でかわいそうだし、せめて水くらいは綺麗にしてあげようと思って!!」
「どうすんだよ! クーロンズヒュドラなんて大物、俺達じゃどうにもなんねえ!!」
「じ、実家に帰りたいよお母さーん!」
「手配書を、もっと手配書を回せ! この街の冒険者全員に、手配書を配るんだよ!」
そこは阿鼻叫喚と化していた。
冒険者やギルド職員が悲鳴をあげ、騒ぎの中心ではアクアが糾弾され泣いている。
「あっ! カズマ、ダクネス、良いところに! この状況をなんとかしてください!!」
俺達を見つけためぐみんが、混乱するギルドの中、こちらへとやってくる。
「いや、どうしたんだよこれ? 何でこんなに騒いでるんだ? アクアが怒られてるけど、むしろ今回の俺達はよくやった方だろ?」
「そ、そうなのですが! 私達が何もしなくても、遅かれ早かれヒュドラは目覚めたはずなので、本来ならこんな混乱は起こらないはずなのですが......」
逆境に弱いめぐみんがうろたえる中、ダクネスが近くのギルド職員のお姉さんを捕まえる。
「おい、一体何があった? 確かに討伐は失敗したが、これほどまでに騒ぐ必要もないはずだろう? どうせ騎士団が来るまでの繫ぎであり、ダメで元々の討伐だったのではないのか?」
「そ、それがですね、タイミングの悪い事に王都で大事件が発生したとの事でして......。騎士団達はその事件の始末に追われ、こちらに構っている暇がないらしく......」
王都で大事件!?
「おい、どういう事だよ!? 王都がピンチなのか!? 俺の可愛い妹が危機にさらされてんのかよ!?」
「い、妹? いえ、王都で大事件が起こったのは少し前の事らしく、今は一応の解決をみせ、事なきを得たそうです。現在は、王都の混乱の収拾と事件を起こした犯人捜しのため、騎士団を狩り出しているそうで......」
職員の言葉にひとまずはホッとする。
一瞬、王都に駆け付けようかと悩んだところだ。
「何でも、王都で銀髪盗賊団と呼ばれる連中が、事もあろうに王城に侵入したそうで......」
俺とダクネスは、それを聞いて同時に吹き出す。
そんな俺達の様子に気付かずに、職員は一枚の紙を取り出すと。
「たった二人で王城内の騎士達や腕利きの冒険者を蹴散らした挙げ句、大胆にも、城からいくつかの宝物を盗み出したそうで......」
そう言って、手にした紙を見せてきた。
それは『銀髪盗賊団』と書かれた手配書だった。
そこには、仮面をかぶった怪しげな男、そして銀髪の少年のイラストが描かれている。
賞金額は二億エリス。
なんてこった、魔王の幹部に次ぐ賞金を掛けられてしまった......。
「二億エリス......。二億エリスか......」
「お、おいダクネス、なんでこっち見るんだよ」
普段は金に興味を示さないダクネスが、手配書を手になぜか血走った目で俺を見る。
職員は、そんな俺達の様子に首を傾げながら。
「まあそんな訳で、派遣を予定されていた騎士団が、いつやって来るかも分からない状況となってしまったのですよ」
どうしよう、それって要するに俺のせいじゃん。
そんな、俺の葛藤を知ってか知らずか。
「ですが、希望もあります。というのも、王都の騎士達がわざわざ紅魔族の里まで出向き、腕の良い占い師に犯人の行方を占ってもらったところ......。なんと、このアクセルの街に王都の事件の黒幕がいるとの事! そこで現在、冒険者達が血眼になって犯人捜しをしているのですよ!!」
変な汗が出てきた。
「というわけで、サトウカズマさん達には期待してます。何だかんだいって、あなた達は賞金首に縁のあるパーティーですからね! 犯人を捕まえれば、騎士団も安心してこちらに力を割いてくれますよ!」
「そーですね」
生返事をしてしまう俺の隣で、もっと平静を装えとばかりにダクネスが肘で突いてくる。
「まあ、犯人が見つかるのは時間の問題ですよ。何せこの街には、紅魔の里の占い師にも勝る、超腕利きの占い師がいるんですから!」
それってこの手配書と似た様な仮面をかぶったアイツの事ですね、分かります。
これはヤバい、金にうるさいあの悪魔なら、商売上の取引相手だろうが、賞金のためなら遠慮無くギルドに突き出しそうだ。
俺の隣ではダクネスが、頰を引きつらせて震えている。
職員は、期待してますとばかりに拳を握り。
「そんなわけで、サトウさんもご協力お願いしますね!」
そう言って、満面の笑みを浮かべてきた。
──俺はもちろん引き籠もった。
5
「あるーひー。もりのーなーかー。ドラゴンにー。でああったー」
窓際にソファーを引っ張って体育座りしながら、シトシトと降る雨を眺めアクアが歌う。
その手には相変わらずしっかりと卵が抱かれ、手の平から温かな光を浴びせていた。
アクアいわく、卵の内から歌を聞かせる事により胎教を施しているらしい。
そんなアクアの歌声をかき消すほどに、現在この広間では、めぐみんがいきり立っていた。
「カズマ、リベンジです! あのヒュドラにリベンジするのです!」
絨毯にあぐらをかき、膝の上のちょむすけをブラッシングする俺に、鼻息荒く言ってくる。
冒険者ギルドから逃げ帰りはや三日。
自分が指名手配を受けていると知った俺は、バニルの未来視を警戒し、アクアの傍から離れず、ずっと屋敷に籠もっていた。
あの守銭奴悪魔は、アクアの傍にいる人間を見通し辛い。
幸いというか、卵の孵化作業に没頭しているアクアも屋敷に籠もってくれている。
そんな引き籠もり生活に業を煮やしたのか、めぐみんが毎日の様にリベンジを催促していた。
「お前、そう言うが一体どうやってあの化け物倒すんだよ? 俺も色々考えてるけど、今のとこ良い作戦なんて浮かばないぞ?」
俺の言葉に、めぐみんは杖を抱きしめギリギリと歯を食いしばる。
「火力です! さらなる火力を浴びせるのです! 爆裂魔法の一発で沈まないなら、相手が消えて無くなるまで爆裂魔法を撃ち込むのです! いつぞやの機動要塞デストロイヤー戦の様に、アクアの魔力とカズマのドレインタッチがあれば、それも可能となります!」
熱く語るめぐみんに、アクアが歌を中断し。
「嫌よ。どうしてこの私が、ドレインタッチだなんて穢らわしいリッチースキルを受けなきゃならないの? アレはもう嫌。ええ、カズマが私を脅そうがダクネスが私を甘やかそうがめぐみんがおかしくなろうが絶対に嫌。私の神聖な魔力は誰にでもおいそれと与えられる物ではないの」
俺はちょむすけの尻尾に優しくブラッシングしながら。
「その大事な魔力とやらでさっきから何してるんだよ。卵なんて一々抱かなくても、暖炉の前で炙っとけばいいだろ? 炙りすぎたらおかずにすればいいわけだし」
「ちょっとあんた、次におかずがどうとか言ったら聖なるグーを食らわせるわよ。......これはね、ドラゴンの卵に魔力を注いでいるのよ。魔力の塊とまで言われるドラゴン達は、持っている魔力が高ければ高いほど強さが増すの。この子はドラゴン達の頂点に君臨する者。私はこの子の育ての親として、出来る事はなんだってしてあげたいの」
......あくまでドラゴンの卵だと言い張るアクアは放っておき。
「ていうか、めぐみんはどうしてそんなにリベンジしたがるんだよ? ヒュドラに変な執着をみせるダクネスならともかく、お前までなんか因縁があったのか?」
「それはまあ、私にだって色々思うところがありますよ。何せカズマを殺した相手ですからね。この手で敵を取りたいではないですか」
「お、おう......。そ、そうか......」
なんだろう、そう言われて悪い気は......。
「最近は、ダクネスと共に毎日ヒュドラのもとまで通い、ダクネスのおとりスキルでヒュドラを呼んで、爆裂魔法を撃ち込んでから逃げ帰るという嫌がらせを続けていますが......。他に、有用な対抗策は無いものですかね」
「お前、ここ最近街の外で恒例の音が聞こえないと思ったら、そんな事してやがったのか! 今のとこ街に来る気配は無いんだから、あんまり刺激すんなよな! それにダクネスも何やってんだよ、こういう時に止めるのがお前の役割だろ!」
「う、うむ......。しかし、あのヒュドラはどうしても倒したいというか......。それに、これはヒュドラの魔力を削る事にも繫がるのだし......」
絨毯に鎧を置いて手入れをしていたダクネスが、小さく呟き目を逸らす。
コイツは、やはりどうしても自分の手でヒュドラを倒したいらしい。
その理由がなんなのか、俺には知る由もないのだが......。
「どっちみちこの雨が止まない事にはやり辛くてしょうがない。相手は水棲生物だし、雨の中での戦闘なんて向こうに有利なだけだからな。雨が止んだら本気出すよ」
というか本音を言えば、指名手配のほとぼりが冷めるまで引き籠もっていたい。
「今の季節は梅雨ですよ? お天気占い師の予報では、この雨は当分続くらしいのですが」
「......雨が止んだら本気出すよ」
「この男! つまり当分の間やる気は無いという事ですね!!」
「あっ、何すんだよ止めろ! ちょむすけに八つ当たりすんなよな!」
俺が可愛がっていたちょむすけの尻尾を摑み、ブラッシングの邪魔をし始めためぐみんをよそに。
ただ一人ダクネスだけは、真剣な顔でせっせと鎧を磨き続けていた。
6
それから何日経っても雨が止む事はなく。
俺とアクアが屋敷に引き籠もっている間も、ダクネスとめぐみんだけはヒュドラのもとに通い続けていた。
そして、もちろん今日も──
「帰りましたよー! すいません、ダクネスが色々とアレなので、お風呂の用意をお願いします!」
めぐみんを背負ったダクネスが、酸っぱい臭いを漂わせながら帰ってきた。
「......食われたのか。ていうか、爆裂魔法を撃って逃げ帰ってくるんじゃなかったのか? 危ないから、もうあそこに行くのは止めとけよ」
魔力を使い果たして動けないめぐみんを絨毯に降ろし、ダクネスが荒い息を吐きながら鎧を外す。
先日磨き上げたばかりの自慢の鎧はあちこち傷付き、ヒュドラの返り血で赤く染まっていた。
「ヤツめ、連日の爆裂魔法はさすがに堪えたのか、私がおとりスキルを使う前に奇襲を掛けてきたのだ。爆裂魔法を唱える間もなく襲われ、さすがに危ういところだった......。何とか脱出したところにめぐみんが魔法を食らわせ、首を再生している間に逃げてきたのだが......。やはり、そう簡単にはいかないな」
ちょろちょろと傍にやってきたアクアのヒールを受けながら、ダクネスは深いため息を吐く。
やがて鎧を外し終えたダクネスは、アクアに礼を言い、とぼとぼと風呂場に向かっていった。
「......ねえカズマ。どうにかして、らくちんにヒュドラを倒す手は思い浮かばないの? 弱っちいカズマの取り柄は、数だけは多い中途半端なスキルと、どんな無理難題でも姑息な手段で解決出来るとこでしょう?」
「おっ、早速一つ思いついたぞ。まずお前を鎖で縛り付ける。そして湖に投入する。ヒュドラがパクッといったところを、冒険者総出で鎖引っ張って一本釣りだ。後は、湖に逃がさない様にしながら袋叩きにする。......どうだ?」
「「............」」
突っかかってきたアクアから卵を取り上げ、それを人質にして追い払っていると。
「私としては強敵相手に爆裂魔法を放てるので異論はないのですが......。最近のダクネスは、やっぱり様子がおかしいですよ」
風呂場へ向かったダクネスを見送りながら、めぐみんがぽつりと言った。
「──ふう。......? カズマ、私の鎧に一体何を?」
風呂から上がったダクネスが、鎧の前で屈み込む俺を見て首を傾げた。
俺の隣では、めぐみんが作業中の手元を眺めている。
「今日は随分傷だらけで帰ってきたからな。お前の鎧を直してるんだよ。最近は雨続きだし、家の中じゃどうせやる事ないからな」
鎧のへこみを木槌で叩き、久しぶりの鍛冶スキルを発動しながら鎧の傷を直していく。
それを聞き、ダクネスがはにかんだ。
「そういえば、以前皆で温泉に行った時にも、道中で鎧を直してもらったな。......また、皆で温泉に行きたいものだ」
「俺は嫌だよ、あの街嫌いだもん。めぐみん並みに頭がアレな連中が多いし」
「おい、アレとは何か詳しく聞こうじゃないか!」
修理の邪魔をしてくるめぐみんを押しのけていると、ダクネスがそんな俺達を楽しげに眺めながら。
「それでも。また、行きたいな......」
そんな意味深な事を、小さな声で呟いた。
──それからというもの。
「カズマ、いません! 部屋に起こしに行ったらもぬけの殻です!」
「あいつは! もう行くなって言ったのに、どうしてこんなに聞き分けねーんだよ!」
めぐみんに、危険だからこれからは一人で行くと告げたダクネスは、連日、たった一人でヒュドラのもとへと通い始めた。
俺達が止めるのも聞かず、単身湖に向かってはボロボロになって帰ってくる。
そんなダクネスをどうにかしようと、交代で見張りを立てたはずなのだが......。
「なんで寝てるんだよおめーはよおおおおおおお!」
「わあああああーっ! 私だってゼル帝の孵化で疲れてたんだもの! 子育てって大変なんだから、あんたもちょっとはいたわりなさいよ!」
「何が子育てだバカにしやがって! おいこら卵寄越せ! なんだこんなもん、俺が美味しく頂いてやる!」
「止めて! 卵を温めだして日にちが経ってるんだから、今の状態で割れば大変な事になるわよ! 中を見たらきっと後悔するから!」
卵を懐に抱いて亀の様に丸くなるアクアに、俺は唾を飛ばしながら激昂する。
「つーか、今は卵なんてどうでもいいんだよ、そんな事よりダクネスだ!! あいつは一体何のつもりなんだよ! あれか? クルセイダーとしての義務だの貴族として街を守る責務だのと、まだそんな事言ってやがるのか!?」
「今はダクネスの真意を確かめている場合ではないですよ、ヒュドラだって学習します。日に日にダクネスが負う傷が深刻なものになってきていますし、そろそろ危ないですよ!?」
予想外の事態に弱いめぐみんが、杖を抱いてうろたえる。
そうは言っても、ダクネスが出掛けたのはおそらく夜明け前辺りだろう。
「ねえカズマ。あのヒュドラ、本当にどうにか出来ないの? 私、卵をウィズのお店に預けてから、めぐみんと一緒にダクネスの後を追って、ちょっとあの子に説教してくるわ。......一度殺された相手で怖いだろうけど、カズマも一緒に来る?」
未だ丸くなったままの体勢で、荒事を嫌がるアクアが珍しくそんな事を言ってくる。
こいつですらやる気をみせているのだ。
そんな中、俺一人引き籠もっているというのも......。
......ああ、クソッ!
「俺はちょっと行きたい所があるから、お前ら二人でどうにかダクネスを連れ戻してくれ。ヒュドラと遭っても交戦するなよ、逃げ帰るんだぞ?」
俺の言葉を受けて、アクアとめぐみんはこくりと頷き出て行った。
屋敷に残された俺はといえば、部屋からエリス紙幣を持ちだすと、それを無造作に財布にねじ込む。
「ったくあいつは! しょおがねえなああああああ!」
頑固なお嬢様のために、俺も覚悟を決める事にした。
7
翌日。
俺は朝早くから出掛けると、湖へと向かっていた。
昨日は結局、湖に向かったアクアとめぐみんは、傷つき、ボロボロになって帰る途中のダクネスと鉢合わせしたらしい。
アクアに傷を癒やされた後、帰り道の間中説教されたと、ダクネスが苦笑しながら言っていた。
あいつはどうしてもヒュドラ討伐を止める気はないらしい。
俺は眼前に広がる湖を前に、アクアやめぐみんに付き添われて来るであろうダクネスを待つ。
やがて時刻が昼に差し掛かった頃、アクア達と共に姿を現したダクネスが、俺達を見てぽかんと口を開けていた。
そう、俺の後ろに居並ぶ、アクセルの街の冒険者達の姿を見て。
「おっ! 遅いぞララティーナ!」
「ララティーナちゃんが来たよー!」
「ララティーナ!」
「ララティーナ!!」
俺が連れてきた冒険者達は、固まったまま動かないダクネスを口々にからかいはじめた。
「......」
「や、止めろよララティーナ! こいつらはお前の名前呼んだだけだろうが、っていうか無言で俺を絞め上げるのは止めろ! やめっ......、止めてください!」
冒険者達にからかわれたララティーナが、涙目で俺の胸ぐらを摑んでくる。
「おいカズマ、これは一体何の騒ぎだ? 新手の嫌がらせなら私にも考えがあるぞ」
「違うよ、何でわざわざ人集めてそんなしょうもない事するんだよ! 俺は皆に、毎日お前がたった一人でクーロンズヒュドラに立ち向かってるから、その手伝いを頼めないかって言っただけだ!」
「ッ!?」
それを聞いたダクネスが、摑んでいた胸ぐらを手放し慌てて皆を見回すと。
「おっ、ララティーナのクセに照れてるぞ」
「ねえ止めなさいよ、ララティーナちゃんってアレで繊細なのよ? ヒュドラ退治にはララティーナちゃんの力が必要不可欠なのに、泣いて帰っちゃったらどうすんのよ」
「カズマには、ここんとこ散々奢ってもらった上に、昨日なんて一番高い酒を飲ませてもらったしな! ちょっとくらい借りを返しといたって罰は当たんないし。ララティーナのわがままも聞いてやんよ!」
そんな声が、冒険者達の間から投げ掛けられた。
「ほら、よく見とけよダクネス。アホなお前が毎日アホな事してるんだって説明したら、こんだけの冒険者が集まってくれたんだぞ。脳筋なのはしょうがないが、人様に心配掛けるのは止めろよな」
顔を赤くしたダクネスが、小さな声でぽつりと言った。
「あ、ありがとう......」
「えっ? なんだって!?」
ダクネスは、大きな声でのリピートを強要する俺を涙目で睨み付けながらも、照れくさそうにあらためて冒険者達を見回す。
ダクネスと視線が合った連中は、照れくさそうにはにかんだり、笑顔を見せたり。
それらを見たダクネスも、笑みを浮かべながら。
「皆、ありが」
「わあああああああーっ! カズマさーん、カズマさーん!! なんか、こないだよりもヒュドラが起きるの早いんですけどー!」
ダクネスのお礼の言葉を遮りながら、いつの間にか湖に入っていたアクアが喚く。
同じく、湖の近くで魔法の準備をしていためぐみんが。
「だから私は言ったではないですか、ヒュドラを起こすのはカズマの合図を待った方がいいって!」
「だって! だって!! 早く帰って、ゼル帝の誕生を......!」
意を決してお礼を言おうとしたダクネスが、最悪のタイミングで邪魔をされ、恥ずかしさの余り顔を赤くして震えている。
アクアを追い掛けていたクーロンズヒュドラが、盛大な水飛沫をあげ姿を見せた。
「お前らってやつはどいつもこいつも! 色んな意味で台無しだよ!!」
戦闘開始──!
8
若干フライング気味のスタートになったが、作戦の概要はこうだ。
「盗賊職の連中は、鋼鉄製のワイヤー持ったな!? アーチャー職の連中は、フックロープ付きの矢を用意して待機!」
「わあああああ、はやくしてー、はやくしてー!」
まずはアクアがヒュドラを起こし、湖の縁までおびき寄せる。
「頑丈な連中は後衛を守るため、盾としてその場で待機!」
続いて鎧に身を固めた前衛職が、ヒュドラの攻撃から後衛を守る。
「魔法使い職はいつでも魔法が撃てる様、準備をして後方待機! 使う魔法は、各自が持てる中で一番強いヤツを頼む! 次弾は必要ないから、全魔力を込めてとびきりのを用意してくれ!」
「任せてください! 今度こそ、我が爆裂魔法であのにっくきヒュドラを消し飛ばしてくれましょう!!」
魔法使い達にはヒュドラにトドメを刺すため、必殺の魔法を準備してもらう。
そして......、
「ダクネス、お前はヒュドラの正面でおとりスキルを使ってくれ! お前の硬さが勝負の決め手だ!! あっさりやられるんじゃないぞ!」
「私を誰だと思っている! 他の事ならともかくも、防御に関しては誰にも負けない!」
ダクネスがヒュドラの注意を引いて、真っ向から受け止める!
「ねえカズマー! 私は? 私は何をしてればいいの!?」
「皆に支援魔法を掛け終わった以上、お前は怪我人が出るまではやる事はない! 邪魔にならない様隅っこで応援しとけ!」
「なんでよー! 私にも活躍させなさいよ!!」
そして、ダクネスがヒュドラの動きを止めているところを......!
「ダクネス、任せた!」
「任されたっ! お前の相手はこの私だ! 『デコイ』ーッ!」
水際に陣取ったダクネスが、おとりスキルを発動させた。
ヒュドラがダクネス目掛け一斉に首を向けると同時、俺は潜伏スキルで出来るだけ気配を消しつつ、ヒュドラに向かって駆けだしていた。
俺はもとより、他の冒険者ですらまともに食らえば一撃でエリスのもとに召されそうな八本首からなる猛攻を、ダクネスは顔をしかめながらも真正面から受け止め続けた。
「「「「『バインド』ッッッッ!」」」」
ダクネスを追って陸に上がってきたヒュドラが、八本の首を一カ所へと集めた瞬間、盗賊職の面々がワイヤーを使って長い首を結束させた。
それと同時にアーチャー職の連中がフックロープ付きの矢を放つ。
放たれたフックの先はヒュドラの硬い鱗に弾かれるものの、絡みついたワイヤーの隙間には引っ掛かる。
フックが掛かった事を確認した冒険者達が、こぞってロープの端に取り付き、綱引きの要領でそれを引っ張り始めた。
このまま更に湖から引き離し、ヒュドラの逃走を防止する。
その間も気配を消しながら近づいていた俺は、首を拘束されながらもダクネスから視線を離さないヒュドラの背に乗り、硬い鱗にぺたりと触れた。
「魔力が尽きないと倒せないなら、俺が魔力を吸ってやるよ!」
俺がドレインタッチで魔力を吸い上げ始めると同時、ヒュドラがビクンと身を震わせ暴れ始めた。
さすがはドラゴン、魔力の塊と言われるだけあり、魔力を吸われる事に対しては敏感だ。
「ヒャッハー! 効いてる効いて......うおおおおっ!?」
魔力を吸われるのを察したヒュドラが、首の拘束を解こうともがき始める。
だがバインドで結束された八本の首は、自らの背には届かない。
と、それを見ていた冒険者の一人が鋭く叫ぶ。
「カズマ、そっから逃げろー! お前バカなのか!? 何考えてそんなところに飛び乗ったんだ!」
「大丈夫だ、俺の持つ秘密スキルを使用して、このデカブツを弱らせる! こいつの魔力が尽きたのを見計らい、魔法使い連中は一斉射撃を......!」
俺がそこまで言ったのと、ヒュドラが身をくねらせ、背中を地面にこすりつけようとするのは同時だった。
ちょっ......!
「おわあああ潰れるー!」
「バカッ! お前は何をやっている!!」
ヒュドラの前にいたダクネスが、背中から投げ出された俺をとっさに捕まえ覆い被さる。
地面に押し倒される形になった俺は、こんな状況にも拘わらず超至近距離のダクネスの顔に狼狽してしまう。
ヒュドラの巨体がのし掛かってくるのを、ダクネスは腕立て伏せの体勢で俺が潰されまいと堪えていた。
「さすがダスティネスさん、腕力と耐久力半端ないっすね」
「言ってる場合かっ! くっ、これは無理だ、もう保たない......っ!」
このまま押し潰されれば、ダクネスはともかく俺の方は大変な事になってしまう。
赤い顔をして耐えるダクネスの下で、俺はのしかかってくるヒュドラに手を伸ばした。
「ダクネス、まだだ! まだ耐えるんだ、気を抜くんじゃないぞ! そのままの体勢を維持だ!」
「ッ!? まさかのお預けプレイか!? いや、これは無理、もう本当に無理で......っ!」
ダクネスが、毎日傷付きながらもヒュドラのもとに通い詰め、コツコツと魔力を減らしてきたのだ。
ここで逃がして、コイツの努力を無駄にさせるか!
この状況でもドレインタッチを全力で発動しながら、俺はダクネスを叱咤する。
「日頃あんまり役に立ってないお前が、珍しく活躍しているってのにもう終わりなのか!? 今年も我慢大会で連覇するんだろ!? こんな事に耐えられないヤツが、連覇なんて出来るのか!? この根性無し! お前、多数の冒険者に見られてる中でそんな無様な姿を見せるのか!?」
「くっ、ヒュドラによる重圧責めに鬼畜男による言葉責めとはなんというご褒美......っ! よりにもよって、なぜこんな日に......っ!」
赤い顔でぷるぷる震えるダクネスが瞳を潤ませ、首筋から汗を滴らせながらもなんとか耐える。
俺に全力で魔力を吸われ続けるヒュドラは、拘束された首を振り回し、ダクネスの上で激しく暴れ続けていた。
「引け、引けーっ!」
ヒュドラに射かけられたロープを摑んだ、今まで後衛職の盾になっていた重量のある冒険者達が、綱引きの要領でそれを引く。
耐えているダクネスを見て、救出を試みてくれているらしい。
ダクネスは満足気な微笑みを浮かべ、途切れ途切れに囁いた。
「も、もう......無理......、カ、カズマ......安心......しろ......死ぬ時は......一緒......」
「安心出来ねえよ諦めるな! 大体、このままだと死ぬのは俺一人だろうが! 支援魔法まで受けたお前が、ヒュドラにのしかかられたぐらいで死んだりするかよ!!」
今の俺の装備は、先日刀以外の装備を溶かされた事もあり普段着のままだった。
こんな状態でのしかかられれば、貧弱な防御力の俺は耐える間もなく死んでしまう。
さすがにこの短期間に二度も死ぬのは勘弁して欲しい!
「わ、私が諦めればカズマが死ぬ......。ああっ、なんだこれは......っ! お前からはまるでご主人様のごとく耐える事を命令されながらも、しかしそんなお前の命を私が握っているというこの矛盾......! 今の状況は一体どっちがご主人様なのだ!? 新感覚だ、新感覚だぞカズマ......っ!」
こいつ結構余裕あるな、ここ最近の、思い詰めた様な深刻な表情や単身で挑みかかっていた格好良さはどこ行ったんだ。
......と、まさに絶命のピンチに陥っていたその時だった。
「見ろよ、ヒュドラのヤツ随分弱ってきたんじゃねえのか!? しかも身動き取れないみたいだぜ! 大物賞金首、クーロンズヒュドラの首は俺がもらった! 賞金は、トドメを刺したヤツの総取りな!! 誰にも分け前なんてやらねーぜ!」
「ちょ、ちょっとあんた、この状況で何言ってんの!? それに、身動き取れないって言っても、首が束ねられてるだけだから油断してると......ああーっ! ダスト! ダストーっ!!」
聞き慣れた誰かの悲鳴が聞こえ、それと同時にフッと俺達に掛かる重さが減った。
勇敢な誰かがヒュドラを引きつけてくれたらしい。
俺達は暴れるヒュドラの下から何とか這い出し、めぐみんのもとへと駆け寄った。
「『ライト・オブ・セイバー』ッッッ!」
紅魔の里で何度も見た魔法の叫びを聞きそちらを見れば、いつの間にこの討伐に参加していたのか、紅魔族の少女ゆんゆんがヒュドラの首をはね飛ばしていた。
どうやら誰かが食われたらしく、それを救出した様だ。
......というか、影の薄いあの子が付いてきてくれていた事に、今更気付いた。
いや、ここに来る道中、誰かにおずおずと声を掛けられた記憶はあるのだが、ダクネスの事で頭が一杯だったせいで......。
と、冒険者の一人が叫ぶ。
「おい見ろ、切り落とした首が再生しないぞ!?」
その声にそちらを見れば、確かにヒュドラの首は七本に減ったままだった。
そしてヒュドラは湖の底に逃げ込もうとしている様だが、重い鎧を装備した重量級の冒険者達にロープで引かれ、思うように逃げられずにいる。
「魔法使いの皆さーん!!」
俺が大声を張り上げると、全力で魔力を練り上げ、自身が持てる最も強力な魔法を準備した魔法使い達が、目を輝かせて合図を待つ。
「攻撃開始ー!!」
俺の号令と共に、大量の攻撃魔法がヒュドラを襲う。
ファイアーボールやライトニングが乱れ飛ぶ中、二人の紅魔族が猛威を振るった。
「『ライト・オブ・セイバー』ッッッッ!!」
ヒュドラの首に向け光り輝く手刀を一閃させた後、めぐみんにドヤ顔を見せるゆんゆん。
それを見ためぐみんは、口の端をフッと上げ、赤い瞳を輝かせてヒュドラに向けて杖を構える。
「爆裂魔法が飛ぶぞー! 水際にいるやつは避難しろー!」
「耳を塞げーっ!」
長くアクセルの街で暮らしている間に、既にめぐみんの魔法にも慣れっこになった冒険者達が手際よく耳を塞ぐ中。
「さあ、カズマの敵を取らせてもらいます! 天国にいるあの人への、手向けの花になるがいい......!」
おい待てよ、敵討ちはいいんだけど、俺、天国じゃなくここにいるよ。
「『エクスプロージョン』──ッッッッ!!」
めぐみんの杖から放たれた閃光が、幾多の魔法を食らい虫の息だったクーロンズヒュドラへと突き刺さる。
長い間この一帯を枯れ地にしてきた大物賞金首は、悲鳴を上げる間もなく永遠の眠りに就かされた──
9
「私の勝ちだと認めてください! 私が消し飛ばしたヒュドラの首は六本! ゆんゆんはたったの二本! どちらが上か、誰が見ても明らかではないですか!」
「な、何でよ、めぐみんはヒュドラが瀕死になるまでただぼーっと待ってただけじゃない! 私はヒュドラに囓られた人を助けたし、そこら辺もポイントに入れるべきよ!!」
「報酬を独り占めしようとして勝手に突っ込み、ぱくーといかれたチンピラの救助など一ポイントが良いとこですね。大体あなたも紅魔族の端くれならば、美味しいところを持っていくために待つ重要性は分かっているはずでしょう!」
ヒュドラを倒した俺達は、ぞろぞろと冒険者達を引き連れて、晴れ晴れとした顔でアクセルへと帰っていた。
俺の隣ではゆんゆんが、魔力を切らしためぐみんにおんぶを強要され、先ほどからずっと言い争いを続けている。
大物賞金首が相手だったというのに、今回の被害はたったの一人で済んだらしい。
その一人も、既にアクアの手によって蘇生されていた。
「しっかし、俺達でも案外何とかなるもんなんだな! いや、カズマんところのパーティーがいなかったら無理だったか」
「そうだね、やっぱカズマって凄いよ! 今回のヒュドラ退治の報酬は山分けって事だったけど、カズマ達は多めに持ってくべきだよ。ちょうど、『賞金は、トドメを刺したヤツの総取りな!』って言い出したバカがいたから、そのバカの分をもらうといいよ」
俺が一度パーティーを組んだ事のある冒険者、キースとリーンがそんな事を言ってくれる。
だが、今回の討伐は皆がいたから成し得た事だ。
なので......。
「それじゃあ......。ヒュドラとの激戦で皆疲れただろうし、今日のところはゆっくり休んで、明日はその分の報酬でパーッとやろうぜ!」
「「「「ひゃっはーっ!」」」」
「噓だろおおおおお!」
歓声に交じって誰かの悲鳴が聞こえた気がしたが、俺は機嫌良さそうに隣を歩く、ダクネスへと視線を向けた。
ここ最近、焦り、辛そうに沈んでいたダクネスは、憑きものが取れたかの様に清々しい顔をしている。
「おい、念願のヒュドラが討伐された気分はどうだ? これで明日からはぐっすりと眠れそうか?」
「ああ、おかげで色んなものが吹っ切れた。自分が何を悩んでいたのかバカらしく思えるほどにな。だがそれは、ヒュドラが倒されたからではないぞ」
俺の隣を歩くダクネスは、そう言って何日かぶりの笑顔を見せる。
「私はこの街の連中が好きだという事を、あらためて自覚した。おかげで迷いは無くなった。もう何も怖くないし、後悔もしない」
「お前、たまにそうやって恥ずかしい事を平気で言うよな」
俺にからかわれたダクネスは、ちょっとだけむくれると脇腹をつねってくる。
そして......。
「私は幸せ者だ」
やっぱり、そんな恥ずかしいセリフを堂々と口にした。
「ねえ、もっと私を敬って! 生き返らせて頂いてありがとうございますアクア様って、もっとたくさん褒め称えて!」
「おいカズマ! 生き返らせてもらったのには感謝するが、さっきからお前んとこのプリーストが面倒くせえぞ!」
1
「冒険者の皆さん! 昨日は本当に、ほんっとうに、ご苦労様でした!! 大物賞金首『クーロンズヒュドラ』討伐、おめでとうございます! つきましては、皆さんに多大な賞金が支払われますのでっ!」
「「「「うおおおおおおおーっ!!」」」」
ギルド職員の宣言に、冒険者ギルドが歓声で埋め尽くされた。
クーロンズヒュドラを討ち果たした俺達は、激戦の疲れを癒やした後、こうして冒険者ギルドへと集まっていた。
現在、ここにいるのは昨日の討伐に参加した者ばかり。
今から手にする賞金を期待してか、そこにいる誰しもが満面の笑みを浮かべていた。
「それにしても、せっかくの報酬受け取りだってのにダクネスはどうして来ないんだ? 今日は皆で宴会やるって事忘れてんのか? それとも、昨日の件で照れてんのか?」
「それはあるかもしれませんね。昨夜のダクネスときたら、私達の前でも恥ずかしがっているのか、いつもよりテンションが高めでした。普段はあまりお酒を飲まないクセに、珍しく深酒してましたし。いつもなら私がお酒を飲みたがると叱るのに、なぜかダクネス自ら勧めてきたり......」
ギルド中央のテーブルに陣取った俺達は、昨夜の妙に浮かれたダクネスを思い出す。
「ダクネスは私達の中で一番年上だけれど、あれで子供みたいなところがあるしね。不器用で恥ずかしがり屋な子だから、まだ皆の前に出て来られないのも仕方ないわ。留守番してるダクネスに、お土産買って帰りましょうよ」
相変わらず柔らかな光を放つ手の中で器用に卵を転がしながら、アクアが上から目線で大人ぶる。
「何シレッとダクネスを年上扱いして若さアピールしてんだよ。お前、年齢不詳のババァじゃねえか」
「佐藤和真さん、私は以前言いましたよね? 次にその様な話をしたら、今度こそ本当に天罰を与えると。あなたには、冷えた飲み物を頼んでもすぐに生温くなる罰を与えます」
真剣な顔でバカな事を口走るアクアを尻目に、俺は嬉々として報酬を受け取る冒険者達を眺めていた。
今回の報酬は十億エリスを参加した皆で分ける事になっている。
十億エリス。
あの賞金首が十億エリスである。
何でもあのヒュドラがいなくなった事で、今後湖の周りは肥沃な大地に変わるとの事。
十億エリスという高額賞金は、ヒュドラ亡き後の栄養豊富な開拓地に対する代価らしい。
今回賞金首討伐に参加した冒険者の数は五十人ほど。
つまり、一人頭の報酬は二千万エリスという事だ。
冒険者達が次々と名前を呼ばれ、やがて俺が報酬を受け取る番に。
「では、サトウカズマさんのパーティーは、四人分の報酬八千万エリスに合わせ、討伐参加者の皆さんの希望により、更に追加で二千万エリス。計一億エリスを支払わせて頂きます!」
「ありがとうございます! よし、お前ら! この二千万エリスは、皆で派手に......。お、おい離せ! あんたこないだも俺に賞金渡すの渋ったな、こらっ、この手を離せ!」
賞金の入った袋から手を離さない職員から、無理やり袋を奪い取ると。
「おいお前ら! 昨日はあらためて協力感謝だ! 宴会しようぜ!!」
「「「「「おおおおおおおお!」」」」」
冒険者ギルドに響き渡る野太い歓声。
時刻は昼だが、今日は当分の間帰る事は出来なさそうだ──
2
すっかり日が暮れたアクセルの街を、屋敷に向けて帰る途中。
ヒュドラも無事討伐し、いよいよ何の心配も無くなった俺達は、普段喰う物より高めの食材を購入した。
これを使い、家で留守番中のダクネスと二次会を始めるのだ。
買ってきたのは霜降り赤ガニ。
ダクネスの実家から贈られて以来、食べた事のない高級食材だ。
それを見たアクアが先ほどからやたら興奮して煩かった。
「──おいダクネス、帰った......ぞ......? あれ、なんだよあいつ。出掛けてるのか」
俺達が屋敷に帰るも、ダクネスはいなかった。
と、テーブルの上に一枚の紙が置かれているのに気が付く。
そこにはダクネスの字で、領主のもとへ今回のヒュドラ退治の報告に行くと書かれてある。
昔俺達の手によって破壊された領主の屋敷が、ようやく完成した様だ。
屋敷に帰ってきたアクアは、ポケットに入れていた卵を取り出し、早々とソファーの上で卵の孵化作業に戻り、エサを待つ雛の如く、晩御飯を早く早くとせっついてきた。
「おいやかましいぞ。料理が出来ても、ダクネスが帰ってくるまではお預けだからな? 後、いい加減ひよこの孵化作業にばかりかまけてないで家事の手伝いもしろよ。トイレ当番はちゃんとやれよ?」
「ねえカズマ、育児中の女性にはもうちょっと労りを持つべきだと思うの。それに、いい加減ひよこひよこ言うのも止めて欲しいわね。そんなにこの子を邪険にすると、ゼル帝が生まれて大きくなった時に囓られてもしらないからね?」
結局、ダクネスはその内帰るだろうという事で、俺とめぐみんで晩御飯を作ってしまう事にした。
もう一人は卵の孵化作業があるので、ずっとソファーの上でゴロゴロしている。
やがて普段より豪華な料理が完成し、それらが広間のテーブル上へと並べられた。
「ねえカズマ、ダクネスが遅いんですけど。私、料理を目の前にもう耐えられないんですけど。とっととダクネスを探してきてー、探してきてー」
「お前、金も出さない、料理もしないくせに、また随分な態度じゃないか」
俺とアクアがそんな事を言ってる間に、めぐみんが四人分の食器とお茶を用意した。
「今日の料理はちょっと凝ってますね。お嬢様のダクネスでも、あまり食べた事の無い料理ではないでしょうか。ふふふ、我が料理を食した際の反応が楽しみです」
「お前、塩振って食器出しただけじゃないか」
だが、めぐみんが胸を張るのもよく分かる。
自分で言うのもなんだが、今日の料理はなかなかだ。
ここ最近の美食巡りに味をしめ、俺は幾ばくかのお金を払い、『料理』スキルを教えてもらった。
何せこれからは、冒険は趣味程度でやるつもりだ。
という事で、戦闘関連のスキルを取るより、普段の生活水準を向上させる方を選んだ。
大金を得た事だし、なんなら料理のお店を出してみてもいいかもなあ......。
そんな事を考えながら、俺達はダクネスの帰りを、今か今かと待ち続けていた。
──やがて、夜の帳が下りる頃。
そんな時刻になっても、まだダクネスは帰らなかった。
「ねえカズマー! もう冷めちゃったわよ、温め直してー」
「......ご飯を前にお預けとか。私はダクネスじゃないんですから、こんなプレイちっとも嬉しくないですよ。......帰ってきたら、罰としてソファーの前に正座させ、しばらくお預けさせて、目の前で食べてやります」
「多分、あんまり罰にならないと思う。むしろ......。......にしても遅いなぁ。晩飯までには帰るって言ってた癖に、何やってんだよアイツは。バニルの占いの通り、実家でなんかあったのか? それならそれで、何があったのかぐらい知らせろってんだ」
皆で愚痴を言いながら更に待つ。
やがて、その苛立ちは怒りに変わり、ダクネスが帰ってきたらどうとっちめてやるかの会議になる。
大概の罰はご褒美に変えてしまうあの女に、一体何が効くのかを真剣に考えた。
それでも、誰一人、もう食っちまおうぜとの案だけは出ない。
結局、アクアコーディネートの超可愛らしい服を着せ、ギルド及び街中引き回しの上、一日借りるだけでも高額がかかる魔道カメラでの撮影会となった。
ダクネスへの罰が決まった時には、そろそろ日付が変わろうとしていた。
「......遅いねぇ」
アクアがぽつりと呟くが、それでも食事に誰も手を付けようとはしない。
ヒュドラ討伐に成功した事の報告は、これほど時間が掛かる事なのだろうか?
いくら相手があのドスケベ領主だとはいえ、貴族であるダクネスに何かするとも思えないのだが......。
もう、このまま待っていても、今日は帰ってこないかもしれない。
明日、また朝帰りでもしたら、あいつ思い切りとっちめてやろう。
「今日は帰ってきそうにないな。帰らないなら連絡ぐらい寄越せってんだ。......おい、もう食っちまおうぜ」
俺がそう言うも、困った表情を浮かべ、食事に手を付けようとしない二人。
......ああ、くそっ!
あのドMが、真剣に泣いて嫌がる事をしてやろう。
小一時間ほどバニルをレンタルし、根掘り葉掘り恥ずかしい質問をされる刑。
よし、これでいこう。
帰るのが遅くなればなるほど、バニルに尋問される時間を増やしてくれる。
俺が密やかにそんな決意を固める中。
ダクネスはこの日、帰って来る事はなく。
それどころか、その次の日も。
また、その次の日も。
ダクネスが屋敷に帰ってくる事はなかった──
3
「ねえカズマ、それって何? 何作ってるの?」
俺は広間のテーブルで、朝からせっせと工作していた。
自分が作っていた物を手に取りアクアに見せる。
それはダイナマイトの模造品。
ノーベルが最初に作った様な、ニトロを砂と混ぜて固形化したものを紙で巻き、導火線をくっつけた簡易な物だ。
この世界ではまだニトロも発見されてはおらず、導火線に使えそうな火薬もないので、これに火を付けてももちろん爆発なんてしない。
そもそも細かい原理も知らないので、俺に作る事など出来ないが......。
「こういった、なんとなくの原理や形は分かってるけど、材質の問題で作れない物を形だけでも作ってるんだよ。これだけでも、頭が良くて先を見る目のある奴なら、ニトロ代わりの物を生み出すなりして買ってくれる」
「なるほど、オーバーテクノロジーな現代兵器をこの国に持ち込んじゃうわけね! カズマ......恐ろしい子......!」
作るまでもなくボツだろうと思って、あえて開発を控えていた物も、万が一買い取ってくれるかもしれないので一応作ってみた。
アクアは腹に卵を抱き込みながら、ダイナマイトの模造品を手に取り眺める。
俺がこんな事を始めたのにも訳がある。
今朝早く、ダクネスから手紙が届いた。
「アクアが今持っているそれは、何に使う物なのですか?」
ダクネスから届いた手紙をじっと読んでいためぐみんが、そう言って顔を上げる。
「これは、爆裂魔法を再現する事が出来る、ダイナマイトっていう道具のレプリカよ」
「!?」
めぐみんが、アクアの手からそれを奪い取る。
爆裂魔法を再現という言葉に激しく反応した様だ。
「そいつは、魔力を使わないから誰にでもお手軽に使える利点があるんだ。もっとも、今はまだとてもじゃないが作る事は......」
「ぬああああああああーっ!」
「ああああああああ!? 人が苦労して作ったのに、お前いきなり何しやがんだ!!」
窓に駆け寄っためぐみんが、それを全力で投げ捨てた。
「こんな物で究極の魔法をお手軽に再現されてたまるものですか! 邪道な武器の開発は、この私が認めませんよ!」
「こ、こいつ面倒くせえ......!」
興奮冷めやらぬめぐみんは荒い息を吐いていたものの、その内、思い出した様に先ほど読んでいた手紙を広げた。
それは、ダクネスからの俺達に宛てた手紙。
めぐみんは、一体何度目になるのか分からないぐらい目を通したそれに、何か隠された意図がないかともう一度読み、手紙をテーブルの上にそっと置くと。
「ダクネスは、本当にこのままパーティーを抜けちゃうんですかね......」
俺とアクアはその言葉に無言になる。
「......しょうがないだろ、実家が実家だ。元々、今まで俺達みたいな一般人と冒険が出来てたって事がおかしいんだよ」
「で、でも! これって絶対変ですよ! ダクネスが何も言わずにパーティーを抜けるだとか! 私達は手紙一枚でお別れを済ませる様な、そんな薄っぺらな関係ではないはずですよ!」
めぐみんが、俺の言葉に食って掛かった。
「そうよね。私はアレよ、カズマの行き過ぎたセクハラが原因だと思うの。とりあえず、私達の洗濯物を浴槽にたくさん入れて、『うひょー、下着風呂だああああー!』ってやつは止めた方が良いと思うわ」
「やってねえ! 今はまだそんな事やってねーよ!」
「今はまだって言いました?」
俺はめぐみんがテーブルに置いた手紙を取り上げ、改めて中を読む。
『突然こんな事を言い出して、本当にすまない』
それを読み返しながら......。
『お前達には言えない、込み入った事情が出来た。貴族としての、やむを得ない事情だ』
俺は手紙をクシャッと丸め。
そのままゴミ箱の中に、叩きつける様に投げ込んだ。
『お前達とは、もう会えない。本当に勝手な事だが、パーティーから抜けさせて欲しい。どうか、私の代わりの前衛職をパーティーに入れてくれ』
そんな俺の様子に、ちょっと怯えた表情を浮かべるアクアとめぐみん。
くそ、俺は何をイライラしてるんだ。
『お前達には感謝している。それは、どれだけ感謝しても足りない程で......。お前達との冒険は楽しかった。私のこれまでの人生の中で、一番楽しい一時だった。私は今後、お前達との冒険の日々を絶対に忘れる事はないだろう』
しょせんは住む世界が違うお嬢様。
それが、元いた世界に戻って行っただけの事。
そうだ。攻撃がちゃんと当たる、新しい前衛職を仲間にして、それで解決だ。
俺はテーブルの前に座り、次なる製品の作製に取りかかる。
『今までどうもありがとう。ダスティネス・フォード・ララティーナより。愛する仲間達へ、深い感謝を──』
パキッという音と共に、俺の握るカッターの先が折れた。
知らず知らずの内に力が込もっていたらしい。
そんな俺の様子を見て、めぐみんが口を開いた。
「......カズマも気になってるんじゃないですか。素直になりましょうよ! そして、もう一度ダクネスの屋敷に行きましょう!」
そう言って、拳を握り俺に迫る。
ダクネスが帰ってこなかったあの日。
結局俺達は、日付が変わりしばらくした後、冷えた料理をモソモソと食べ。
そのまま朝早くダクネスの家へと、心配させんなと襲撃に行ったのだが......。
「また門前払いされるのがオチだって。相手は仮にも大貴族だぞ? 強行突破でもしてみろ、俺ら全員逮捕だ逮捕。ダクネスや親父さんの事だから処刑はないだろうが、あいつが会いたがっていない以上どうしようもできないだろ」
俺の言葉に、めぐみんがシュンとうな垂れる。
ダクネスの屋敷に行った俺達は、『事情は申せません、お引き取りを』の一点張りの門番により追い返された。
俺はイライラしながら折れたカッターの代わりを......。
「カズマ、何だかんだいってもダクネスのために何か出来ないかって考えてるんでしょ? だからそんな、一生懸命新しい商品開発なんかして。あの、役に立たない悪魔の助言なんか信じちゃってるのね? 悪魔ってのはね、屁理屈ばっかりこねる、いい加減な連中なのよ? 無償で人助けをする連中じゃないんだからね?」
イライラしていた内心を指摘され、俺は思わず動きが止まる。
「べ、別にそんなんじゃねーし!? マジメに働きたくないから、更に楽して大金せしめようとしてるだけだし!」
それを聞いたアクアが真顔で。
「ツンデレ? ねえカズマ、ツンデレなの? 素直じゃないんだから。ダクネスがいなくなって寂しいって言えばいいのに。私ツンデレは、金髪ツインテール以外は認めない派なの。それが分かったなら、今すぐ髪を染めてツインテにしてきなさい」
「..................」
調子に乗りましたごめんなさいと叫び、半泣きで激しく抵抗するアクアから卵を奪い、今日の昼飯にしてやろうとする俺を見て。
めぐみんが寂しそうにぽつりと言った。
「二人のいつものやり取りを見ていても......。なんか、足りない気がします......」
4
ギルドへ向かう俺の後を、不機嫌なめぐみんがちょろちょろと付いてくる。
正直言って、卵の孵化に夢中なアクアの様に、今日のところは屋敷で大人しく留守番していて欲しい。
「......なあめぐみん。小遣いやるから屋敷に帰ってくれないか?」
「嫌ですよ。私だってパーティーメンバーなんですから、新しいメンバーを選定する権利はあるはずです」
めぐみんは、先ほどから俺の話をロクに聞こうともしない。
それもまあしょうがない。
俺は今、冒険者ギルドでダクネスの代わりの前衛職を探そうとしているからだ。
めぐみんは、わざわざ俺のすぐ真後ろにトトトッ、と詰め寄ると。
「たかが数日留守にしたぐらいで、よくも苦楽を共にした仲間をあっさりと切れますね。カズマは鬼です。鬼ですよ」
めぐみんはそれだけ言うと、再び俺からトトトッと距離を取り、俺の数歩後ろを付いてくる。
「ち、違うだろ。新しいパーティーメンバーを入れて欲しいってのは、ダクネスの望みだからだろ。俺だってダクネスが戻ってきてくれるならそれが一番いいさ。でも、本人が......」
それを聞いためぐみんが、再びトトトッ、とわざわざ俺の真後ろに立ち。
「そんなのは、ただ単に意地になっているだけですね。先ほどアクアに、あんな事言われたから恥ずかしがっているんでしょう? 認めたくないんでしょう? 強がってるだけなんでしょう? いつまでも新しいメンバーを入れないと、ダクネスに未練タラタラだって思われるのが嫌なんでしょう?」
それだけ言うと、再びめぐみんは俺からトトトッ、と離れ、距離を置いた。
う、うっとおしい......!
それからは、ギルドまでの道のりをめぐみんは付かず離れず尾行してくる。
隣を歩けばいいのにそれもせず。
それでいて、俺がダッシュで撒ける程には距離を取らないとこが憎たらしい。
やがて冒険者ギルドの前に立つと、めぐみんが近付き、俺の服の裾をクイクイと引っ張ってきた。
「カズマ、中に入らない方がいいですよ? さもなくば、紅魔族の恐ろしさをその身に味わう事になりますから」
「やれるもんならやってみろ。余計な事しやがったら、お前が大事にしてるその杖でトイレの詰まりを直してやるからな」
顔を引きつらせるめぐみんを連れギルドに入る。
俺はパーティー募集掲示板の前に行くと、そこに張ってある紙の中から目ぼしい物を探し出した。
こちらから募集の紙を張る事はない、どうせ俺達の悪名は知れ渡っているのだ。
今更前衛職募集の張り紙をしたとて、人が来る事がないのは分かりきっていた。
なので、どこかのパーティーに入れてくれって奴をとっ捕まえ、多少強引にでも仲間にするのだ。
......と、早速良さそうなのを見つけてしまった。
職業戦士。得意武器は片手剣。
防御力には自信あり。前衛での盾役希望。
性別は男性で年は18。
......悪くないのではなかろうか。
俺はその紙を剝がすと、冒険者が待っているテーブルへ近づいていく。
「えっと。......すいません、この募集の紙を見たんですが」
俺が声を掛けると、その男は俺達の事を知らないのか明るい表情を浮かべ。
「あっ、はいっ! 初めまして、俺、戦士の......」
「おっと、自己紹介はまだ結構です」
その男が言い掛けたのを、後ろに付いて来ていためぐみんが遮った。
......嫌な予感しかしない。
「それよりも先に、あなたが我がパーティーに相応しいかをテストします。何せ我々は魔王の幹部と渡り合う超一流パーティーですからね。テスト内容は、単身で大物賞金首の討伐を......痛っ!」
「テストなんてないから! こいつの言うことは無視してくれて構わないから!! 悪いけど、ちょっと待っててくれ」
「は、はあ」
バカな事を言い出しためぐみんをはたき、止めさせると。
「──おい、ちょっとこっち。お前、こっち来い」
「断る。......あっあっ、フード引っ張るのはやめてください、このローブは友人からもらった大事な物なんです、伸びるじゃないですか」
俺はめぐみんを連れて、戦士風の男に話を聞かれない位置へ移動する。
「お前、分かってるか? ダクネスが帰ってきたら五人パーティーにすればいいだけの話なんだからな? 耐久力の低い俺じゃ壁はできない。アクアも同じだ。お前は論外。つまりダクネスがいない今、多数のモンスターを相手にするなら壁役は必須なんだからな?」
「分かってます、分かってますよカズマ。私だって前衛職の重要性はよく分かってます。では、面接しましょう」
こいつ絶対分かってない、確実に何かやらかす気だ。
「いいか、数多の魔王軍幹部を倒してきた俺達は、そろそろ魔王に目を付けられてもおかしくない。以前バニルが派遣されてきたのだって、この街でベルディアが倒されたからなんだぞ。万が一に備えて、最低限の戦闘は出来るようにしておきたい。なんなら、あの兄ちゃんは臨時パーティーって形にしたっていい。分かったか? 邪魔するなよ?」
「分かってます。邪魔しません。邪魔しませんよ」
やたら素直にコクコクと頷くめぐみん。
ハッキリ言うと、こいつが素直で大人しい時は何かやらかすと考えておいた方がいい。
俺はめぐみんに注意を払いながら、先ほどのテーブルへ戻る。
「えっと......。悪いね、急に。俺はサトウカズマ。カズマでいいよ。で、こっちは......」
俺が紹介しようとすると、めぐみんはマントをバサッと翻し、ギルド中の皆がギョッとする程の大声で。
「我が名はめぐみん! アクセル随一の魔法の使い手にして爆裂魔法を操る者っ! このギルドでの通り名は頭のおかしい爆裂娘! さあ、我とともに......痛っ!!」
ギルド中の視線を集め、いきなりとんでもない自己紹介を始めためぐみんを、慌ててはたくが遅かった。
戦士風のその男は、思い切り顔を引きつらせ。
「あ、あの......。噂には聞いてましたが、あなたが......。す、すいません、あの噂は大げさなものだとばかり......。俺には荷が重すぎるんで、その、他を当たって下さい......」
あの噂とはなんだろう。
俺達の悪評は予想以上に酷いのかもしれない。
何度も謝る男を見送り、めぐみんは満足そうに、それでいて大切な何かを失った様な顔で俺に向かって笑いかけた。
「カズマ、彼はダメそうですね。私は自己紹介をしただけですよ。次です。次に行きましょう」
なんという自爆テロ、俺はめぐみんの覚悟を甘く見ていた。
まさか、自らおかしい子を地でいくとは。
というか、次と言われても......。
俺とめぐみんが掲示板に行き、目ぼしい募集を見つけそちらを見るも、すかさず目を逸らされる。
......今の、ギルド中に響く自己紹介が致命傷だった様だ。
くそっ、普段は考えなしに爆裂魔法を撃ちまくるくせに、こんな時だけいらん知恵が回りやがる。
と、その時だった。
「おいカズマ。なんだよ、メンバー募集してんのか? なら、俺に声かけてくれよ」
途方に暮れていた俺にそう声を掛けてきたのはダストだった。
今日は他のパーティーメンバーとは一緒ではないらしい。
「お前、パーティーメンバーならいるだろうに。いつもの連中はどうしたんだ?」
俺の言葉にダストは嫌そうに顔をしかめ。
「聞いてくれよカズマ。あいつらヒデーんだぜ? ヒュドラ戦で大金せしめたからって、しばらく仕事する気になれないだってよ! 俺はヒュドラ戦の報酬もらえなかったから稼がなきゃならねえ。でも殆どの冒険者達は今、懐が潤っているから臨時のパーティー募集もあまりしてなくってな? 戦士系なんて一番有り余ってるクラスだしよぉ......。ってわけでだ。前衛探してるなら俺なんてどうだ?」
めぐみんが、余計なとこに現れやがってとばかりにダストを睨みつける。
確かこのチンピラは、素行はアレだが腕は立つという噂を聞いた事がある。
めぐみんやアクアもこいつとは一度パーティーを組んだ過去があり、俺としても気心が知れている。
断る理由もない俺は、ダストとお試しでパーティーを組む事になった。
──とりあえず臨時パーティーを組んでお互いの相性をみるという事になり、俺達は適当なクエストを請け、街の郊外にある大農場へ出向いていた。
今の季節は梅雨である。
梅雨といえばカエルと言いたいところだが、この季節にはもっと厄介な相手がいた。
「狙撃! 狙撃狙撃狙撃! ......こりゃダメだ、俺の弓矢じゃダメージを与えられねーよ! っていうかコイツら、硬過ぎるだろ!」
「アダマンマイマイに弓や刃物は意味がねえ! カズマ、そっちは魔法でどうにか足止めを頼むわ! 俺はロリっ子が魔法を完成させるまで、こいつらから畑を守る!」
「おい、ロリっ子とは誰の事を言っているのかを聞こうじゃないか!」
俺とダスト、めぐみんの三人は、同じくこのクエストを受けた他数名の冒険者達と共に、農場の害獣駆除を行っていた。
梅雨の時季になると、畑の作物を食い荒らす巨大カタツムリこと、アダマンマイマイが大量発生するのだとか。
そして現在、俺達の後ろでは......。
「おいっ! ジョセフが夏タケノコにケツを突かれた! 重傷だ、もうコイツに野良作業は出来ない! 早く連れて行けっ!」
「猪が! この混乱を見てチャンスだとばかりに、猪や他の害獣も集まって来たぞ!」
農場で、収穫作業にあたっている農家の人達の中からそんな罵声が聞こえていた。
農業とは、どこの世界でも大変なお仕事の様だ。
「『フリーズ』! 『フリーズ』『フリーズ』! 『フリーズ』!!」
アダマンマイマイにフリーズを掛けて体温を下げ、一時的に動きを鈍らせる。
アダマンの名に恥じず、コイツは殻以外の部分もそれなりの硬度を持ち歯が立たない。
俺では、こうして時間を稼ぐくらいの事しか出来なかった。
畑の中央では、何匹かの猿を撃退したダストが、手にしていた長剣を地に突き刺し、その剣の柄をしっかり握り、左手の盾を前に構えた。
畑を目掛け、前方から突進してくる大きな猪。
ダストは、それを迎え撃つ様だ。
「こいやあーっ!」
ダストが腰を落として足を踏ん張り、剣の柄を握る手に力を込める。
ダクネスなら、きっとビクともせずにアレを受け止められるのだろう。
なんせ、ヒュドラの猛攻ですらも耐えたのだ。
だが、それをダストに求めるのは酷というもの。
牛程もある大きさの猪は、そのままダストを目掛けて突進すると......!
「グハアッ!?」
ダストが猪に跳ねられ宙を舞う。
だが猪の方も、流石に鋼鉄製の鎧を着込んだダストへの突撃は無事ではすまなかったのか、ヨロヨロとその体をよろめかせ、やがて突進の足を止めた。
俺は猪に駆け寄ると、すかさず刀で斬りかかる。
普段の様に苦戦する事もなく、あっさり猪をしとめた俺が、他はどうなっているのかと振り向くと。
数名の冒険者達は大量の猿達に防御を抜かれ、次々と農場への侵入を許していた。
ああ、畜生っ!
俺は、跳ね飛ばされてピクピクしながら転がっているダストは一旦放っておき、猿達を弓で狙撃する。
「カズマっ! 爆裂魔法の詠唱が終わりましたよ!」
めぐみんが俺に魔法の完成を告げる中、俺は逃走する猿の群れを指差し、叫んだ。
「やれっ! めぐみん! まとめてぶっ飛ばしてやれっ!」
その俺の指示に、他の冒険者の誰かが叫んだ気がした。
「ちょっ......! 待っ......!」
「『エクスプロージョン』ーッ!」
めぐみんの爆裂魔法は、猿に猪、アダマンマイマイ、そして畑の作物すらも、皆まとめて消し飛ばしていた。
5
害獣を駆除した俺達は、ギルドへ報告にやって来ていた。
討伐報酬は、参加した冒険者一人につき二万エリス。
相手は、人には危害を加えないアダマンマイマイに野生の害獣だ。
猪はともかく、命の心配まではしなくてもいいアダマンマイマイと猿の駆除でこの値段。
二万エリスというのも妥当なところか......。
まあ、俺達は。
「では、サトウカズマさん、めぐみんさん、ダストさんは、五千エリスという事で......」
野菜ごとまとめて吹き飛ばしたので、報酬もゴッソリ削られていた。
これは、めぐみんに適当な指示を出した俺のミスだろう。
謝る俺に、だがダストは。
「へっへ、まぁ、こんな事もあるわな。今日の酒代ぐらいにはなった。あんまり気にすんな。あのままじゃ、どうせ猿どもに逃げられてクエスト自体が失敗になってたしな!」
そう笑うと、受け取った報酬で早速冷えたジョッキを頼んでいた。
「あれです、アクアもダクネスもいない状態で、私達三人でよくやれたと言うべきですよ。他の冒険者達も少なかったですしね。あのクエストは本来なら、もっと多くの冒険者でやるものですから」
と、めぐみんもそんな事を言ってくる。
めぐみんは、クエストを達成できた事は喜んでいるようだったが、どこか浮かない顔だ。
......分かっている、ダクネスの事だろう。
ダクネスと比べるのは酷なのだが、やはりあのドMクルセイダーの壁役としての力は認めていただけに、どうしても比較してしまう。
ダストはダストで、それなりに猿も斬り捨てたりと、立派に前衛として活躍していたのだが......。
ダクネスなら、攻撃は当たらないものの、あの猪の突撃ぐらいじゃビクともしなかっただろうなとか、余計な事ばかり考えて......。
いや、今更あいつと比べてどうするんだ。
しばらくは、ダストを臨時メンバーとして様子を見よう。
──そんなこんなで、仮メンバーが決まった翌日。
玄関のドアがノックもなしに突然開くと、一人の男が飛び込んできた。
「......確かに昨日、これから一時的にパーティーを組むんだし、アクアに紹介するから家に来いとは言ったけど。そんなに慌ててどうしたんだ?」
そんな俺の疑問に、家に飛び込んできた男、ダストは荒い息を吐きながら。
「カズマ、大変なんだ! お前の力を貸してくれ! 頼む、一緒に来てくれないか!?」
ヒュドラ相手ですらトドメを刺そうと突っ込んでいったこの男が、これだけ慌てるのだから大事だろう。
俺は二人の方を振り向くと、
「よくわからんが、ちょっと行ってくる」
俺はダストに引っ張られるまま、そう言って屋敷を出ていった。
──ダストは俺の前を歩きながら、大変な事とやらを説明する。
やがて、その説明を聞き終わった俺は思わずその場に足を止めた。
「......えっと、ちょっと待ってくれ。つまりアレか? 大変な事って、リーンに男ができたって事?」
「そうだ! こんな大事件なのに、テイラーもキースもふーんの一言で済ませやがる!」
いや、俺もふーんとしか言えないのだが。
だがダストは拳を振り上げると。
「大事な仲間が、どこの馬の骨とも分からねえ奴といちゃついてやがんだぞ? カズマだって、仲間の女が変な男に引っかかったら心配だろうが!?」
まあ、俺だって仲の良い女友達がいたとして、その子に彼氏が出来たとしたら......。
「なんとなく分かる気はする」
「だろう!? さすがカズマだ、分かってるじゃねーか!」
テンションの高いダストが、そのまま俺に説明を続ける。
それによると、ここ最近、急にリーンの付き合いが悪くなったらしい。
それをダストが不審に思い、四六時中リーンの後をつけてみたら、もれなく知らない男と宿屋に入って行ったのだという。
「......お、お前、それ、ストー......」
「つまりだ! このぽっと出野郎にリーンがたぶらかされてるわけなんだよ! 俺は仲間が心配なんだ。相手の男を調査したい。頼むカズマ、他の二人は頼りにならねえ! この通りだ、協力してくれ!」
手を合わせるダストの言葉に、俺はしばらく考え込んだ。
人の恋愛に他人が干渉するってのも無粋な話だが、俺も人の事を言えるだろうか?
たとえば、ダクネスがある日突然彼氏が出来ましたとか言い出したら、どんな男か調べに行きたくなる。
ダクネスの場合は男の趣味が特殊過ぎるからだが。
「......分かった。ちょっと気持ち悪いが、俺もダストと同じ立場だったら、相手の男の調査ぐらいするかもしれない。リーンの場合は問題ないと思うけど、あの子とは一度冒険した事もあるし、相手がどんな奴か気にならないって言えば噓になるしな」
「うおおっ! 話せるなカズマ、頼りになるぜ!」
ダストに一抹の不安を覚えながらも、俺はついつい、ここ最近連絡の取れないダクネスとリーンを重ね合わせてしまい、付いていく事にした。
──ダストに案内されたのは、小さいながらも小綺麗な宿屋だった。
冒険者には似つかわしくない感じの、カップルがよく使いそうな、そんな宿だ。
「ここだカズマ。ここに、リーンをたぶらかしたゲス野郎がいる」
いや、まだ相手がどんな奴かも知らないだろうが。
いきり立つダストを見ながら、この男は無茶しないだろうかと若干心配になっていた。
「で、どうするんだ? まさか堂々と相手の男の部屋を訪ねるわけにもいかないだろ」
その言葉に、ダストはニヤリと笑みを浮かべ。
「俺が何年冒険者やってると思ってんだ。この稼業は用意周到でなきゃ長生きできない仕事なんだぜ? 相手が泊まっている部屋も調べてあるし、その部屋の隣を既に借りておいた」
お、お前......。
この男は今の内に通報しておいた方が良さそうな気がしてきたが、既にダストは宿のドアを開けていた。
俺もしょうがなく後に続く。
というか、この手回しの良さと行動力を活かせば、コイツはもっと大成するのではと思うのだが。
宿の中は、実に基本的なスタイルだ。
一階は食堂になっており、二階で部屋を貸すタイプである。
すでに話を通してあるのか、宿の主はダストと俺を見ても止めるでもなく、そ知らぬ顔をし気だるげに欠伸した。
ダストは、そのまま二階への階段を上がっていくと、やがて、ある部屋の前に立った。
「よし、ここだ。......壁が薄いから極力声を上げるなよ? 隣の部屋にはリーンも既にいるはずだ。あいつは耳が良いから、俺達の声だって気付くかもしれねえ」
俺はコクリと頷くと、ダストに続き部屋に入った。
そこはベッドとテーブルに小さなタンスしかないシンプルな部屋。
ダストはドアをそっと閉めると、壁に近付き耳を当てた。
俺も、何だかいけない事をしているなと思いつつ、同じ様に耳を当てる。
すると、隣の部屋から聞き覚えのある女の子の声が聞こえてきた──
『そう言われても......。私の口からは、何とも......』
それは間違いなくリーンの声。
だが、声の様子からしてあまり楽しげに話をしている様には思えない。
『リーンさん、僕が難しい事を言っているのは分かっています。本来なら、こんな事は許されるべきではありません。しかし、好きになってしまったものはしょうがないんです!』
『お、落ち着いて! その、よく考えてね? あなたは貴族で、本来冒険者なんて相手にするべき立場の人じゃないんだし。それだけでも問題なのに......』
相手は貴族階級の男の様だ。
という事は、リーンにとっちゃ玉の輿か。
しかし、どうにもリーンが、口ぶりからして乗り気じゃない。
貴族の息子と冒険者。
それは本来なら、道端ですら一生出会う事のない二人。
俺とダクネスが同じパーティーで冒険していた事自体が異常だったのだ。
俺がそんな事を考えている間も、壁の向こうでは話が続く。
『リーンさん! 身分の違いでこの想いが届かないのは、百も承知! いや、それより大きな困難がある事も分かっている。でも、せめて......! せめて、この高値をはたいて手に入れた魔道カメラで、写真を撮らせて欲しいんだ!』
『おおおお、落ち着いて! 落ち着いてください! 冷静になろう!』
今の話の流れで相手の事情は大体分かった。
貴族の青年はリーンに惚れてしまったが、身分の差があり、結ばれるわけにはいかない。
だからせめて写真を、ってか?
なんだ、別に悪い奴じゃなさそうじゃないか。
『出来るだけ! こう、出来るだけ扇情的なヤツが!』
『落ち着こう! お願い、ちょっと落ち着こう! 一旦下に降りて、何か軽い物でもつまんで落ち着こう!!』
......いや、やはりそうでもなかったかもしれない。
と、俺の隣でダストがムクリと立ち上がり。
「ちょっとぶっ飛ばしてくるわ」
「おい待て、行くな! まだ早い!」
ダストを何とか取り押さえていると、やがて隣の部屋のドアが開き、ついで閉まる音が聞こえてくる。
二人は一階に食事をしに行ったのだろう。
それを無言で聞いていたダストが、ニヤリと凶悪な笑みを浮かべた。
6
「おい見ろよカズマ、この脱ぎ散らかされた服を! 流石はお貴族様だぜ、良い物着てやがる!」
俺はダストを追い掛け、隣の部屋へと侵入していた。
室内を物色するダストを見ながら、俺は頭を抱えたくなる。
とうとうやらかしてしまった。
只今の俺達の罪状は住居不法侵入だ。
「さてさて、お坊ちゃまは一体どんなお宝を......って、これは......!?」
これ以上は止めるべきだ。
不法侵入に窃盗とか、すでに一線を越えている。
タンスを開けて何かを見つけ、驚いているダストの肩に手を置くと、俺は......。
「見ろカズマ、このレース付きの赤いランジェリーを! 野郎、これをリーンに穿かせて写真撮るつもりなんだぜ!? こんな物まで用意しやがってあのド変態が! こんな物、こうしてやんよぉ!!」
激昂したダストは叫ぶと同時、何の躊躇もなく全裸になると、その赤いレースの下着を装備した。
今の状況では間違いなくこの男の方がド変態だ。
「よし、カズマ! そこに転がってる高級な魔道カメラでこの俺を撮ってくれ! 高額なフィルムの中身を俺の裸で一杯にして、万一リーンを撮ったとしても、現像した瞬間に一生物のトラウマを負わせてやる!」
もう何て言ったらいいのだろう。
俺は半ば気圧され、言われるままに魔道カメラを手に持った。
作りは単純そうだが、確かに強い魔力が籠もっているのが感じられる。
俺は今、おそらく家ぐらい買えてしまうほど高価な魔道具で、世にもバカな事をしようとしている。
ダストは服を脱ぎ捨てると両腕を組み、手も使わずブリッジの体勢を取る。
赤いランジェリーを穿いた変態は、鍛えられた太い首で体を支え、その引き締まった体で見事なアーチを描いていた。
「よし、やれ、カズマ! 俺の体の美しさを後世に残してやってくれ!」
──一体何枚の写真を撮ったのだろう。
歯をきらめかせ様々なポーズを取るダストを、俺はテーブルの上から見下ろしたり、床にゴロゴロ転がったりと、色々なアングルから魔道カメラで激写していた。
鷹のポーズに女豹のポーズ。
芸術性を求め、考える人のポーズなども取らせてみた。
「いいぞダスト、その調子だ! 今のお前は輝いている!! 美しいポーズは撮り終えた、さあ、次は扇情的にいってみよう! それじゃまずは、指を咥えて尻をこちらに向けてみようか!」
ダストは俺に言われるままに、悩ましげに親指を咥え、赤いショーツに包まれた尻をこちらに向けた。
それを何枚か撮り終えて、俺は更なる指示を出す。
「よし、次はいよいよカッコ良さを加えてみようか! 足を開き、腰を落とし、手を......、そうそう、そんな感じで!」
ダストは赤いショーツ姿のまま、まるで力士のシコ踏みの様に腰を落とし、右手を横に真っ直ぐ伸ばし。
酷く真剣な表情で、俺が教えたセリフを放つ。
「はっけよい!」
そこでとうとう限界に達した俺達は、涙を流しながら腹を抱えて笑い合い、バンバンと床を叩いて転がり回ると......!
ゴトッ。
開けられたドアの前で杖を落とし、呆然と俺達を見るリーンと目が合った。
7
「......で、これは何? バカなダストは分かるけど、カズマまで何やってんの?」
俺とダストは、リーンと貴族の青年の前で正座していた。
「「すいません」」
俺とダストが同時に謝る。
不覚だった。
変なスイッチが入ってしまい、二人でバカな写真を撮るのに夢中になっていた。
そんな俺達二人を見て、リーンが深々と、本当に情けなさそうにため息を吐く。
リーンのダストを見る目が痛い。
というかダストのショーツ姿が痛々しいので、せめてパンツの穿き換えだけでもさせてあげて欲しい。
「はぁ......。まったく、色々心配して損したわ。ああ、彼の事はもうお好きにどうぞ? 私は何も言いませんから。......ほらカズマ、行こう?」
リーンはそう言いながら、凄く疲れた表情で俺に片手を差し出した。
「......へ? いや、あの二人を一緒にしちゃマズイだろ。大変な事になるぞ?」
俺はリーンに手を引かれ、半ば強引に外に出される。
「いいからいいから。もう私は知らないよ」
後ろ手にドアを閉めたリーンは、そう言って廊下を歩き出した。
『ダストさん、まさかあなたが、そんな格好で僕の部屋にいるだなんて......』
『あ? 何だコラ、確かに不法侵入だが文句あっか?』
部屋の中から聞こえる、取り残された二人の声。
完全に開き直ったダストの雰囲気が物騒だ。
というかあいつは、今の自分の格好を理解しているのだろうか。
「なあリーン。あいつ、止めた方がよくないか? 絶対何かやらかすぞ?」
だがリーンは疲れた顔で、諦めた様に首を振る。
「やらかすっていうか、やらかされるっていうか......。私は頑張ったよ。うん、凄く頑張った。それなのに、ドア開けたらあのバカ、あんな格好で部屋にいるんだもの。カモがネギしょってホイホイ自分から鍋に入ってフタまで閉めたんだよ? もう私にはこれ以上、出来る事なんて何にもないよ」
......?
何だか話が嚙み合わない。
『も、勿論文句なんてあるはずがないですよダストさん! ダストさん......! ああ......ダストさん! う、うわあ、感激だなあ! リーンさんからは諦めた方が良いって言われてたけど、まさかこんな......。アクシズ教団に入信して、祈り続けて良かった......! 神様は、神様は本当にいたんだ......!』
『何喜んでるんだか分からねえが、誰もが貴族相手にビビると思ったら大間違いだぞ? 俺は王族や貴族を相手にすんのは慣れてんだよ。それに、今ここにいるのは二人の男。それ以上でもそれ以下でもねえ。そこんとこ、ちゃんと分かってるか?』
『なっ!? 身分の差なんて気にしないって、そう言ってくれるんですか!? ここにいるのは二人の男のみ、と......!? ああ......、ああ......! 今日はなんて日なんだ、深く感謝しますアクア様......!』
ダストと貴族の青年の声をドア越しに聞きながら、俺はリーンと共に宿を出た。
「──で、何であんな所にいたの? どうしちゃったのよ二人とも」
宿を出ると、リーンが不思議そうに聞いてくるが、なんと言ったらよいものか......。
「いや、実はな......?」
俺がこれまでの経緯、そして何より、ダストが結構本気で心配していた事を洗いざらいリーンに話すと......。
リーンは、息が出来なくなるぐらいに笑い転げた。
「あっ、あはっ......! あ、アホだ! あんた達二人、絶対おかしいよ! あはははは!」
全くその通りだと思う。
というか、普段の俺ならこんな事に協力したりしないのだが、どうにもリーンとダクネスが重なってしまい......。
リーンは目尻に浮かんだ涙を拭い、未だに肩をひくつかせながら。
「はあー......。あのね、あの貴族の人は、ダストが好きなの」
その一言に、時が止まった。
「......えっ?」
今なんつった。
「だからね、あの貴族の人に、ダストが好きなんだけどどうしようって、そんな相談を受けてたのよ。で、結ばれようとかそんな事は思わないから、せめてダストの写真が撮りたいって言ってたんだけどね」
......その時だった。
「ひゃあああああああああああああああああー!」
それは今まで聞いた事も無いダストの絶叫。
宿の二階の方から、鳥を絞めた様な切ない声が聞こえてきた。
......ダストを臨時メンバーにと思っていたが、これはしばらくの間そっとしといてやった方が良さそうだ。
俺は、今日は何も起きなかったと自分に言い聞かせ、リーンと共に歩いて行く。
何だかドッと疲れたし、もう家に帰って昼寝しよう。
ぐったりしながら今日の予定に思いを巡らしていた、その時だった。
「そういえばさ。今の貴族の人で思い出したんだけど、ララティーナちゃんって貴族だったんだね。私、最近知ってビックリしたよ」
リーンが、そんな事を何でもなさ気に口にしたのは。
「よく知ってるな? 一体誰に聞いたんだ?」
俺が思わず聞き返すと、リーンは何を今更といった風に。
「街中で噂になってるよ? ララティーナちゃんはダスティネス家のご令嬢で、この街の領主、アルダープと近々結婚するんだ、って」
............。
「その話、詳しく頼む」
1
俺は二人を前に、テンション高く宣言した。
「というわけで。今から、厳重に警備された屋敷にどうやって侵入し、どうすればダクネスに会えるのかの作戦会議をする。といっても、大体の考えはもうあるのですが!」
屋敷に帰った俺は、めぐみんとアクアに事情を話し。
そして今、広間において二人と顔を突き合わせながら会議をしていた。
「なんかカズマ、ちょっとテンション高いわね。つまり街では今、あの熊と豚を足したみたいな領主の人とダクネスとの、結婚話で持ち切りなの? ダクネスの趣味が悪いのはよく知ってるけども、どうしちゃったの? 普通ならダクネスのお父さんが止めるでしょうに、何かあったのかしら。......気に入らないわね。今のとこ、あの胡散臭い悪魔の占い通りなところも」
アクアがいつになくマジメな顔で、ソファーの上で卵を抱きながら言った。
確かあの悪魔の占いは、ダクネスの実家が、そして父親が、これから大変な目に遭うだろう、だったか。
占いなんて、普通はマトモに信じる奴はいない。
せいぜい話半分に聞くのが関の山だろう。
だがこの世界には、魔法もあれば呪いもある。
「カズマは、その占いを信じます? あの悪魔に言われた通り、裕福になった今もせっせと商品開発にいそしんでおりますが。......アクアではありませんが、悪魔というのは無償で人助けをする連中ではありません。きっと、その占いや忠告はあの悪魔にとって得になる事がある筈です。紅魔の里に帰る事が出来れば、私の知り合いに、ちゃんとした腕利き占い師のお姉さんがいるのですが......」
めぐみんがそんな事を言ってくるが......。
正直言って、俺だってよく分からん。
悪魔なんてもんの言う事をいきなりホイホイ信用するのもどうかとは思う。
思うが......。
「俺は、バニルはそんなに適当な事を言っていない気がするんだよ。なんか色々ぼかしてる気はするけどな。ダクネスを助けて、あいつに何の得があるのかは知らないけど。......もう強がらずに言うが、せっせと商品開発してたのは占い通りダクネスに何かあったとしたら、イザって時役に立てる様に。占いが外れても、商品開発自体は別に損する事でもない。そんな軽い考えでやってたんだけど......」
頭のよろしくないダクネスは、自分を犠牲にすれば全てが解決すると、短絡的な行動に出る。
それがバニルの占いでダクネスが言われていた事だ。
これが、その辺で出会った占い師の言う事なら鼻で笑って済ませるとこだが......。
「何にしても、まだ色々と決め付けるのは早い。今のとこ、リーンが他の人から聞いたっていう、又聞きみたいな状態だし。直接本人に会って話さなきゃ、何がどうなってるのかがイマイチ分からん。手紙では、パーティーを抜けるってだけだったから深く首突っ込む事は出来なかったが、あの領主には俺達だって色んな目に遭わされてんだ、無理やりにでも会って事情を聞く必要がある。だろう? だろう?」
俺の勢いに押されるように、めぐみんとアクアがコクコク頷く。
確かあのバカは、領主は貴族としての見合い相手なら、そこそこ悪くないぐらいの下衆っぷりだとか、そんなすっとぼけた事を抜かした事がある。
あまり考えたくはないが、父親に何かあり、ダクネス本人が望んで結婚話を進めている可能性だって全くないとも言い切れない。
なにせあいつは、たまに本気でバカな事を言い出す奴だ。
そうだ。ベルディアにホイホイ付いて行こうとしたり、バニルに体を乗っ取られて大喜びしていた事もあった。
紅魔族の里に行く際に、雄のオークが全滅したと聞き、本気でショックを受けていた事もあったな。
手紙一つ寄越してパーティーを抜けた事といい、思えば昔から心配かける奴だった。
とにかくこれは、是非本人に直接会って確認したい。
そして、ついでにあの手紙はどういう事だと問いただすのだ。
手紙一枚持って聞きに行くのはちょっと気が引けていたが、リーンからあんな話を聞かされてしまってはしょうがない。
ああ、しょうがないな。
ここ最近やきもきさせられた事への仕返しが出来るとか、しばらく会ってないからダスティネス邸へ侵入する事にワクワクしているとか、これであの女に会うための正当な口実が出来たとか、そんな事は勿論微塵も思っていない。
くく、ダクネスめ、見てろよぉ......?
色々と考えを巡らせている俺を見て、なぜかめぐみんが嬉しそうに笑っている。
更にはアクアが、不思議なものを見る様に。
そして、
「ねえカズマ。ここんとこずっとイライラしてたのに、今は随分と嬉しそうね?」
そんな事をちょっと嬉しげに言ってきた。
2
「さて。時間的にも良い頃合いだな。それじゃあアクア、頼むよ」
時刻は深夜二時頃だろうか。
俺達は今、警戒の厳しいダスティネス邸の正門と裏口がある場所ではなく、なんの入口も無い、屋敷の横側に待機していた。
屋敷を囲う鉄製の柵。
それを間に挟み、俺は道の陰になっているところからそっと屋敷を観察する。
アクアが俺の言葉に、小さな声で魔法を唱えていく。
それは、数々の肉体強化の支援魔法。
筋力増加に速度の上昇。
必要あるのか分からないが、防御力上昇や魔法抵抗力上昇の支援魔法まで......。
「『ヴァーサタイル・エンターテイナー』!」
アクアが、俺が今まで聞いた事もない魔法を唱えた。
俺の身体が一瞬淡く光ったところを見ると、これも支援魔法の一つなのだろう。
「今の、何の魔法?」
「芸達者になる魔法」
俺は無言でアクアをはたいた。
涙目で首を絞めてくるアクアは無視し、俺は背中から、弓と、いつかの機動要塞戦で活躍した、先がフック状になっているロープ付きの矢を取り出した。
先の部分には何重にも布が巻かれ、屋根に当たっても音を立てない様細工がしてある。
「じゃあ、行ってくる」
二人との相談の結果、潜伏スキルや暗視スキルなど、多彩な侵入系のスキルを持つ俺が単身で乗り込む事になった。
貴族の屋敷とはいえ、王城に侵入する事に比べれば造作もないはず。
危害を加える気はないので、今は弓以外の装備は持って来ていない。
この弓も、矢を放った後はアクアに持って帰ってもらう。
「しっかりね。なんなら、ダクネスを気絶させて攫って来ちゃいなさい」
「......お、お前、仮にも神職のヤツがそんな事言っていいのか?」
「いえ、アクアの言う通りです。どうせダクネスの事ですから、事情を話すのを頑なに拒むでしょう。多少無茶しても構いません、派手にやってください!」
「どうしてお前らはそう過激なんだ」
俺はアクアとめぐみんに見守られながら、弓に矢をつがえ、それを狙撃スキルを使い、できるだけ屋根の天辺部分ギリギリに放つ。
狙いは違わず、屋根の先端部分に小さな音を立てて引っ掛かる。
そのまましばらく動かずにいるが、今の音で誰かが出てくる気配はない。
屋敷を囲っている柵の一部にロープを張ってくくり付け、二人に向けて静かに告げた。
「俺が屋根に上ったら、柵にくくり付けてあるロープはほどいてくれ。見回りがいるかもしれないし、ロープが見つかれば侵入がバレる。帰りはなんとかするから、二人は屋敷に戻っていてくれればいい」
ロープを引っ張って手ごたえを確認している俺に、二人はコクリと頷いた。
よし、行くか!
レンジャー部隊よろしく、スルスルと張られたロープを上っていく。
筋力強化の支援魔法がなければ、俺の平均的な体力では苦戦しただろう。
そのまま難なく屋根に上り終えると、俺はアクアに合図した。
アクアが下でロープを解くのを確認し、敵感知スキルで人の気配を探っていく。
部屋の中を見なくても、人がいるかを確認できるのは大きい。
気配を探り続けていると、中に誰もいない部屋を見つけた。
屋根に掛かったままのロープを使い、二階の窓からその部屋へ侵入をと思うが、窓には鍵が掛かっている。
だが、こういった時こそ現代知識の出番だ。
「『ティンダー』」
ロープに片手でぶら下がったまま、俺はガラスの傍に火を発生させ、表面を炙ってやる。
燃える物が無いので魔力が切れると火は消えてしまうが、何度も何度も火をつけ炙る。
やがて充分ガラスの表面が熱されたところで......。
「『フリーズ』」
小さな声で囁くと、一気に冷却されたガラスは微かな音と共にひび割れた。
音で誰か来ないかと警戒するが、その様な気配も無い。
焼き破りとか呼ばれる空き巣のガラス破りの手口だが、通常はライターと水で行う。
ネットを覚えたての頃、中二病をこじらせた俺は、使う気もないのに危険な知識を収集していた時期があった。
その頃に入手した無駄知識だったが、まさか実際に使う事になろうとは......。
ひび割れて、欠けたガラスの部分に指を入れ、そのまま少しずつ、鍵周りのガラスを剝がす様にペキペキ割っていく。
やがて鍵を開けられるぐらいの大きさの穴を開けると、窓を開けて侵入した。
とうとう冒険者から空き巣にクラスチェンジした瞬間である。
さて、無事に屋敷には侵入できたが、問題はこれからどうやってダクネスの部屋を見つけるか、だ。
廊下をコソコソし、部屋を一つ一つ確認していくか?
いや、見回りでもいれば潜伏スキルを使っても見つかる可能性が高い。
と......。
「音なんかしたか?」
「いや、気のせいならそれでいいんだけど......」
ドアの外、廊下の方からそんな声が聞こえてきた。
俺はワタワタしながら、部屋のカーテンを閉めて割れた窓を隠し、絨毯に散らばったガラスの破片を拾い集める。
ガチャガチャと鍵を開ける音を聞きながら、俺は慌ててベッドの下に滑り込むと潜伏スキルを発動させた。
ドアが開く音と共に、呆れた様な声が聞こえてくる。
「ほら、なんともないじゃないか。ノリス、いい加減その小心者なところを直せよ。それより、下の厨房で夜食でも作って貰おうぜ」
「す、すまない......。何かが割れるような小さな音がした気がして......」
ドアが閉められ小さくなっていく足音を聞きながら、俺はそのままじっと待機する。
厨房で夜食がどうとか言っていたから、屋敷内の見回りの人だろう。
となると、やはり一部屋ずつ確認していくのは無理か......。
なら、先ほどの見回りが言っていた厨房に行き、ララティーナお嬢様が夜食をご所望ですと注文し、それをダクネスの部屋に運ぶ料理人の後を尾け......!
......色々と無理があるか。
顔を見せるわけにはいかないし、先ほどの見回りの声を真似るなんて器用な事も出来ない。
こんな時に多芸なアクアがいたら、声真似くらい出来そうな気もするが。
......多芸。
俺は何となく思いつき、咳払いをする。
見回りの片方は、ノリスとか呼ばれてたな。
「......私の名前はノリスで......す......!?」
自分で見回りの声を真似ておきながら、その出来栄えにビクッとした。
何だコレ、気持ち悪いぐらいに似てる!
先ほどアクアに、芸達者になる支援魔法を掛けてもらったのを思い出し、なんとなく試してみたのだが......!
「や、ヤバイなこれは......。あーあー、ダクネス。おお、ダクネスだ......! どこから聞いてもダクネスの声だ!」
俺はダクネスの声真似もしてみたが、これもビックリするくらいに似ている。
使える。これは使える!
屋敷に帰ったらアクアに謝っておこう。
............。
「カズマ様素敵! 抱いてっ!」
俺はしばらくの間ダクネスや他の皆の声でひとしきり遊び、そこでハタと気がついた。
いけない、こんな一人遊びをしている場合じゃない、目的を見失うとこだった。
今日ほどテープレコーダーが欲しいと思った瞬間はなかったが、今はダクネスに会う事を優先させよう。
とりあえず、厨房の様子を覗ってみようか。
俺はそう判断し、静かに部屋から出ると潜伏スキルを発動させた──
先ほどの見回りの後を尾け、厨房を見つけた俺は、彼らが去ったのを確認後、ドアに近付いた。
一つ咳払いをし、ノリスの声を思い出す。
そして、ちょっと慌てたようにドアをノックした後、一方的に捲し立てた。
「すまない、ノリスだ! お嬢様から夜食を持ってきて欲しいと頼まれていたのを忘れてた! 俺は見回りの仕事があるから、お嬢様の部屋まで届けておいてくれないか!?」
顔も知らないノリスさんに、すまないと心の中で謝りつつ。
「ったく、そそっかしいなぁ。普段小心者なクセに大事な事は忘れるんだから。分かった、届けておくよ、ご苦労さん」
ドアの中からは苦笑する様な声でそんな返事が聞こえてきた。
そのまま、いかにも急いでいるといった感じで、
「ありがとう、感謝するよ!」
それだけ言って、慌てる風を装いその場を立ち去る。
そのまますかさず置物の陰に隠れ、料理人が出てくるのをじっと待った。
やがてどれだけ待ったのか、厨房の方から気配を感じた──
3
「お嬢様、夜食をお持ち致しました」
そう言ってドアをノックする料理人。
俺はその様子を、暗がりから覗っていた。
よしよし、ダクネスの部屋確認。
料理人が何度かノックをしていると、やがて部屋のドアが開けられる。
既に眠っていたらしく、絹のネグリジェ姿でまとめていた髪を下ろしたダクネスが、目を擦りながら出迎えた。
料理人は慌ててダクネスから目を逸らし、
「あの、ノリスの奴から、お嬢様が夜食をご所望だと......」
「......? 覚えがないぞ?」
眠そうな顔で言うダクネスに、料理人は戸惑いながらも頭を下げた。
「......!? も、申し訳ありません、夜分遅くに失礼しました!」
そう言って、慌てて下がる料理人を不思議そうに眺めながら、ダクネスはドアを閉める。
俺が隠れている傍を料理人が首を傾げながら通り過ぎた、しばらく後。
人気がなくなったところを見計らい、俺はダクネスの部屋のドアをノックした──
「お嬢様、起きて下さいませ。こんな夜分にサトウカズマという男が現れ、どうしてもお嬢様に面会したいと......!」
俺はノリスとかいった見回りの声で、部屋の中に呼び掛けた。
しばらくすると、中から音がして......、
「......カズマ、アクア、めぐみんと名乗る者が来た際には、絶対に取り次ぐなと言ってあるだろう。全く、こんな時間にあいつは......。まったく......。まったく......!」
ドアの向こうから聞こえてくるのは、苦しそうでいて、少しだけ嬉しそうな小さな声。
「しかしお嬢様、そのカズマという男がこう言っておりまして......。取り次がないなら、ギルドの連中に、ララティーナお嬢様の恥ずかしい秘密を暴露する、と......」
その言葉に、ドアの向こうでは楽しそうな笑い声がした。
そして、
「ふふっ、あいつは相変わらず......。カズマに、好きにしろと言っておけ。どうせ私はもう、冒険者ギルドに顔を出す事もない......」
そんな、ダクネスの沈んだ声が聞こえてくる。
............。
「しかしお嬢様、現在その男が、玄関先で家の者に良からぬ事を吹き込んでおりまして。最近お嬢様は腹筋が割れてきて、それを気に病んでいる様子なので食事はたんぱく質を控えめにしてあげて欲しい、だの」
ドアの向こうでガタッと音がした。
「他には、お嬢様が実に可愛らしいワンピースを身体に合わせてニコニコと笑っていたので、そういう服も用意してやって欲しい、だの」
再び、ドアの向こうでガタタッ......、という何かが崩れ落ちる音が聞こえる。
そしてドアの向こうから、ダクネスの震え声が聞こえてきた。
「そ、そそそ、その様な噂は......、その様な噂は全て噓だ、虚言だ、惑わされるなと家の者達に言っておけ!」
..................。
「しかし、更にとんでもない事を言っているのですが、申し上げてもよろしいですか?」
「......言ってみろ」
俺は息を吸い込むと。
「お嬢様が、日夜その熟れた身体の性欲を持て余し、処女のくせに夜な夜な......」
目に涙を溜め頰を赤くしたダクネスが、ドアを勢いよく開け飛び出した。
そして、そのまま俺と目が合うと。
「!!?????!??!??」
ダクネスはそのまま口をパクパクさせて、目を見開き息を吸う。
突入ー!
4
俺はダクネスの口元を片手で摑み、そのまま部屋に押し入った。
目を見開きうろたえながらも、ダクネスは俺の右手を両手で摑む。
そのまま俺を引き剝がそうとするが......!
「アクアの支援魔法で強化されてる俺が、そう簡単に負けるかよ!」
そう耳元で囁きながら、俺は後ろ手にドアを閉め鍵を掛ける。
ガチャリという鍵の音を聞いたダクネスが、なぜか一瞬、ビクリと身を震わせた。
ダクネスに声を出されない様右手で口を押さえたまま、空いた手でダクネスの右手首を摑んで素早く部屋を確認する。
今まで寝ていたからだろう、部屋の中に灯りはない。
窓から射す星の光だけが、俺とダクネスの顔を照らしていた。
このまま取り押さえて話をするにも、まさか床に押し付けるわけには......。
と、ダクネスの後ろに大きなベッドがあるのを発見。
俺は摑まれたままの腕に力を込め、グンとダクネスを持ち上げる。
「ッ!?」
まさか貧弱な俺に、片手で持ち上げられるとは思わなかったのだろう。
それだけダクネスを連れ戻して欲しかったのか、今日のアクアの支援魔法は、なんだかいつもと一味違う。
ダクネスを持ち上げたまま一気に駆け、そのままベッドに押し倒した。
バフッと柔らかい音と共にダクネスの身体がベッドに埋まる。
蹴られない様注意しながらダクネスの足の間に自分の身体をねじ込むと、しっかりとダクネスを押さえつけた。
よし、これでようやく抵抗されずに話ができ......?
......ダクネスが、俺の腕を摑んでいた手から力を抜いて、そのままクタッとベッドに投げ出す。
やがてダクネスの目尻に薄く涙が浮かび上がり、瞳が潤んだ。
微かな星明かりの下、ほんのりと火照った頰が見て取れる。
俺に口を押さえつけられているため、荒い息が手の間から漏れて......。
......あれっ!?
何この状況、ヤバくないか。
おい抵抗しろよ、いやされたら困るんだけど!
アクアの本気の支援魔法が掛かった今、ダクネスに力負けする気はしない。
が、こんな、諦めたような無防備な状態になられると色々と問題が......!
俺は暗く静かな部屋の中、小さな声で囁いた。
「お、おいダクネス、誤解するなよ? 今凄く妙な状態になっているが、アレだからな。俺はお前に話を聞きに来ただけだから。夜這いに来たわけじゃないから勘違いするなよ......、おっ、おいっ! 諦めた様に目を閉じるなよ! 止めろよ! どんどん妙な空気になっていくだろ! 止めろ! ヤバイ、色々ヤバイって!」
ナニがヤバイって俺がヤバイ。
事情を聞くために侵入してみたら、ダクネスがエロかったのでそのまま流されて一線越えてきましたなんて言ったら、あいつらの気が済むまで爆裂魔法とリザレクションのコンボを食らわされるかもしれない。
俺はダクネスの口を押さえながら、そのままガクガクと揺さぶった。
「おい、そのまま聞けよ!? 俺はお前に事情を聞くために侵入して来たんだよ! いいか? 今から手を離すから大声出すなよ? 俺は話をしに来たんだからな?」
俺の必死の訴えに、ダクネスがうっすらと目を開けてコクリと頷いた。
良かった......。
どうしてだか、どの敵との戦いよりも緊張したし凄く焦った。
「よし、じゃあ離すぞ? 叫ぶなよ?」
ダクネスがコクコクと頷くのを見てから、もし叫ばれても、すぐ口を塞げる体勢を取りつつ手を離す。
口を解放されたダクネスは、恥ずかしそうにフイッと顔を横に背けると。
「その......。カズマ、お前も横を向いてはくれないか。こんな体勢な上に、しかもこの距離で見つめ合いながら話をするのは、その......」
その言葉に、俺は慌ててダクネスが向いている方とは反対側に顔を向け。
「お、おう、そうだな。す、すまん、こんな状態で! ......しかし、お前アレだよ、何であんな手紙を......」
と、俺がダクネスから注意を外し、言い掛けたその時だった。
「曲者ーっ! 犯され......むぐう......っ!」
ちょっ、やりやがったなこの女!
畜生油断したクソッタレ!
慌ててダクネスの口を押さえたが既に遅く、廊下からバタバタと音がする。
それはこちらに駆けて来る誰かの足音。
ヤバイヤバイヤバイどうするっ!
俺の下では口元を押さえられたダクネスが、勝ち誇った様な挑発的な目で俺を見ていた。
そして明らかにその目は笑っている。
この女ー!
「どうなされましたお嬢様! 只今ドアを開けます、失礼します!」
そんな声と共に、ドアの鍵がガチャガチャと......!
くそっ、勝ち誇ったダクネスの顔が憎たらしい!
だが、俺がこれぐらいで終わると思うなよ......っ!
「開けるな! 今ちょっと人に見せられない格好をしている! すまない、ちょっと激しい遊びをしていたら、感極まって叫んでしまった!」
俺の声を聞いたダクネスがギョッと目を見開いた。
そう、ダクネスの声色である。
「ハ......、しかし、お嬢様の無事を確認しません事には......。それに、こんな夜分に遊びなどと......」
こちらを怪しむ屋敷の住人。
それもそうだ、侵入者に脅されているとも限らないからな。
「激しい遊びというのは大人の一人遊びの事だ、言わせるな恥ずかしい」
「お嬢......っ!?」
ドアの外でギョッとした様な声がする。
それと同時にダクネスが、空いている手で俺の右手をガッと摑んだ。
「何だ、無事を確認だとか言って、そんなに私のけしからん姿を見たいのか、このド変たいいいいっ!?」
ダクネスが、涙を浮かべながら物凄い目で俺を睨み、俺の右腕を握り潰そうと締め上げてくる。
痛みで声が上擦るが、それを聞いた外の人間が、再び慌てた声を上げた。
「ど、どうなさいました!?」
俺は右腕を締め上げられる痛みに耐えながら。
「な、なんでもない! いかがわしい魔道のオモチャを付けっぱなしだったのを忘れてええええっ! あああ、お、折れちゃう! おかしくなっちゃう! これ以上は本当に! 本当に壊れるーっ!」
「しっ、失礼しましたっ! じじ、自分はこれでっ!!」
ドアの外からバタバタと慌てて駆けて行く音。
どうやら外にはダクネスの大声を聞きつけて何人かの人々が集まっていた様だったが、どんな説明をされたのか、やがて人が離れていく気配を感じた。
俺は腕の痛みになんとか耐え、涙目でブルブル震えるダクネスにニヤリと笑い掛けた。
5
ダクネスが、口を押さえている俺の手を、指でツンツンと突いてきた。
もう大声は上げないから離せという事だろう。
俺が手を離すと、ダクネスはふうと息を吐く。
ダクネスに握られていた腕を見ると、そこには真っ青な手形が付いていた。
アクアの防御力強化の支援魔法が無ければ本気で折られていたかもしれない。
ダクネスは、呆れた様な表情で、
「......まったく、相変わらずとんでもない奴だ。どうしてくれるのだ、これで明日から私は、家の者に陰で変態令嬢呼ばわりをされてしま......、んん......っ!?」
そこまで言い掛けブルリと体を震わせた。
「お前今、それも悪くないとか思っただろ」
「思ってない」
「思っただろ」
こんな時でもコイツは......。
「で、一体何がどうなったんだよ。パーティー抜けるってどういうこった。あいつらも心配してるぞ? せめて事情を説明しろよ。俺達は......」
仲間だろと言い掛け、勢いで臭いセリフを言いそうになった自分に恥ずかしくなる。
ダクネスは、そんな俺の気持ちを見透かした様にふふっと笑い。
「大切な仲間だからこそ、言えない事もある。......まあ、大した事ではない、家の事情だ。当家はあの領主に金を借りていた。それは、父がゆっくり返していくという事だったのだが。......実は最近、父の体が思わしくなくてな。それで、あの領主が催促をしてきた。父の存命中に返せるのか、とな。......で、私が嫁に来るなら借金をチャラにするそうだ。ただ、それだけの話だ」
なんだそりゃ。
「お前ん家、あの領主にそんな借りがあったのか? つーか、お前の父ちゃん国のお偉いさんじゃなかったのかよ、王様はなんとかしてくれないのか? それにそんなの......」
俺は言葉に詰まってしまった。
そんなの、まるで......。
「そう、借金のカタに取られるわけだ。......だが、これは貴族の家では珍しい話ではない。貴族の娘が他家へ嫁に行く。ただそれだけの事だ」
ダクネスが、何でもない事を口にするかの様にそう言った。
俺の表情を見たダクネスが、
「そんな顔をするなカズマ。私の男の趣味や嗜好は知っているだろう? あの領主は、よほど早く私を物にしたいのだろうな。結婚の日取りをとにかく急げと、色んな儀礼もすっ飛ばして話を進めている。鼻息荒いあの豚領主は、初夜まで我慢できずに私を控え室で押し倒してきそうな勢いだったな。ふふっ、あの様子では飲まず食わずで数日はこの体を貪られてしまいそうだ。ドキドキするな......!」
ごまかす様に、冗談めかして軽く笑った。
......なら、なんでそんなに寂しそうな顔してんだと言ってやりたくなる。
「だからお前は、あんなに俺達だけでヒュドラを倒したがっていたのか。......その、たくさん人を集めたりして、余計な事しちまったな......。借金はいくらあるんだよ。足りない分は、俺が」
「払うだなんて言うなよカズマ。私は貴族だ。本来私達が守るべき庶民が、命懸けで稼いだ金で借金を返済してもらうなど、そんな事をされるぐらいなら身売りを選ぶ。......それに、今のお前の財産でも払いきれる額ではないのだ」
俺の言葉を遮りながら、ダクネスはジッと俺を見つめてきた。
未だ覆いかぶさった状態の俺は、星明かりの中、久しぶりに会うダクネスを改めて見た。
気高く、そして気の強そうな青い瞳が俺を真っ直ぐに捉えている。
金糸の髪がベッドに広がり、それが星の光を反射して、淡く輝いていた。
口を押さえられた状態で暴れたせいか、未だ若干荒い息を吐くダクネスの頰から、ひとしずくの汗が伝う。
荒い呼吸の度に薄い夜着に包まれた胸が強烈な存在感と共に上下する。
そして、俺との揉み合いのせいでネグリジェが肩まではだけ裾がめくれ上がり、全身に熱を帯びたダクネスの体は、ほんのりと赤く火照り──
俺は急遽、頭の中で精神がクリアになる魔法の詠唱を開始した。
『居間に寝転がる半裸のかーちゃん......』
『誰のだと期待した、祖母ちゃんの下着......』
『赤ショーツに覆われたダストの尻よ──!』
『願わくば我が心に、一時の平穏を与えたまえ!!』
魔法の詠唱が功を奏し、ビックリするぐらいに冷静になる。
よし大丈夫だ、これなら余裕で耐えられる。
そんな平静を取り戻した俺に。
下からじっと見上げていたダクネスが、優しく微笑み囁いた。
「......このままあの領主にむざむざと奪われるぐらいなら......。なあカズマ。いっそ、ここで二人で、大人になってみるか......?」
先ほどの魔法の効果はどこかへすっ飛んで行ったらしい。
落ち着け佐藤和真、よく考えろ。
ダクネスはもう嫁に行く気だからそんな事を言っているんだ。
もう諦めているから、俺達とは二度と会う事はないと、そう考えている。
このままで終わるはずがないだろう?
そう、ダクネスをあんな奴のもとに送り出せるか、絶対なんとかしてやる。
そうなると、ここで一線を越えてしまえば気まずくなる。
ダクネスと恋人にでもなるつもりか?
違うだろう、しっかりしろ佐藤和真、お前はここに何しに来たんだ!
自分に強く言い聞かせていると、ダクネスが俺の右手をそっと摑んだ。
そして俺の手を自分の体に近づけて......!
流石に、そのままいきなり胸に持っていく勇気はないのか、ダクネスは摑んだ俺の手をどこにやるのか持て余していた。
その不安気な顔を見て、俺は二秒ほど悩んだ結果......!
もう後の事は考えず、このまま流される事にしました。
摑まれたままの右手をそっと腹に置くと、ダクネスはピクリと震え。
そのまま、そっと目を閉じた。
何か気の利いた事を言わなければならないと思い、俺はダクネスの白く滑らかな腹の上に手を滑らせながら......!
「......お前、本当に腹筋割れてんのな」
6
──星明かりだけを頼りに、俺とダクネスは部屋の中央で対峙する。
俺の前には、さっきまでの色気のある展開はどこへやら、目を血走らせたダクネスが拳を握って身構えていた。
「悪かった、俺が悪かった! ついうっかり! すまなかった、この空気に耐えられなかったんだよ!」
「この私だって本気で怒る時もある! おのれ、覚悟を決めた女をここまで愚弄し、タダで済むと思うなよ! ぶっ殺してやるっ!」
「お嬢様、ぶっ殺すだなんてお下品な言葉遣いはおやめください! ......何だよ、お前本当に俺の事が好きだったの? ならそう言えばいいじゃん!」
「誰がお前みたいな大バカ者をっ! 真剣に頭にきた! あと、お嬢様って言うな!」
ダクネスが、叫ぶと同時に殴り掛かってくる。
それを、支援魔法で速度も強化されていた俺は簡単にヒョイとかわした。
廊下の方から、ドタドタと人が駆けてくる音が聞こえる。
夜中にこれだけ騒げば、流石にもうごまかせないだろう。
「ふふっ、どうだカズマ。今に家の者が来る! このまま見つかればタダでは済まんぞ。貴族の令嬢の寝室に侵入したのだ、私の擁護がなければ下手をしなくても首が飛ぶ。さあ、土下座の一つでもしてもらおうか!」
俺が攻撃をあっさりかわした事で更に頭にきたのか、ダクネスはいつになく怒りに燃えている。
やがて部屋の前に多数の人の気配がし、激しくドアが叩かれた。
「お嬢様! お嬢様、開けますよ!」
家の者の声を聞きながら、ダクネスが手を広げ摑みかかる体勢を取り、そのまま俺に飛び掛かってきた。
普段なら避けるとこだが、アクアの本気支援を受けた今の俺は負ける気がしない。
それに散々心配かけられ、苦労してここに来てんだ。
今更頭なんて下げられるか!
「掛かって来い、エロい体と耐久力と筋力しか取り柄のないエロセイダー! 最弱職の冒険者に力でも負けて、泣き崩れるところを拝んでやるよ! 王都でみせた俺の本気を味わわせてやる!」
俺はダクネスの声で言い返しながら、摑みかかるダクネスと組み合い、がっつり四つに組んだ体勢に入る。
「わ、私の声真似をするなっ!」
「お、お嬢様!? 一体何を遊んでいるのですか!?」
ドアの外から聞こえる戸惑いの声。
俺とダクネスが同じ声で言い合っているので混乱しているのだろう。
続いて、ガチャガチャと鍵を開ける音。
俺はそちらに顔だけ向けて......!
「開けちゃらめえっ! ララティーナ、今全裸なのっ! 見ちゃらめえーっ!」
「ええっ!? も、申し訳......!」
俺の声真似に、鍵を開ける音が一瞬止んだ。
その隙に、俺はドレインタッチでダクネスから体力を吸い始める。
だが、王都の騎士達とは桁違いの体力を誇るダクネスは、多少のドレインではビクともしない。
俺と組み合う手に力を込め、ダクネスが顔を赤くした。
「私の声でらめえとか言うなっ! おい、遠慮なく入って来い! 侵入者だ、私の声を真似る魔法を使っているっ!」
「は、ははっ! 今すぐにっ!」
再び響く、鍵を開けようとする音。
くそったれー!
「はははははっ! カズマ、私の勝ちだな! お前とはこうして何度も喧嘩をしたものだが、最後に決着を付ける事が出来て満足だ!」
俺のドレインに耐えながら、ダクネスが勝ち誇った様に言ってくる。
何が最後だふざけやがって、そんな事言われて負けられるわけねーだろ!
俺が急に力を抜くと、前傾姿勢で勝ち誇っていたダクネスがガクリと前のめりになった。
その隙に摑み合っていた左手を抜き取ると、ダクネスの背中に突っ込む。
もう声真似をする事もなく、大声で。
「『フリーズ』ッッッ!」
「んああっ!?」
いきなり背中に氷結魔法を掛けられ、ダクネスが悲鳴を上げながらビクンと震えた。
頰を紅潮させたダクネスが、身を震わせながら膝をつく中、俺は摑まれていた右手も引き剝がし、
「お嬢様っ!」
バンと開けられたドアに向け、右の手の平を上にして突き出した。
「『クリエイト・アース』!」
毎度おなじみとなった、目潰し用の初級魔法コンボ。
手の上に生成される土を見たダクネスが、それを察して警告を発しようと声を上げるが......。
「全員、目を......!」
庇え、とダクネスが言い終わるより早く。
「『ウインドブレス』ーッ!!」
俺は魔法を解き放った──!
7
カズマです。
日本出身の冒険者です。
夢は、金銭的に何の心配もない状態でのんびりだらだら好き勝手に生きて行く事。
そんな平凡な夢を持ち、適当に、そして平和に生きてきた俺ですが。
「いたかっ!? こっちの物陰にはいない! 相手は潜伏スキル持ちだ、何もなさそうな所でも触ってみろ! 絶対に逃がすな、捕まえろ! ダスティネス家の名に賭けて、あの男を絶対に捕らえ、私の前に連れて来い!」
「「「かしこまりましたお嬢様っ!」」」
現在、マジギレしているダクネスからどう逃げようかと思案中です。
「カズマーっ! どこだっ! 自分から大人しく出てきたならば、全力パンチ十発で許してやる! だが、私が見つけた場合はそんな温い物で済むと思うなよっ!」
ブチ切れたダクネスが、潜伏している俺のすぐ後ろで叫んでいた。
そんなダクネス達の声を聞きながら、俺は、身を低くしてコソコソと廊下を進む。
今のダクネスは、完全に頭に血が上っている様です。
これでは話にならないので、今日のところは引き揚げだ。
というか今のダクネスに捕まったら、アクアのリザレクションを知っているだけに、本気で殺されてもおかしくない。
俺は屋敷から脱出するべく、その辺の手近な部屋に侵入を試みる。
その部屋は、運良く鍵が掛かっていなかった。
よし、後は窓から脱出だ。
俺がそう考えながら窓に近付くと......。
部屋の中央、ベッドの方から、とても小さな弱々しい声が聞こえた。
「......そこに......。誰かいるのか......?」
それは、ダクネスの親父さん。
ロクな灯りもない部屋の中でも、頰が瘦せこけ、青白い顔色が見てとれる。
「ああ、君か......。こんな夜更けにこんな所に......。なるほど。娘は、良い仲間に恵まれた様だ......」
ダクネスの親父さんは、そう言ってこけた頰で笑い掛けてきた。
親父さんは、この時間、ここにいる俺の姿を見ただけで、何の目的で屋敷に来たのかを見抜いた様だ。
流石王国の懐刀とか言われていただけはある。
しかし、以前会った時の面影がない。
あれほど元気だった親父さんは、今は弱々しく笑っていた。
この短期間でこんなに悪くなる病があるものなのか?
廊下ではバタバタと人が駆け回る音。
「親父さん、弱ってるとこ申し訳ないんですが、お宅の娘さんが怒り狂ってるんで説得してもらえませんかね?」
俺の言葉に親父さんが、布団の中で楽しそうに笑った。
「そうか。ここのとこ暗く塞ぎこんでいた娘が、そんなに怒っているのか」
親父さん、ちっとも笑うとこじゃないです。
......そうだ。
「親父さん、この家はあの領主のおっさんに借金があるって聞いたんですけど。でも、あんなおっさんに親父さんが借金するとも思えないんですよね。そもそも、ここの家って金の掛かる暮らしをしてる様には見えませんし。なぜ借金なんか......」
俺は疑問に思っていた事を親父さんに尋ねてみた。
体の具合が悪いところを申し訳ないが、ダクネスが細かい事情を教えてくれない以上親父さんに聞くしかない。
「......うん、カズマ君。君はなかなか頭が良いな。やはり、君に娘を任せるとしようか。すまないんだが......。あれを連れて、どこかに逃げてはくれないか......?」
また何言い出すんだこの人は。
どうして借金が出来たかを聞いてるのに、なぜ娘との駆け落ちを勧めるのか。
「いや、お断りします。凄くお断りしますよ。そもそも俺、今お宅の娘さんに追い掛け回されてここに逃げてきたんですが。言っちゃなんですが、随分とおしとやかな娘さんに育てられましたね」
「はっはっ、そうだろう。あれはとてもおしとやかで、そして優しい子だ。純粋で恥ずかしがり屋で誰かに迷惑を掛けるのを一番嫌がる」
それは誰の事言ってるんですかとツッコみたくなったが黙っておいた。
俺の皮肉をサラッと流し、それどころか妙な娘自慢をされてしまった。
何の病かは知らないが、きっと親父さんは脳までやられてしまったのだろう。
親父さんは、体の方は弱っているものの、未だ強い光を眼に宿したまま、俺を真っ直ぐに見つめると。
「理由の事は聞かないでくれんか。借金は、娘の意思で出来た物だが......。何、娘を連れて逃げてくれたら、後はこの屋敷でも売り払えばそこそこの金にはなる。それに今、色々と手を尽くしている。借金自体が無くなるかもしれん」
借金が無くなるかもって、つまり、不当な借金って事か?
まあ、そっちは敏腕の親父さんがどうにかするのだろう。
「それより、娘が先走り、嫁ごうとしている。これは何としてでも止めたい......。カズマ君、この私が考えるに、娘は君の事を憎からず想っている。親の欲目かもしれんが、あれは器量も良いと思う。......どうだ?」
「どうだと言われても。俺、さっきお宅の娘さんにぶっ殺してやるって言われましたが」
そして、今はそれよりも。
「親父さん、どこが悪いんですか? ウチに優秀な......、いや、魔法だけは優秀なアークプリーストがいるんですよ。なんとリザレクションまで使える程の。どこが悪いのか知りませんが、ちょっとそいつ連れてきますよ」
こんな時こそあの穀潰しを役立てる時だろう。
だが、俺の言葉に親父さんは微かに笑い。
「......いや、無駄だ。回復魔法で病は治せない。そして、病で死んだ者をリザレクションで生き返らせる事も出来ない。病は、寿命だ。寿命で死んだ者には、神の奇跡は起こらない。死因がどうあれ、寿命を全うして神のもとへ行く事は、本来喜ぶべきことだ。......だから、君がそんな顔をしなくてもいい」
俺は、しらない内に感情が顔に出ていたらしい。
「せめて、ちょっとウチのアークプリーストに診察だけさせてもらえませんかね? どうも、このタイミングで親父さんが体調崩すってのが......」
「領主に毒でも盛られたのかと思ったかね?」
俺が言う前に、親父さんが先に言った。
......その通りだ。
あの領主のダクネスへの執心ぶりを見れば、何かあると考えた方が良いだろう。
が......。
「既にそれは調べたよ。いや、真っ先に調べた。毒は検出されていない」
......それもそうか、この親父さんは敏腕貴族だ。
きっと俺なんかよりも色々と考えている。
「まだかっ! まだ見つからんのか! カズマ、出て来い! そして、家の者達にお前が声真似をして言った事を説明し、誤解を解け!」
廊下から聞こえるダクネスの声。
それを聞いて、親父さんが苦笑する。
「なあ......。あれを頼むよ」
い、嫌だなあ......。
「王様とかに掛け合って、どうにかしてもらう事はできないんですかね? 親父さんは国にとって大事な人なんでしょう? 借金が、あの領主に不当に背負わされたっていうのなら......」
俺の言葉に、親父さんは目を瞑り。
そして、静かに首を振った。
「そんな事をしても、ウチの娘は嫁ぎに行く。アレは誰に似たのか、頑固でなぁ。国王に金を用立ててもらっても、そんな事に国民の税金を使うなと言って、自分の身と引き換えに借金棒引きにしてくるだろう。......本当に、なぜこんな分からず屋に育ったのか」
まったくです。
本当に、まったくですよ。
あんた親なら、あの頑固な娘をなんとかしてくれよ......。
と、その時突然、ドアがバンと開けられた。
そこにいたのは荒い息を吐き、仁王立ちでこちらを睨むダクネスだった。
「ふふふ......。こんな所にいたのかカズマ。ははは! さあ、どうしてくれようか......!」
「おい病人がいるんだから、もうちょっと静かに開け閉めしろよ。それと落ち着け、俺はお前が心配で、皆を代表してここに......!」
目の据わったダクネスは、俺の言葉に耳を傾けようともしなかった。
「やかましいわっ! 心配している人間が、よくもこの短時間でここまで私の評判を下げてくれたものだ......! この件は貴族同士の話だ。お前の様な庶民はこんなドロドロした事に首を突っ込まず、屋敷でせこせこと怪しげな物でも作っていろ!」
この女ーっ!
「もういいだろ、借金なんて! そんなもんシカトして逃げちまおうぜ!? それで、皆で新しい土地でやり直せば良いだろうが! それに、お前分かってるんだろうな!? このまま俺が何もせず、自分の屋敷におめおめ帰ったら、あの二人! 特にめぐみんは絶対に何かやらかすぞ! お前の結婚式の当日には、式場そのものが消滅してるかもな!」
「そんな事をしてみろ、お前を主犯としてひっ捕らえてやるからな! それが嫌ならあの二人をしっかりと引き止めておけ! 私は逃げない! 私が逃げれば、その分どこかにとばっちりがいくのだ! ......そして、その話とは別に......!」
ダクネスが、言いながら俺に向かって駆け出した。
嫁に行く前に、最後の決着を付けておく気らしい!
ヤバイ、殺られるっ!
俺はそのまま踵を返し、窓に向かって駆け出した。
「この分からず屋の頑固女が! もういい、勝手にしろっ! 後で泣きを見ても知らねえからな!」
俺はそんな言葉を残し、窓に向かって飛び蹴りを......!
「助けて欲しくなったら、いつでも屋敷に謝りに来い! 心配掛けてごめんなさい、私はカズマ様の助けが必要ですってな......グハアッ!?」
窓ガラスは意外に硬く、蹴り一つで簡単に割れてはくれず、俺は体ごと窓に激突した。
蹴りと言うよりも体当たりに近い状態で叩き割られた窓ガラスと共に、俺はバランスを崩して地面へと落っこちる。
二階ぐらいの高さとはいえ、肩口から受け身も取れずに落ちた俺はひとしきり痛みで転げ回った。
窓に駆け寄ったダクネスは、そんな俺を見下ろしながら、
「だ、大丈夫かカズマ様! お前こそ、ごめんなさいダスティネス様、助けてくださいと言えば治療してやらん事もないぞ!?」
思い切り肩を震わせ、笑いを堪えて言ってきた。
俺は痛む体に鞭打つと、騒ぎを聞きつけ、こちらに駆けて来る守衛から逃げるため、鉄の柵をよじ登り......!
「ち、ちくしょーダクネスっ! お前、泣きついて来るまで絶対助けてやらねえからなっ! クソッ、こっち来るな! 『クリエイト・ウォーター』! 『フリーズ』ッ!」
実に楽しそうにこちらを見送るダクネスに、捨てゼリフを吐きながら。
俺は追い掛けてくる守衛達を足止めしつつ、屋敷へと逃げ帰った。
8
「ふぐぐぐぐ......! アクアー! アクアー!! ヒールください! ヒールくださいっ!!」
俺は何とか屋敷に帰り着くと、広間のソファーでうとうとしながら、卵を抱いていたアクアに近付く。
ダクネスもアクアやめぐみんには顔を合わせ辛いのか、屋敷にまでは追って来なかった。
「......ふあ? ......ちょ、カズマなにそれ、ズタボロね! ダクネスに会えたの? 何でそんなにボロボロなの? またバカな事でも言ったの?」
矢継ぎ早に尋ねながら、アクアが俺にヒールを掛ける。
というか、なんでお前はボロボロの俺を見てちょっと嬉しそうなんだ。
その騒ぎに、同じくソファーで寝ていためぐみんが目を覚ました。
「カズマ、お帰りなさい。どうしたんですか? またロクでもない一言でも言いましたか? ダクネスの説得は出来ました?」
お前ら二人が俺の事を日頃どんな目で見てるのかがよく分かった。
アクアのヒールで傷は癒えたが、なんだか無性に胸の奥がもやもやする。
俺はイライラが収まらないまま、二階の自分の部屋へと向かう。
「あいつの事はもうほっとけほっとけ! 泣きついてくるまで放っておけ! 俺はもうしらねえ、後は任せる!」
ふてくされた様な俺の態度に、アクアとめぐみんが顔を見合わせる。
「えー......。ダクネスに、この子が生まれたら小屋を作るの手伝って貰う約束してるんですけど......」
アクアがしょんぼりしながら、抱いている卵に視線を落とす。
そしてめぐみんが。
「カズマ、何があったか知りませんが、ふて腐れている場合ですか? というかダクネスは、そもそもどんな理由でお嫁にいかなくてはいけないのですか?」
二階へと向かう俺の背中に、そんな事を言ってきた。
俺はその場に足を止めると。
「借金だよ。あいつん家には、莫大な借金があるんだとよ! それで、領主と結婚すればその借金がチャラになるんだとさ!」
「う......。お金ですか。一体どれ程の借金かは分かりませんが、実家に仕送りをした後なので、私の持ち金なんてたかがしれてますし......」
めぐみんは、そう言ってクーポンやポイントカードでパンパンになった自分の財布を覗き、悩ましげにため息を吐き。
「しょうがないわね。お金が必要だっていうのなら、私も虎の子の貯金箱を割ってもいいわよ?」
卵を抱いたアクアがそんなどうにもならない事を言ってくる。
一体いくらなのかは分からないが、仮にも大貴族であるダクネスが身を捧げなければならないほどの借金だ。
めぐみんやアクアの小遣い程度では焼け石に水だろう。
そんな二人に背を向けて、俺は自分の部屋へと向かう。
「あいつが決めた事なんだし、もうほっとけ! 俺は、あいつが泣いて謝って頼んでくるまで絶対何もしないからな!」
と、めぐみんが、そんな俺に向けて言ってきた。
「カズマ、拗ねている場合ですか!? ダクネスが、お嫁に行っちゃうんですよ? 本当にこれでいいんですか!?」
本当にこれでいいのかは、あの頑固者に言ってやれ!
1
街は連日お祭り騒ぎになっていた。
ケチで知られるあの領主が、街に少なくない金を出し、大々的に結婚の話を広めお祝いムードを作っているらしい。
まるで途中で心変わりなどさせない様に、外堀を埋めていく勢いだ。
結婚の日取りが決まり、既に発表された。
領主はよほど待ちきれないのか本当に色んな物をすっ飛ばしている様で、式は一週間後を予定している。
きっと今も、ダクネスと結婚できる日を鼻息荒く待っているのだろう。
「カズマ。もう何度も言いますが本当にこれでいいんですか? いいんですか? いいんですかっ!?」
広間でせこせこと色んな物の試作品を作っていると、めぐみんが詰め寄ってきた。
俺はタールプラントと呼ばれる植物の樹液とスライムの消化液を混ぜ合わせたもので、新しい商品の開発にいそしんでいた。
この二つを混ぜ合わせると、半乾きのビニールみたいな素材が出来る。
俺は作業の手は止めず。
「もう何度も言ったが、本人があれだけ頑固に言い張ってるものはしょうがないだろ。まだ一週間ある、あいつが泣きついてきたらなんとかしようぜ。泣きついてこなかったら、俺は放っておく」
言いながら、小さなスポイトでビニールみたいな物の中にチュッと空気を吹き込んだ。
この工程が難しい。
きっと、これをもっと簡単に大量生産できる方法はあるのだろうが、今は試作品を作っている段階だから我慢しよう。
俺とめぐみんのやり取りには全く関わらず、隣でアクアがマイペースにソファーの上で卵を抱いて歌っていた。
うっとうしい事この上ないが、下手に試作品作りの邪魔されるよりはとそっとしている。
でも、やたらと歌が上手いのがなぜかちょっと腹が立つ。
......と、めぐみんが、俺が作っていた試作品を取り上げた。
「こんな事していないで、もっとちゃんと考えるべきですよ! 私はこんなの認めませんから! このまま結婚式当日を迎えたなら、私にも考えがあります!」
言って、めぐみんが俺から取り上げた試作品を握り締める。
「おい、あまり物騒な事考えるなよ? あんまり無茶やらかすと、ダクネスだって困るんだからな。ダクネスから、アクアやお前がバカな事しないように止めてくれって頼まれてんだ。......ほら、それ返せよ。朝から大分時間掛けてようやくそこまで作ったんだからな」
俺はいきり立つめぐみんを宥めながら、返してくれと片手を出した。
「......これって、何ですか?」
めぐみんがソレを摑んだまま、しげしげと見つめている。
「俺の国にあったぷちぷちって呼ばれる物を試作してみた。材質や製法は違うから感触はイマイチだが、まあまあ上手く出来てると思う」
俺の説明にめぐみんが、
「......何に使う物なんです?」
そう言って小首を傾げた。
「潰すんだよ。ぷちぷちと。潰して遊んで、心の平穏を保つ物だ」
「..................それだけですか?」
「それだけ」
............。
めぐみんが、俺が長い時間掛けてようやく作ったぷちぷちを、雑巾絞りみたいに一気に捻った。
「なああああーっ!!」
「あああああーっ!?」
めぐみんが叫びながらぷちぷちを一気に絞り、俺も思わず悲鳴を上げる。
めぐみんはふうと満足気に息を吐き、絞り上げた元ぷちぷちを俺にぽいと渡してきた。
「......確かに心の平穏は保てました。ちょっと気持ち良かったです」
めぐみんがスタスタと外に出て行く中、俺はガクリと膝をついた。
お、俺の長時間の作業が......!
俺の隣では、そんな騒ぎなど知った事かとばかりにアクアが歌う。
「ずーいずーいずっころばっし、ごっまみっそずいー」
「うっせー!」
思わず怒鳴ってしまった自分に自己嫌悪を覚えてしまう。
............ああクソッ!
アクアにあたってどうする、何をイライラしてるんだ俺はっ!
2
──ダクネスの結婚式まで後六日。
「すいません、こちらにサトウカズマ様はいらっしゃいますか?」
俺が屋敷に引き籠もっていると、初老ぐらいの執事が訪ねてきた。
「どちら様でしょうか? ......って、あんたどっかで見た事あるな」
そうだ、この人は確か、ダクネスの家に仕えている執事のはずだ。
「お久しぶりです、私、ダスティネス家の執事長を務めております、ハーゲンと申します。本日は、サトウ様に折り入ってご相談がありまして......」
俺に相談?
ひょっとして、ダクネスがとうとう折れて助けを求めに来たのか?
そんな淡い期待をよそに、ハーゲンと名乗った執事は頭を下げると。
「実は当家のポストに、毎日この様な手紙が投函されまして」
そう言って、俺に手紙を手渡してきた。
それを開いて目を通すと......。
「すいませんでした! あのバカは、ちゃんと叱っておきますので!」
「い、いえ、これがエスカレートして領主様のもとにも送られますと問題になりますので、そうなる前に伺った次第でして」
俺は手紙をくしゃっと丸め、ハーゲンに土下座する勢いで頭を下げた。
用件は済んだのか、屋敷を出て行くハーゲンを見送り、俺はあらためて丸めた手紙に目を通す。
『ダスティネス家に告ぐ。とある筋の情報により近々魔王軍幹部の一人が、アクセルのエリス教会にてテロを行うとの情報を得た。テロ決行日は式当日。直ちに結婚を中止しなければ、式当日には教会に爆裂魔法が炸裂する事になる。どうか、この忠告を受け入れられますよう......。親切な魔法使いより』
「めぐみーん! ちょっと話があるからここ開けろ!!」
俺は脅迫状を手に、めぐみんの部屋へ怒鳴り込んだ。
──結婚式まで後四日。
「さあ、続いては! この鞄の中から、鞄より大きい初心者殺しが飛び出しますよ!」
「飛び出させるなそんなもん! 何やってんだ、こっち来い!」
俺はダスティネス邸の真ん前で、人混みの中謎の芸を披露するアクアを捕まえた。
「ちょっと何すんのよカズマ、放してよ! 初心者殺しを捕まえてもらうのに、わざわざ冒険者ギルドに依頼まで出したんだからね? それより見なさいな、この人集りを!! 私の芸を一目見ようと、これだけの人が集まったのよ?」
「だから俺が呼ばれたんだよ、家の前で迷惑だから止めてくれって! お前、こんなとこで何やってんだよ!」
アクアはたくさんの野次馬に取り囲まれ、あちこちからおひねりを投げられていた。
「あ、おひねりは止めてください、私は芸人ではないのでおひねりは受け取れませんから。......カズマ、これはね、ダクネスを家からおびき出すための作戦なの」
律儀におひねりを断りながら、アクアは俺にコソコソと囁いてくる。
こいつ、ひょっとして......。
「お前、ダクネスの気を惹こうとこんなとこで芸やってんのか?」
「その通りよ! ほら、天の岩戸って話を知らないかしら? 拗ねた女神が引き籠もったんだけど、楽しげな宴会の音におびき寄せられて、まんまと罠に嵌まり引きずり出されたってやつ」
「一応その話は知ってるけど、神様は全世界共通でみんな宴会が好きなのか? 女神って、皆お前みたいなのばっかりじゃないだろうな」
アクアは俺のツッコミにも耳を貸さず、ダクネスの屋敷に向けて鞄を向けた。
「さっきから、あそこの部屋のカーテンが揺れてるの。きっと好奇心旺盛なダクネスがチラ見してるんだわ。ねえー! ダクネス、聞いてるんでしょう!? 早く出てきてー! ほら、間近で見ないと後悔するわよ! 今からとっておきのやつを見せてあげるから! ......あっ、ちょっとカズマ、何すんのよ放しなさいよ!」
「だから、家の前でやらないでくれって、俺んとこに苦情が来たんだよ! ほら、とっとと帰るぞ!」
「嫌よ! ダクネスが出てくるまで、ここで毎日芸をやるからね!! 邪魔をするならあっちへ行って! ほら早く、あっちへ行って!!」
いつになく聞き分けのないアクアを連れ戻したのは、すっかり日が暮れた頃だった。
──結婚式まで後二日。
「ただいま帰りました......」
「お帰り。もうバカな事するんじゃないぞ」
帰ってきためぐみんが、玄関先でぐったりしている。
俺の説教に耳も貸さず、とうとう領主の屋敷に脅迫状を送りつけた罪で、今日まで拘置されていたのだが。
「ダクネスの家の人の口利きで、特例として釈放して頂きました......」
「ダクネスを助けるつもりが助けられてどうすんだよ。気持ちは分かるが、もう大人しくしておけよ? 今のとこ、アクアもお前も迷惑しか掛けてないからな?」
今日も今日とて新商品の開発を進める俺は、めぐみんに釘を刺す。
ちなみにアクアは、今日もダクネスの家に向かった様だ。
最近ではダクネスの家の周りに屋台ができ、ちょっとした観光名所になり始めている。
「やはり私やアクアではどうにもなりません。カズマ、いい加減結婚の妨害に協力してくれませんか?」
めぐみんはふらふらとソファーに倒れ、ぐったりしながらも、まだそんな事を言ってくる。
「......ダクネスが助けを求めてきたらな」
その言葉に、めぐみんがガバッと跳ね起き。
「この人でなし! 街ではクズマとかゲスマとか言われるカズマですが、何だかんだいいながら仲間が困った時には放っておかない、やる時はやる人だと思ってましたよ!」
言いながら、新商品をいじっている俺に食って掛かった。
「なあ、俺の事をそんな風に呼んでる奴の名前を教えてくれないか? いい加減、一度そいつらをシメてやろうと思うんだ」
めぐみんは、再びソファーに倒れ込むと。
「私の好きな人は、こんな時、嫌そうに文句を言いつつも『しょうがねえなあ』とか言いながらどうにかしてくれる、そんな人なんです。いつまでも拗ねている人ではないはずなんです」
「や、やめろよ、適当に好きだとか言っとけば協力すると思ったら大間違いだからな? 俺はそんなにチョロくないぞ」
俺は唐突に好きとか言われた微かな動揺を隠すように、めぐみんを宥めるため、開発中の新商品を指で差す。
「そんなにカリカリしないで、これを試してみろよ。これはサンドバッグって言ってな、ストレス発散にはうってつけのアイテムだ。しかも本革製だぞ? まあ、使えそうな素材が革しかなかったってだけなんだが」
めぐみんを落ち着かせようと、革を縫い上げ砂を詰めた、床置きタイプのサンドバッグを指さした。
ストレス発散の言葉に、めぐみんがちょっとだけ興味を示す。
「これは、どう使う物なのですか?」
「簡単だよ。攻撃すればいいんだ。殴るも良し、蹴るも良し。あ、一応言っとくけど魔法は禁止な? さすがに分かってるとは思うけど」
冗談めかして言いながら、作業に一区切り付けた俺は、ちょっと休憩しようとお茶を淹れに台所へ......。
「ぬあああああああ!」
「ッ!?」
めぐみんの気合いの声に、俺は嫌な予感を覚えて振り返る。
「ふう......。ちょっとだけスッキリしました。すいません、これもう一つ作ってください」
「何で刃物を使うんだよ!! 殴るか蹴るかしろって言ったろうが!」
俺の刀を手にしためぐみんが、サンドバッグをゴミに変え、ちょっとだけ満足そうに立っていた。
3
──ダクネスがいない日常に逆らう様に、半ば意地になった俺は、新商品の開発を続ける日々を送り。
そしてとうとう、本当にこの日が来てしまった。
今日はダクネスの結婚式。
結局この日まで、アイツは俺達を頼る事はなく。
「カズマ、行きますよ! 式なんてぶっ潰してやりましょう! ......ふふふ、うっかり魔法が飛んで式場が消滅したり、うっかり魔法が飛んで領主邸が消滅したりなどはよくある事です」
「おい止めろ、マジ止めろ。また借金背負うどころか、今度こそ本物の犯罪者だぞ」
広間のテーブルの上に、俺はバニルとの商談のため、コツコツと作り続けてきた物を整理していた。
俺はここのとこずっと色々な発明品を作り続けていたが、それもようやく終わりに近い。
さすがにこれ以上は知恵が出ない。
色々な商品の設計図に、考え付く限りの、物事の効率的な作業法。
農法やらなんやらも、細かいところまでは分からないが、日本人としての基本知識ぐらいは余す所なく書き記してみた。
ダクネスの挙式は今日の昼から始まるそうだが、俺はそれを見に行くつもりはなかった。
アイツが助けを求めてこない以上、なおも首を突っ込むのは躊躇われる。
つまらない意地を張っている。
そんな事は、分かっているが......。
めぐみんは俺を見て、悔しそうな顔で杖を握りしめながら声を荒らげた。
「私の好きな人は、いつまでも腐っている様な人ではないはずです! カズマは! このままあの領主とダクネスが結婚して、本当にそれで良いんですかっ!? ダクネスが、あの領主に好きにされても良いんですか!?」
「良いわけねーだろーが!」
俺は思わず、めぐみんに怒鳴り返していた。
いきなりの俺の罵声に驚いためぐみんは、少したじろぎ動きを止める。
「良いわけねーだろ、俺だって嫌だよあんな奴にダクネスを持っていかれるのは! 外見がどうとかじゃなく、評判だって悪い! お前は知らないだろうがなぁ! あのおっさんは、目に付いた可愛い子や良い女はどんな手を使っても物にして、しかも、飽きたら少ない手切れ金渡してポイだとよ! タチが悪いのは、そんな好き放題にメチャクチャやってるのに、何故か決定的な証拠が出てこない事だ!」
それを聞いためぐみんは、シュンとしながら俯いた。
「すいません。ダクネスの相手を調べてたんですか......」
調べてみるとあの領主は、噂以上にロクでもなかった。
素人の俺が調べただけでも、出るわ出るわ色んな話が。
不当な搾取に贈収賄。
しかし、なぜか不思議と物証がない。
被害女性達は頑なに口を閉ざし、そして悪事の証拠は出ないので、国の方でもあのおっさんを持て余しているとの事。
ダクネスの親父さんは、その決定的な証拠を得るために。
そして、領主の目付役として派遣されたそうだ。
めぐみんが、杖をぎゅっと握りしめ。
「なら、なおさら放っておけないでしょう? カズマなら、何かロクでもない手を考え付くんじゃないですか? 今までみたいに、至らない私達をフォローして、何とかしてくれませんか?」
......ロクでもない事を考え付くって、こいつは俺をどんな目で見ているのか。
「今回ばかりはどうにも出来ない。まず、ダクネスが教えてくれないから借金がいくらあるのかが分からない。次に、金を調達出来てもダクネスの説得が出来ない。あの頑固者は絶対に金を受け取らないだろう。そして最後に......」
めぐみんが首を傾げた。
「最後に?」
「これは貴族同士の結婚式。警備も厳重で、もう今更どうやったってこっちからは近づけない。......むしろ、それがあるから今までダクネスから助けを求めてくるのを待ってたんだ。ダクネスの屋敷も、一度俺が侵入した以上、警備を固めて、二度と侵入させてくれなかっただろうしな」
今までは特に気にしなかったが、こんなにも身分の差を実感した事はなかった。
俺は何も言えずにいるめぐみんに、これ以上は顔を見せられず背を向ける。
今の俺の背中には、まるで好きな子を奪われた男の様な哀愁が漂っている事だろう。
「ダクネスの親父さんは重病だし、面会を求めても取り次いでくれないだろう。......俺、式に招待してもらったり手引きしてくれる様な、貴族のコネなんて無いよ。......だって俺、一般庶民なんだしさ」
王都で出来たコネの事も考えたが、たとえアイリスに頼ったとしても、本人同士が結婚を望んでいるのならどうにも出来ないだろう。
これが元々の身分の違いって奴だ。
そもそも、俺達とダクネスはこれだけ住む世界が違うのに、今まで一緒に冒険出来た事自体、奇跡みたいなものなのだ。
俺がそんな事を幾分投げ槍気味に言うと......。
「......分かりました。カズマも相手の調査をして、何とかしようとしていた事は理解しました。私にとってはそれだけでも充分です」
いじけていた俺の顔をジッと覗き込んできためぐみんは、そう言ってなぜか安心した様に笑いかけてくる。
「私は自分で考え、後悔しない道を行きます。カズマも、どうかよく考え、そして後悔しない道を行かれるよう......」
一体何を食べておかしくなったんだとばかりに、いつになく真面目な声で、まるで見識ある一端の魔法使いみたいな事を言うめぐみん。
俺が啞然としていると、めぐみんはスタスタと屋敷から出て行ってしまった。
......止めるべきだったか?
いや、アレはもう止まらないだろう。
俺はめぐみんを見送って、広い屋敷に一人ぽつんと佇んでいた。
アクアは珍しく来客中だ。
今は二階の自分の部屋で、客の話を聞いている。
何だか、急な仕事の依頼だとか言っていたが、今日はちょっとアクアを手伝ってやれる気分じゃない。
いつも、特にやる事がなくても皆、なんとなく集まってゴロゴロしていたこの広間。
そこに一人でいると、この屋敷ってこんなに広かったんだなと、無性に寂しさを覚える。
......しょうがないよな。
貴族のお嬢様と一緒に冒険だなんて、それこそ日本にいた頃には考えられない事だった。
そう都合良くいくはずがない、現実はこんなもんだ。
俺はソファーに腰を埋めながら、一人深々とため息を吐く。
と、そんな鬱屈とした空気を裂いて、玄関が突然バンと開け放たれた。
そこに現れたのは──
「へい毎度! 頼りにならない女神を差し置き、見通す悪魔が助けに来たぞ。我輩の登場に泣いて喜び踊り狂うが吉と出た。さあ、貴様の持てる知識の数々を見せて貰おう!」
4
「おい、美人店主を連れて来い! チェンジだチェンジ! こんだけやさぐれてる時に何でお前と商談しなきゃなんないんだよ! 美人店主へのチェンジを希望! ウィズ! ウィズがいい!」
俺はそんな事を言いながら、屋敷の広間のテーブルでバニルと向かい合っていた。
「奴は今頃、もう少しだけ寝かせて欲しいと泣きながら売り子をしておるわ。『涙ぐみながら働く店主さん可愛い』『商品が売れて嬉し泣きしてるのか! もっと買おう!』などと、予想外の効果も表れホクホクである。それに、あの負債生成装置にまともな商談が出来るものか。昨日も少しだけ仏心を出して休憩を与えたら、ちょっと目を離しただけで、これはカップル冒険者に売れますよ! とか言って、このペンダントを仕入れてきたのだ」
言ってバニルがペンダントを見せてくる。
「それ、何のペンダント?」
「これを着けている者が瀕死の重傷を負うと、その最後の命を燃やし爆発するペンダントである。コンセプトは、『最後の時には、命を賭けて大切な人を守れるように......』だそうだ。ロマンチックじゃないですか? などとキャッキャと喜んでいたが、威力が強すぎて、敵どころか守るべき愛する人とやらもみんなまとめて吹っ飛ぶという、もう店主の商売センスがどうなっているのか疑いたくなる一品である。お一つどうか?」
「......い、いらない。......それよりお前、助けに来たって言ったがどういう事だよ?」
と、バニルは俺の質問に答える事なく。
「その件は後だ。まずは商品をキリキリ出すべし。我輩の目利きでズバリ適正価格を見抜いてくれよう。......とまあ、そんな事を言っても我輩は既に、貴様が納得するだけの金をここに用意してあるのだが」
言いながら、小さな黒い鞄をポンと叩いた。
見通す悪魔さん効率いいですね。
「といっても、俺が取引に応じるかは分かんないぞ? これは俺に残された知識の集大成だからな。当然安売りする気なんてないからな?」
それに、ダクネスを助けられないのなら今更これを売る意味もあんまりない。
だがバニルは全て分かっていると言いたげな口ぶりで。
「助けに行きたくて行きたくて、しかし助けに行って鎧娘に拒絶される事を怖れる男よ。見通す悪魔バニルが宣言しよう。貴様は全ての知的財産権と引き換えに、この鞄の中身を所望する」
......見通す悪魔さん、本当に厄介だなあ。
バニルは、俺から受け取った数々の設計図や試作品、そして様々な財産権の所有証明書を、ロクに確認もせずに大きな鞄の中に詰めていった。
きっとこいつにとっては、目を通す必要すらないのだろう。
というか俺、まだ売るとも言ってないんだけど......。
......見通す悪魔、か。
「なあバニル。お前、色んな事が分かるんだろ?」
俺は世間話でもするかの様に、せっせと鞄に書類を詰め込むバニルに問い掛けた。
バニルはこちらに目を向けず、鞄へと詰め込む作業を続けながら。
「うむ。全てとは言わんが、大概の事が見通せるな。例えば、今から貴様が聞きたがっている事も勿論分かる。貴様が気にしている鎧娘が、なぜ領主に莫大な借金をしたのか。助ける方法は無いのか。なぜあの領主は、あれだけの事をやらかしているにも拘わらず、証拠の一つも出ないのか」
俺はゴクリと喉を鳴らした。
「......なあ。お前は、悪魔の」
「悪魔のクセに、なぜ貴様に協力的なのか。何か企んでいるんじゃないか、......等々。勿論企んでいるぞ。なにせ我輩悪魔だからな。だがまあ、今回の件では貴様と利害が一致した。だからこれだけ協力的なのだ。たとえば、もしもの時のために貴様が手元に置いておきたがっている高値で売れそうな様々な権利も、この際まとめて安く売ってもらおうとな」
バニルは作業の手を止めて、こちらに顔を向けニヤリと笑う。
......ぐう、この野郎。
「そんな物、俺が売らないって言えばそれまでだろ。それより、俺が聞きたい事分かっているのならもったいぶらずに教えてくれよ」
「良いだろう良いだろう。では、今貴様が知りたがっている事を教えてやろう! そう、ウチの店主の今日の下着の形と色であるな! フハハハハ、なんつって......おや? 美味な悪感情が湧いてこないな」
「それはそれで後で聞きたいからです」
「そ、そうか......。では、本当に貴様が知りたい事を教えてやろう。あの娘がなぜ借金したのかと言うと......」
「『セイクリッド・エクソシズム』!」
バニルの言葉を遮り、突如聞こえたアクアの声。
それと共に、バニルが光の柱に包まれた。
やがて光が消え去ると、カランという音と共にバニルの仮面だけが転がっていた。
「ちょっ、バニル! お前大悪魔なんだろ!? 大丈夫だ、お前ならあんなトイレの女神の攻撃じゃ終わらないだろ! おいしっかりしろよっ!」
「ああっ!? ちょっと目を離した隙に、カズマが悪魔に洗脳された!? ねえなんで悪魔の味方してるの!? それに私、水の女神よ!」
二階から降りてくる途中でバニルを見つけ、魔法を撃ち込んできたのだろう。
魔法を放ったままの体勢でアクアが叫んだ。
こいつは本当に、毎度毎度余計なタイミングでいらん事ばかりする奴だ!
アクアの後ろには、見覚えのある初老の男。
ここ最近、俺に毎日の様に苦情を言いに来た、ダクネスの家の執事がいた。
アクアに何の仕事を頼んだのかは知らないが、ハーゲンとかいった爺さんは、この状況に目を白黒させている。
と、俺の目の前でバニルの仮面の下からニョキニョキと体が生える。
......毎回ちゃんと服まで付いてくるのは便利だなぁ......。
いや、服も体の一部だからこそ服ごとアクアの魔法で消滅させられるのか。
「フハハハハ、不意打ちとはやってくれるなチンピラ女神、我々悪魔と変わらんではないか! 見ろ、我輩の格好良い仮面にひびが入ったわ!」
「ヤダー、悪魔なんて害虫と一緒じゃないですかー! あんた、害虫駆除する時に一々、これから駆除させて頂きます申し訳ありませんなんて断るの? バカなの? プークスクス!」
二人が睨み合いながらドンドン険悪な雰囲気になっていく中、俺は慌てて二人を止めた。
「おいこらお前ら、そんな事は別の日にやれ! アクア、今はバニルの話を聞きたいんだよ、邪魔すんな!」
俺の言葉に、アクアが渋々引き下がる。
アクアの後ろにいたハーゲンは、剣吞な雰囲気を察したのだろう。
「そ、その......。なにやらお取り込み中の様で......。アークプリースト様、始まりは昼からですので、どうかよろしくお願いします。では、私はこれで......」
そう言って、アクアとバニルが対峙する間を身を低くして通り抜け、そそくさと出て行ってしまった。
一体何の用事だったのか気になるが、それより今はバニルの話だ。
バニルは、アクアに向けて勝ち誇った様に口元を歪め。
「フハハハ、今回の件で役に立たぬポンコツ女神よ、これからそこで我輩のありがたみと有用性を見ながら、悔しさのあまりハンカチでも食いちぎっているがいい!」
案外この悪魔も大人気ないところがあるのか、アクアに向かってベロベロと舌を出し挑発する。
途端にアクアの眉が吊り上がっていくが、もう話が進まないので勘弁して欲しい。
アクアは大事そうに卵を抱きしめ、ソファーに座った俺とバニルの間に腰を下ろした。
一緒に話を聞くつもりなのだろうが、三角座りの体勢で、鼻がくっつきそうな超至近距離からジッとバニルを睨んでいる。
「凄くやりにくいのだが。......さて、神が隣にいるにも拘わらず、神頼みすら出来ない憐れな男よ。貴様が知りたいのは、あの鎧娘の借金の経緯だったな? 事の発端は、貴様ら冒険者達が機動要塞デストロイヤーを倒した事に起因する」
世間話でもする様な感じで、バニルがそんな事を......。
........................。
今、なんて?
「おい、詳しく」
俺の言葉にバニルが笑った。
そして勿体付けるでもなく、そのまま淡々と。
「詳しくといっても。今までの街ならば、デストロイヤーにより蹂躙され、領主は土地を失うものだ。街の住人は焼け出され、領地を失った領主も貴族も責任を取らされ、皆仲良く路頭に迷う。むしろ根無し草な貴様ら冒険者達には、その方が良い結末だったのかもしれん。だが......。この街は、そうはならなかったわけだ」
......良い事じゃないか。
俺のそんな感情までも見通しているのか、バニルが再びニヤリと笑う。
「街自体は助かった。街中で商業に携わっている者達は、結局なんの被害も受けてはおらぬ。殆どの住人達もそうだろう。......そしてデストロイヤーは街の目の前で倒された。すると当然、街へと続く穀倉地帯、途中にある治水施設その他、実に様々な物が破壊され、そして蹂躙されたわけだ」
......それはまあ分かるが。
でも、被害は最小限に抑えられたって事じゃないのか?
「農業に携わっていた者達は、穀倉地帯を荒らされ、仕事を、財産を失ったも同然だ。荒らされた穀倉地帯は簡単には復興しない。そこで、その者達は領主に助けを求めた」
......もう、嫌な予感しかしねえ。
俺が顔をしかめると、
「そう、貴様の予想通りである! あの領主は、助けを求める人々にこう言った。命が助かっただけでも儲けものだろう、贅沢を言うな。文句があるなら、それは穀倉地帯を守り切れなかった冒険者達に言うといい。ほら、冒険者達は今、莫大な報酬を得て潤っている。彼等の報酬を補償に充てて貰えばいいだろう? ......と」
......うわぁ、悪代官も真っ青だ。
「うむ。今回の件は、責務を放棄した強欲な領主以外、誰も悪くはないのかもしれぬ。冒険者達は充分以上に健闘した。それはもう間違いない。だが被害に遭った住人達も、そのままでは路頭に迷ってしまうわけだ。その者達の気持ちも分からんでもない。天災みたいなものだから諦めろと言われても無理であろう」
バニルは、実に悪魔らしい笑みを口元に浮かべ。
──そして、聞き捨てならない事をサラッと言った。
「領主に補償を断られた者達は泣きついた。そう、貴様と関わりの深いダスティネス一族にな。そして彼らはこう言った。『一介の冒険者達が洪水で壊した建物の弁償金。その大半を負担した、慈悲に溢れるダスティネス様。どうか、我等にもお情けを』......とな」
............。
「今、なんつった? 洪水で壊した建物が何だって?」
俺の言葉に、バニルは悪魔らしく実に楽しそうに。
「あれだけ派手に破壊した建物の値段が、たかだか数億程度で済むはずなかろう。貴様はギルドの者に建物の賠償を請求される際、こう言われなかったか? 『全額弁償とは言わないから、一部だけでも払ってくれ』と」
あの女。
「ダスティネス家は、屋敷を除くその保有資産の大半を、建物の弁償金に充てた。そしてその時に資産の大半を失ったダスティネス家の鎧娘は、それでもデストロイヤーに蹂躙された者達を助けようと、責務を放棄した領主に頭を下げ、金を借りたわけだ」
何勝手な事してやがんだ、あの女。
「金を貸すのを渋る領主に、こういう条件付きでな。『もし、ダスティネス家の当主に何かが起こり、返済が困難になった場合には、担保としてその身体で』」
俺がテーブルを殴りつけた音で、バニルの言葉は遮られた。
それにビクッとしたアクアに向けて、俺はその手をスッと出す。
「......ねえカズマ、怒りに任せてテーブル殴ったら痛かったのね? 痛かったのね?」
これで全てが繫がった。
以前屋敷に訪れた無礼な執事は、領主からの使者だったのだろう。
ダクネスの親父さんが体を壊した事を知り、借金の催促をしたのだ。
それでアイツは借金をなんとかしようと、ヒュドラ退治だのとバカな事を言い出して。
だが、アイツを心配して集まってくれた冒険者達の姿を見て、これ以上は迷惑を掛けられないという思いと共に、色んなものが吹っ切れたのだろう──
俺は静かにバニルに尋ねた。
「ダクネスの、借金の額はいくらなんだ?」
その言葉すら見通していたのか、バニルがスッと、用意していた鞄を出し。
「お客様の持つ資産にこの鞄の中身を合わせると、ちょうど借金と同額になります。......では、商談に入ろうか!」
こいつはやっぱり悪魔だった!
5
「とても......! とてもお綺麗ですよお嬢様......! 式が終わったら、是非お屋敷で臥せっておられる旦那様にもそのお姿を見せてあげてください!」
新人のメイドが、私のドレス姿を見て嬉々として褒め称えた。
その言葉に思わず苦笑を浮かべてしまう。
この新人メイドは、当家の細かい事情も結婚への経緯も知らない。
領主との式が終わって、父にこの姿を見せたなら、きっと父は悲しむだろう。
この結婚で誰も喜ばないのは分かっている。
これは私の自己満足だ。
......と、ドアを挟んだ廊下の方から罵声が響いてきた。
「なぜ花嫁に会ってはいかんのだ! ええい、どけっ! もう待ちきれぬ! 待ちきれんのだ! もう後数時間もしない内にどうせララティーナはワシの物になるのだ、早いか遅いかの違いだろうが! そこをどけっ! ......ララティーナ! ララティーナ!!」
......ふふっ、あの男め、もう本性を隠す気もないらしい。
「なりません。ここはダスティネス家の控え室。まだ式を挙げてはいない以上、ここから先にはダスティネス家の者しかお通しできません。どうかお引き取りを」
イライラした領主の声に続き、家の者が淡々と対処している声が聞こえた。
「このバカがっ! いいか、式が終われば貴様の主はこのワシになるのだぞ。そこをよく理解した上で、ここを通すか通さないかを判断しろ!」
そんな理不尽な罵声にも、家の者は淡々と。
「通せません。あなたはまだ、自分の主ではありません」
「......顔は覚えたぞ。式が終わり、貴様らの大事なお嬢様を満足いくまで嬲った後は、どうなるかを覚悟しておけ」
領主の捨てゼリフが聞こえ、そのままドスドスと重い音が離れて行った。
「......ドアの外の者を呼んでくれないか、礼を言いたい」
私の言葉に、メイドが静かに頷くと、やがて男が呼ばれ。
「お嬢様、これはこれは、とてもお綺麗で......!」
感嘆の声と共に、若干しわの交じったその顔を綻ばせた。
長く家に仕えてくれている守衛の一人だ。
融通が利かず、子供の頃に屋敷の外に出ようとしても、決して通して貰えなかった。
柵をよじ登って出ようとしてもすぐに嗅ぎつけられる。
いつしか私は、いかにこの守衛を出し抜くかで夢中になっていた時期があった。
庭からボールを柵の向こうに投げ、取ってきてくれと駄々をこね、この男が取りに行った隙に外に出る。
外に出た私をすぐさま追い掛け、あっという間に捕まえられて屋敷に戻されるのだが、それがとても面白く、毎日ボールを柵の外に投げていた。
毎日、男が騙されてボールを拾いに行くのが楽しくて。
今思えば、あれは母を亡くして遊び相手もいなかった私を、この男なりに遊んでくれていたのだと理解している。
「すまないな......。アレを通しても良かったのだぞ? 別に私は今更どうって事はない。アレに言って、お前への処罰は絶対にさせないから......」
「自分は、お嬢様が嫁がれた後は辞めるつもりですからお気になさらず。自分が仕えるのはダスティネス家だけですから。お嬢様が認めた男になら、仕えても良いのですが」
そう言ってはにかむ男に、私は苦笑を浮かべた。
私が認める男と言われ、ふと頭をよぎったのは、部屋に夜這いに来て逃げ回った挙げ句、捨てゼリフを吐きながら窓から落ち、痛みで転げ回っていたアイツの姿。
あの時の事を思い出し、つい口元が綻んでしまう。
「お嬢様は、たまに見せるその笑顔が本当にお美しい。最後にそのお顔を見られて、自分は幸せ者です」
男は満足そうに笑みを浮かべると、そのままクルリと背を向ける。
「......そ、その。差し出がましい様ですが、それだけお美しく清楚なのですから......。あまり、激しい一人遊びはなさらぬようご自愛下さい......」
「!?」
恥ずかしそうにそう言い残すと、ドアの向こうに行ってしまった。
二人のメイドが、そんな私からそっと目を逸らす。
ロクでもない噂の元凶になった、私の声真似をしたあの男をとっちめてやりたいっ!
口が悪く、礼儀を知らず、誰もが知らない変わった知識を持っているくせに、知っていて当たり前の常識を知らない無礼な男。
臆病で保守的で、それでいて突然無茶をやらかす時もある、摑めない男。
最弱職で、ステータスも運以外は全て平均以下でありながら、雑多なスキルと持ち前の機転だけを武器に、魔王の幹部に賞金首、そして様々なモンスターと渡り合う謎の男。
私が貴族である事を明かした時も、貴族である事実より、私の名前に興味を示す変な男。
そして......。
その変な男と一線を越えてしまいそうになった私も、きっと相当変な女なのだろう。
今までの冒険と、楽しかった日々を思い出す。
本来、貴族として生まれた者に、結婚の相手も含め、自分の意思で勝手に生きる事など出来ないものだ。
にも拘わらず、私は今まで、気の置けない仲間達と共に過ごす事を許されてきた。
......もう充分だ。貴族の私がこれ以上を望むのは贅沢過ぎる。
今度は私が街の皆に恩返しをする番。
これ以上、あの領主の好きにはさせない。
領主がこの身に色ボケている間に、ヤツの秘密を探ってやる。
たとえそれが何年掛かったとしても、あの連中との思い出があればきっと耐えられる。
......しかし、おかしな話だ。
昔は嫁に行くのも悪くないと思えていたあの領主に、今では何の魅力も感じられない。
これも、全てはアイツのせいなのだろうか?
しょっちゅう喧嘩していたアイツの事を思い出すと、やはり口元が緩んでしまう。
「あ、あの......お嬢様?」
突然笑ってしまった私に、化粧を施していたメイドが戸惑い手を止めた。
「ああ、すまない、何でもない」
メイドに化粧の続きを促すと、癖のある仲間達に思いを巡らす。
皆は、私の借金の理由を知ったらどう思うだろうか。
めぐみんは怒るのだろう。
アクアは訳も分からず泣き出すかもしれない。
アイツの場合は、『バカな事しやがって!』などと説教しながら、私の本当に嫌がる事を的確に見抜き、それを速やかに実行してくるだろう。
領主の秘密を探り、全てにケリを付け終えたら......。
いつも楽しげなあの連中は、また私を仲間に入れてくれるだろうか?
「お嬢様、お綺麗ですよ......! どうか、鏡の前へ......!」
私はメイドの言葉に従い、純白のウェディングドレス姿の自分を見て苦笑した。
この姿を見せる相手は残念ながらあの領主だ。
しかし、一般人は式に参列出来ないが、式が終わった後のお披露目では、教会の前でその姿を見る事が出来る。
そこに、アイツは来るだろうか?
......いや、きっと来ないな。
アイツの事だ、今頃ふて腐れて、屋敷に一人で引き籠もっているだろう。
不機嫌そうなアイツの姿を思い浮かべ、私は思わず苦笑する。
「時間です。参りましょうかお嬢様。今日のこの日のために祝福を授けてくださるプリーストの方は、この街で一番の実力者です。きっと、最高の結婚式になる事でしょう......」
そう言って片手を差し出しひざまずくのは、当家に最も長く仕えてくれている執事、ハーゲン。
この日まで、私に自由を与えてくれた、この街の人達への感謝と共に。
ああ、楽しかったなあ......。
皆と過ごしたこの一年は、毎日が楽しく、幸せだった。
私は小さく微笑みながら。
ハーゲンが差し出す手を取った──
6
ここはアクセルの街で最も神聖な場所。
アクシズ狂......、ではなく。
もちろんエリス教の教会の中である。
参列するのはその殆どが街の有力者、もしくは、近場からやってきた貴族達。
その誰もが、この結婚式は茶番だと分かっているからなのだろう。
席に座る皆がぺちゃくちゃと好きに喋り、もうすぐ式が始まるというのに緊張感の欠片もなかった。
教会の入口の前には領主の部下による警備がなされ、それと共に、野次馬達も花嫁だけは一目見ようとごった返していた。
その野次馬の大半は冒険者。
ダクネスは、基本的に貴族である事は隠して冒険者をやってきた。
それが今回領主の嫁として大々的に発表されてしまったため、普段は鎧姿のダクネスの、花嫁姿を見ようと集まったのだろう。
本当に好奇心旺盛な連中だ。
好奇心が強いから冒険者なんてやっているのかも知れないが。
ずっとざわめいていた教会の中が、やがてシンと静まり返る。
教会の入口の左右に備え付けられた、新郎、新婦の控え室。
その控え室から、ハーゲンに手を引かれた花嫁が純白のドレス姿で現れたからだ。
親父さんが体調不良のため、屋敷の執事が代わりを務めているのだろう。
顔の前をヴェールで覆い俯きながら歩くダクネスは、ヴェール越しでも人目を惹きつけて離さない美しさを誇っていた。
続いて新郎側の控え室からも白いタキシードを着た領主が現れる。
丸い巨体で白のタキシードをパンパンに膨らませた領主も、他の見物客同様、ダクネスから視線を離す事が出来ないでいた。
呆けた様に口を半開きにしてダクネスから視線を離せず、ふらふらと......。
近づこうとして、ダクネスを連れていたハーゲンに、ゴホンと咳払いをされて我に返る。
そんなみっともない領主の姿も目に入らず、参列者達はひたすらにダクネスの姿に見とれていた。
やがて教会内のパイプオルガンが厳かな音楽を奏で始める中、領主はヴァージンロードをダクネスと共に歩きながら、その目は前を見ず、ひたすら隣の花嫁にのみ向けられ。
そして、ヴァージンロードを歩くダクネスもまた、俯いたまま歩いている。
俺はそんなダクネスを見ながら、激しい憤りを感じていた。
何が、『あの様子では飲まず食わずで数日はこの体を貪られてしまいそうだ。ドキドキするな......!』だ。
いつものド変態ぶりはどうした。
モンスター相手に頰を赤らめてるあの顔はどうした。
魔王の幹部をもドン引きさせた、あの発言の数々はどうした。
結婚式だというのにちっとも幸せそうに見えない顔で、寂しそうに俯くダクネスは。
やがて結婚の誓いをするべく、参列者達の注目を集めたまま、祭壇の前にやって来た。
俺の目の前に。
そう、祭壇の傍にいる俺の前に。
この世界での結婚の誓いは、聖職者であれば神父でなくても良いらしい。
例えば、この駆け出しの街にたった一人しかいない、希少な存在であるアークプリーストとかでも良い。
今回、執事のハーゲンに誓いの祝福の仕事を依頼され祭壇の中央に立っているのは、アークプリーストという、この街で一番高い位に就いている聖職者のアクア様。
そして俺は、そのアークプリースト様の助手として、その隣に堂々と控えていた。
誓いの祭壇の前に着いても、未だ花嫁を見たまま前を向こうとしない領主と、俯いたままのダクネスに。
厳かな音楽がピタリと止み、それと同時に、あんまり厳かではない声が掛けられた。
「汝ー、ダクネスは。この熊と豚を足したみたいなおじさんと結婚し、神である私の定めじゃないものに従って、流されるまま夫婦になろうとしています。あなたは、その健やかな時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も、貧しき時も、おじさんを愛し、おじさんを敬い、おじさんを慰め、おじさんを助け、その命の限り、堅く節操を守ることを約束しますか? 出来ないでしょう? 私はこのままダクネスと帰って、カズマの料理つつきながら、キュッと一杯やりたいなぁ......」
その場違いな発言に。
教会中の皆のギョッとした視線が、一気にアクアに集められた。
流石の領主もアクアにバッと目をやると。
「......!? なっ? お、お前はワシの屋敷に来て散々迷惑掛けていったあの女! 何を! 一体ここで、何をしている!?」
領主の罵声が響く中、ダクネスがアクアと俺を見ながら、驚きの表情で口をパクパクさせていた。
俺はその隙に、驚いているダクネスの腕をガッと摑む。
お父さんお母さん。
普通の子に真っ直ぐ育てよと言っていた、あなた方の可愛い息子は。
今や、平凡な人生など何処へやら、この地で一番偉い人を相手に喧嘩を売り、貴族のお嬢様を拉致ろうとしています。
我に返ったダクネスの顔がみるみるうちに青くなり、涙を零した。
「な、何て事を......。アクア......、カ、カズマ! カ、カズマっ、放せ! 手を放せ! お前達は一体何をしている! もうコレは洒落にはならんぞ! 貴族同士の結婚式に乱入した以上、どう足搔いても処刑以外の刑罰では済まされない! バカな事を! 本当に、バカな」
激昂し、俺に泣きながら食って掛かるダクネスの言葉を遮ると。
「バカバカうっせー大バカ女が!! お前の方こそ勝手にバカな事ばかりしやがって、勝手に俺の借金肩代わりしてんじゃねーぞ! お前俺の女房気取りか! 俺の事が好きならそう言えっていってんだろ!」
「誰がそんな事を言った! お前は本当に何を言っている、この大バカがっ!」
場を考えずに激しく言い合う俺とダクネスに、それまでぽかんと見ていた領主が我に返った。
「こっ、こいつを! こいつと、この偽プリーストを捕らえろ! この......っ、貧乏人の分際で、貴族の結婚を何だと思っている、場違いな一般庶民が! 早く、早くこいつを捕まえておけっ!」
領主が叫んで、俺が摑んでいるダクネスを取り返そうとした。
俺は摑みかかってくる領主から、未だ涙を零すダクネスを、グイと引っ張り背中に隠す。
それを見て、領主が一気に顔をドス黒くさせ......!
「このっ! 関係ない貴様はすっこんでろ! お前の大好きなララティーナはな! このワシに、貴様の様な貧乏人が一生掛かっても払いきれない、膨大な負債があるのだ! そんなにこの女が欲しいなら、まずはこの女を買う代金を用意してこい貧乏人めがっ! お前にそれが出来るのならなっ!!」
領主の売り言葉に、俺は祭壇の脇に置いておいた鞄を掲げ、
「しっかり聞いたぞ、約束は守れよおっさん! おら、ダクネスが借りた金、総額二十億エリス! 一枚百万のエリス魔銀貨で二千枚だ! これでダクネスは貰っていくぞ! あと、別に大好きなんて事はねーよ! な、仲間だからっ! 大事な仲間ってだけだからっ!」
一応領主の言葉を訂正しながら、その中身を領主の足下にぶちまけた!
なぜわざわざ金をぶちまけるかというと......。
「ああっ!? なっ、二十億!? ああっ、待てっ、ララティーナを! ワシのララティーナを......、ああっ金がっ! 拾ってくれ! おい、拾ってくれっ!」
ぶちまけた金を慌てて拾い集め始める領主。
それを見て、周りの参列者達も慌てて金を拾い始めた。
ちゃっかりくすねる奴もいるかもだが、そんな事まで責任は取れない。
その隙に、俺がその場を動こうとしないダクネスの手を取ると、領主の部下と思われる連中がこちらに向かって駆けて来る。
と、ダクネスが、俺の手を振り払い食って掛かった。
「おっ、お前は! 誰がこんな事をしてくれと言った! 貴様、私の覚悟を何だと思っている! それに、この金は! この大金は一体どうしたんだっ!!」
こんな時まで頑固なダクネスにイライラしながら。
「売った。俺の思いつく限りの全ての知識と権利を、全部売っ払ってきた。それに合わせて、今まで貯めた討伐賞金もひっくるめたら、ちょうど二十億エリスになった。これでもう、地道に真っ当に稼いでいくしかなくなった。......もう売っちまったもんは仕方がない。今更買い戻せないからな。分かったら、とっとと逃げるぞ!」
そんな俺にダクネスは、困った様な嬉しい様な、泣き笑いみたいな不思議な表情を浮かべ、それでも何かを言い掛ける。
「そんな事までして、お前は......、お前という奴は......っ! 私は、私は......っ!!」
走り来る領主の部下を目の前に、いよいよ我慢の限界にきた俺はダクネスの肩を摑んで思い切り揺さぶった!
「ガタガタガタガタ、いい加減にしろよコラッ、もうお前に拒否権はねーんだよ! これ以上口答えするんじゃねー! もう領主のおっさんからお前を買ったんだよ! お前はもう俺の所有物になったんだ! いいか、これからは散々酷使してやる! 俺がはたいた金の分、身体で払ってもらうから覚悟しとけよ、このド変態クルセイダーがっ!! 分かったか! 分かったら、返事をしろ!!」
「ふぁ、ふぁいっ!」
揺さぶられ、本気で怒鳴りつけられ、衆目の中ド変態呼ばわりされたダクネスが、目に涙を浮かべたまま、恍惚としたヤバめの顔で、変な声で返事をした。
俺に肩を摑まれていたダクネスは、そのままクタッと腰が砕けた様にへたり込む。
どこが琴線に触れたのかはしらないが、今の言葉はドM的にクリティカルヒットだったらしい。
コイツは、いつもいつも肝心な時にどうしてこうも足を引っ張るのか!
俺は腰砕けになったダクネスをお姫様抱っこの形で無理やり抱きかかえ、教会の入口目指して駆けだした。
参列者達は街の有力者や貴族達。
荒事は苦手なのか、厄介事には巻き込まれたくはないのか、領主の傍で金を拾っている人達以外は、皆、俺達を取り押さえようとはせず事の成り行きを眺めている。
「はぁ......はぁ......か、買われてしまった......。貴族の私が、この男に! まさか、か、身体で払えとは......! ああっ、しかも何だこの状況は......! 式場からお姫様抱っこで攫われるだとか、まるで......、まるで......!」
俺に抱きかかえられているダクネスが、見たこともないぐらいに頰を火照らせ、何だかヤバイ感じで息を荒らげている。
「おっ、おいお前、よだれ! 何かよだれが出てるから! 大丈夫か色々と!?」
ダクネスに注意する俺に、最後尾を付いてくるアクアが何故か顔を輝かせ、
「さすが鬼畜のカズマさん! 肩代わりしてもらった壊した建物の借金を返しただけなのに、なぜかダクネスを買い取ったみたいな状態に! ねえカズマ、ダクネスに身体で払ってもらうって、多分めぐみんが聞いたら爆裂魔法叩き込まれるわよ? 完全に死体がなくなっちゃったら、いくら私でも生き返らせられないから気をつけてね?」
「ち、違っ!? 人聞きの悪い事言うなよ、あれは言葉のあやっていうか! クルセイダーとして、冒険者として身体で払ってもらうって意味で!」
俺が言い募っている間にも、ヴァージンロードの上を駆ける俺達の眼前に、領主の部下が立ち塞がる。
俺の腕の中で頰を赤らめ、いつまでも蕩けた表情を浮かべているダクネスに。
「くそっ! おいダクネス、いつまで惚けてる気なんだよ! いい加減自分で走れ! あとお前、筋肉付いてるから地味に重いんだよ!!」
「き、貴様というやつはっ! 折角のこの状況で、地味に重いだとかムードもへったくれもない事を!!」
目尻に涙を浮かべたダクネスが、ドレスの裾を動きやすい様威勢よく引き裂くと、俺の腕の中から飛び出した。
「ここまでやらかしてしまった以上は仕方がない、もう色々と吹っ切れた! 領主の犬ども、そこをどけっ! どかぬというなら、ぶっ殺してやるっ!!」
そして被っていたヴェールも脱ぎ捨てて、長い金髪をたなびかせながら領主の部下に突っ込んでいく。
物騒な事を叫ぶダクネスを取り押さえようと領主の部下が摑み掛かるも、ダクネスはそれを躱そうともせず手を伸ばす。
ダクネスは、何人かに肩や腕を取られるも、それらを無視して引きずりながら、自らにしがみつく二人の部下の顔面を、左右の手でわし摑む。
そのままアイアンクローを食らわされた領主の部下達が、頭からミシミシという音を立てさせられて悲鳴を上げた。
「ちょっ、俺達はお前を取り返しに来たのに、当の本人が真っ先に突っ込んでってどうすんだ! アクア、支援下さい! 支援下さいっ!」
「任せなさいな! 芸達者になる魔法はいるかしら?」
「是非下さい! あれはとても良いものだ!」
俺達の後ろには、未だに必死で金を拾う領主と、そして同じく金を拾う、参列者の一部の人達。
アクアから芸達者になる魔法を受けた俺は、ダクネスの後ろから、口元を隠し大声で。
「おい、やっぱりその連中はもういい、今日のところは放っておけ! それよりお前達もこっちに来て、ワシの金を拾うのだ!!」
領主の声を真似ながら、ダクネスと揉み合っている連中に命令する。
「は? ははっ! 了解しました!!」
俺の言葉を領主の指示だと思い込み、その連中は俺達の隣を駆け抜け領主のもとへ。
「バカッ! なぜお前達までこっちに来るのだ!! とっととララティーナを捕まえんか!」
「!?」
一旦は俺達を諦めた領主の部下達が、混乱しながらも再び追い掛けてくる。
やがて俺達の前からも、十を超える領主の部下が。
それぞれ武器らしい物は持っていないが、アクアの支援があっても突破出来るかどうか。
ここはどうやら、王都で見せた俺の本気を再び発揮する時が来た様だ......!
ダクネスを奪い返した俺が、ヒーロー気分に浸っていたその時だった。
「『ライト・オブ・セイバー』ッッッ!」
聞き覚えのある声が教会真正面のドアから響き、ドア周りのレンガの壁を、丸くくり貫く様に光が奔る。
それは紅魔族が好んで使う、自らの手刀に魔力を纏い、全てを切り裂く光の魔法。
一拍置いて、魔法によってくり貫かれた教会の壁がドアごとゴトンと倒れ。
外の眩しい陽の光を背に、そこには二つの人影が立っていた。
教会の外にいた多くの野次馬冒険者達は、二人を遠巻きに、そして今から何が起こるのかと楽しそうに見守っている。
二人を警戒する様に、そして怯えた様に距離を取る領主の部下達。
「めぐみん、やったわよ! 私、やってやったわ! 親友だからね! しっ、親友の頼みなら、こんな犯罪紛いの事だって大丈夫だから、私! だって、『どうか協力をお願いします、我が親友』だなんて言われたら、断れるわけないじゃない!!」
「はいはい、ご苦労様ですゆんゆん。さすが私の親友ですね。では、もう宿に帰ってもらって良いですよ」
「ええっ!?」
そこにいたのは紅い目をした二人の少女。
めぐみんが一歩前に出るだけで、領主の部下達が顔を引きつらせて後ずさる。
その後ずさる連中の視線の先には、先端が光り輝くめぐみんの杖がある。
......なんてこった。
あいつは、この街の中心で何の躊躇もなく爆裂魔法を完成させてしまった様だ。
凄まじい魔力が込められた杖を掲げためぐみんは、今までに見た事もない真剣な顔で、目を真紅に輝かせたまま、マントをバサッとひるがえし。
そして、その場の全ての人々に、静かな声で言い放った。
「悪い魔法使いが来ましたよ。悪い魔法使いの本能に従い、花嫁を攫いに来ました」
薄暗い教会の入口で太陽を背にしためぐみんは、ダクネスを先に奪還に来ていた俺が目立たなくなるぐらい、なんかもうヒーローみたいに格好良かった。
......それ、本当は俺がやりたかった事なのに!
7
教会の参列者に領主の部下。
それらが半ばパニックになりながら、その悪い魔法使いの一挙手一投足に注目していた。
「私のあだ名は知っていますね? なら、もちろんこの杖の先の魔法が何かも知っていますね? 先に言っておきますが、この魔法を制御し続けるのにはかなりの集中を必要とします。......突然不意を突かれて制御を失えば、ボンッ! ってなります。掛かってくるのなら、そこら辺をよく注意してからきてください」
要約すると、ちょっとでも手を出したら制御失って爆発するから、それでもいいなら掛かってこいやと言っている。
悪い魔法使いの名に恥じないお見事な脅迫ぶりだ。
顔を引きつらせ、遠巻きにめぐみんを囲む領主の部下達。
真っ先に突っ込んで行ったダクネスを捕まえるも、逆に振り回されていた連中も、それを見て俺達を捕まえるどころではなくなっていた。
と、めぐみんの傍に立っていたゆんゆんが、教会の中の様子をざっと見回し。
「......あ、あれ? ねえめぐみん、カズマさんが既に、ほら......」
ゆんゆんの言葉に、俺とアクア、そして、ドレスのスカートを引き裂いたダクネスを見て、何があったのかを悟っためぐみんが、目を細めて口元を綻ばせた。
そして俺達の逃げ道を作る様に、手にした杖をこちらに向ける。
それを見ただけで、俺達の前に立ち塞がっていた領主の部下は、慌てて参列席へと逃げ込んだ。
その隙に俺達三人がめぐみんのもとへ駆け寄ると......!
「なっ、何をっ! 何を怖気づいているバカ者がっ! あんなものはハッタリに決まっているだろうが! こんな所で爆裂魔法なんて放てばどうなるか、それが分からないバカがいるか! どうせそいつに魔法を撃つ気はない、取り押さえろ!」
未だに慌てて金を拾っていた領主が叫んだ。
だが、その一言に。
「ほう! この私が怖気づくと! 爆裂魔法を撃つ事を怖気づくと、本気で言っているんですね! いいでしょう、いいでしょう! その挑戦を受けましょう!!」
「止めろ! 近付かない! 近付かないからマジで止めろ!」
「攻撃なんてしない! だから止めろ、止めろ!」
「アルダープ様! お願いですから挑発は止めて下さい!」
めぐみんの一言に、領主の部下達が顔を引きつらせながら慌てて離れた。
一体めぐみんの悪評はどれ程なのだろうか。
いくらめぐみんでも、こんな街中で爆裂魔法は......。
............う、撃たない......よな?
めぐみんが領主の部下を威嚇する中合流を果たした俺達は。
「これから俺の格好良いとこを見せようと思ったのに、美味しいとこ持っていきやがって! でも助かったからお礼は言っとく。ありがとう!!」
そう言って、めぐみんに笑いかけた。
「派手に美味しいところを持っていくのは紅魔族の本能ですから。まったくカズマは、口ではなんやかんや言いながら、最後には何かやらかすとは思ってましたが......。まさか、先を越されているとは思いませんでしたよ」
めぐみんはそう言いながら、何だか少しだけ満足そうな顔をする。
「めぐみん! それに、ゆんゆんまでこんな事......! 帰ったら......、話は、帰ってから......っ! 帰ってから、礼を......!」
感極まっているのか、まだ先ほどの興奮が冷めやらないのか、ちゃんと喋れないダクネスに、めぐみんが少しだけ照れ臭そうにはにかんだ。
「何を水臭い。その......、仲間でしょうが、私達は。......ゆ、優秀なクルセイダーをそうそう簡単には手放しませんよ!」
自分で仲間だのなんだの臭い事言って照れたのか、めぐみんはごまかす様に語尾を荒らげる。
そしてそんなめぐみんに。
「仲間かぁ......。仲間って良いよねめぐみん! その、もし親友の私が同じ状況になったなら、助けに来てくれた?」
「いえ、ゆんゆんは親友なだけで自称ライバルですし......。仲間という訳ではないですから、別に......」
「!?」
今日はやたら親友を強調してくるゆんゆんに、きっぱり拒絶を示すめぐみんが容赦ない。
「ねえ、そんなのん気に話してる場合じゃないんですけど! この状況を何とかしてよ!」
教会の入口に集まる俺達を、ジリジリと包囲しようとする領主の部下達。
現在、ウチの危険人物、めぐみんの導火線に火が付いている状態だ。
この状況で飛び掛かってくる事はないとは思うが......。
いつまでも飛び掛かろうとしない自分の部下に焦れたのか、突然領主が大声を上げた。
「おい、そこの野次馬達、見るからに冒険者風のお前達だ! そこにおるのは犯罪者だ! そいつらから、ワシの花嫁を取り返してくれ! そうしたら多額の報酬を払おうじゃないか! なんなら、ワシの屋敷で守衛として雇ってやる! その日暮らしの冒険者家業から足を洗えるぞ! 頼む! ララティーナを! ワシのララティーナを!」
領主の言葉に、面白そうに事の成り行きを見守っていた野次馬冒険者達が、それぞれ顔を見合わせた。
そして......。
「......? おい、聞いているのかお前達! 報酬を出す! いくら欲しいんだ!」
ちっとも動こうとしないどころか、途端にあさっての方を向いたり、突然欠伸をしだして聞こえないふりを始める冒険者達。
どうやら見逃してくれるようだ。
ありがたい、捕まえる側に参加しないだけでも充分だ!
「おいダクネス。一人でヒュドラを倒そうとした時みたいに、アホなお前がアホな考えで自分勝手に嫁に行こうとしたのに、こんだけの人数の連中が、またお前を見逃して、助けようとしてくれてんだ。ちょっとはその固い頭を柔っこくして反省しろよ?」
俺の言葉にダクネスは嬉しそうに頰を染め、軽く涙ぐんで俯いた。
良い話だなー......。
俺は冒険者連中の考えている事が分かっているから、今のダクネスにこれ以上無粋な事は言わないが。
皆楽しそうにニヤニヤしているなあ......。
きっとダクネスがギルドに行ったら、当分の間は、
『ララティーナお嬢様、今日はお綺麗なドレスは着ないのですか?』
と、からかわれるに違いない。
ダクネスが実はお嬢様だったという事を、もはやこの街の冒険者皆が知っている。
この街の図太い冒険者連中が、何だかんだで付き合いも長いダクネス相手に、今更態度を変えたり怖がったりするとも思えない。
とばっちりを受けそうだし、この件が片付いても、しばらくからかわれるであろうダクネスには近付かないでおこう。
......と、教会前を警備していた部下に囲まれている間に、既に教会内にいた連中もこちらに集まり、膠着状態になってきた。
相手だってバカでもないし、都合のいいやられ役の雑魚でもなければ素人でもない。
人数だってこちらより遥かに多いのに、そう易々とは抜かせないだろう。
街中で武器なんて使えばそれこそ言い逃れの出来ない犯罪者だ。
いや、既に言い逃れの出来ない犯罪者な気もするが。
「くっ......! カズマ、そろそろ魔法の維持が限界に近づいてきました! もう撃ってもいいですか? どのみち私達は犯罪者です! いよいよイライラしてきましたし、この連中に向け、撃っちゃってもいいですか!?」
突然そんな事を言い出しためぐみんに、周囲の人間がギョッとする。
勿論俺も。
「ああ、もうダメです、維持できません! みんな、私から離れて逃げてください!」
ここでまさかの制御不能!?
これがめぐみん以外の魔法使いの言葉なら、ハッタリか何かだとも思えただろう。
だが、既にめぐみんの事をよく知っている周りにいた連中は、真っ青な顔をして慌ててその場から逃げ出した。
俺もとっさに隠れると......!
「『エクスプロージョン』ッッッ!」
めぐみんが、爆裂魔法を空に向けて打ち上げた。
凄まじい轟音と共に、空中に閃光が奔り大爆発が巻き起こる。
その衝撃波で街中のガラスがひび割れ、辺りの人々は頭を抱えて地に伏せた。
「さあ、今の内......に......」
魔力を使い果たしためぐみんは、アクアに支えられながらこちらを見て、なぜか声のトーンを落としていき......やがて無言で俺をジッと見る。
その冷ややかな視線で今の自分の状態に気が付いた。
現在俺は、ダクネスの背に隠れるように縮こまり......。
「ねえカズマ、さすがに助けに来た相手の陰に隠れるってのは外道にも程があると思うの」
「......うん、今日のカズマは何だか凄く格好良く見えていて、私の目はどうしてしまったのだと心配していたが、気のせいで良かった」
「か、カズマさん......最低......」
何気に最後のゆんゆんの一言が一番堪える。
おっと、周囲で伏せていた見物客の皆さんもゴミを見る目ですね。
そんな事より、めぐみんの爆裂魔法で相手が怯んでいる今がチャンスだ。
俺達は領主の部下の囲みを突破し、そのまま通り過ぎようとするが......!
「爆裂魔法は一日一回しか撃てないはずだ! 今だ、取り押さえろ!」
流石に魔法の衝撃で怯んでいたのは一瞬らしく、領主の部下達は今度は何の躊躇も無くこちらに向かって駆け出した。
アクアにおぶわれためぐみんが叫ぶ!
「ゆんゆん! ここはあなたに任せて先に行きます! これから私がどうなっても、振り返らず戦ってください!」
ゆんゆんがそれを聞き......!
「バカッ! 私達はもう親友でしょ!? 何言ってるの、めぐみんを置いて行ける訳......、今何て言ったの!? ねえめぐみん、私達、以前も紅魔の里でこんな事がなかったっけ!?」
ゆんゆんは、思わずめぐみんの言葉を聞き返した。
「時間稼ぎをお願いします我が親友! 後日、私の友達を紹介しますから!」
「分かったわ、任せて! 親友だもの、仕方ないわね!」
嬉々として立ち塞がるゆんゆんに、領主の部下達は明らかに警戒の色を浮かべる。
もう、もう、俺で良ければいくらでも友達になるから......っ!
ゆんゆんを残し、逃亡する俺達の後ろでは、
「紅魔族とはいえ魔法使いの女一人だ! 魔法を完成させる前に取り押さえろ!」
そんな領主の部下の声が聞こえてきて、俺の後ろ髪を引っ張った。
しょうがない、俺も残ってダクネスを逃がす間の足止めを......!
俺がそう思って引き返そうとした、その時だった。
「痛えええええっ! いきなり押されてっ! ぐあああっ、骨が! 骨がああああっ! ダスト、助けてくれぇっ!」
一人の男が悲鳴を上げ、地に転がる音がする。
「おい大丈夫かキース! こいつぁ酷ぇ......。倒れた拍子に、骨が木っ端微塵に粉砕骨折してやがる!」
なんだか聞き覚えのある声と名前が聞こえた。
「なっ!? 触れただけで何を大げさな! いきなり飛び出してきたのはその男だし、自分から転んだではないか! ちょっ、折れてると言っているクセに、なぜ俺の足が摑める! 放せ!」
それは領主の部下の声。
「オイオイオイ! お前まさかこいつを下半身不随にしておいて、詫びの一つもなく逃げようってのか? 領主様の部下だか何だか知らねえが、それはちょっとばかし横暴ってもんじゃないんですかねえ!?」
俺達は走りながらも、そんなチンピラの声を背後に聞く。
タチの悪いチンピラに絡まれている領主の部下達は、めんどくさそうに、
「先ほどは骨が砕けたとか言っていたのにいつ下半身不随になった! ああもう、いい加減邪魔だ、どけっ! 邪魔すると後で痛い目を......!」
きっと、領主の部下がチンピラを押しのけでもしたのだろう。
「痛ぇっ! こっちがおとなしくしてりゃあ暴力を振るいやがったな! こいつ、手を出しやがった! 上等だ、やっちまえ! こんなんやっちまえっ! つーか最近、とある貴族にエラい目に遭わされたんだ! 俺は元々貴族連中が大っ嫌いなんだ、お前で鬱憤晴らしてやんよ!!」
「ちょっ!? 待てッ、やめっ!?」
「やっちまえ!」
「やっちまえ、やっちまえ!」
「おい、俺も交ぜろ交ぜろ!」
「前からあの領主、気に入らなかったんだよ!」
「待っ! お、お前、折れてるって! 折れてるって言ってたくせに! うわああっ!」
走りながらチラリと後ろを向くと。
そこには、野次馬冒険者達に袋叩きにされる領主の部下達の姿があった。
ほとぼりが冷めたなら、またあいつらに酒でも奢ろう。
「ララティーナ! 行くなララティーナ! ララティーナーっ!」
遠くから、ダクネスを呼ぶ悲痛な叫びが聞こえていた。
8
「──お、お嬢様!? そのお姿は......! と、とにかく中へ!」
領主の部下から逃げおおせた俺達は、ダクネスの屋敷へと逃げ込んだ。
守衛の一人が慌てて門を開けてくれる。
突然式を放り出して帰って来た、破れたドレス姿のダクネスに屋敷の者が驚くが、ダクネスはそれらを無視して堂々と歩いて行く。
俺達三人は、ダクネスがどこへ行く気かは分からないまま、その後を付いて行った。
「お父様、失礼します」
ダクネスが向かった先はとある部屋。
お父様って事は......。
ああ、以前俺が侵入した時に、親父さんの部屋の窓を脱出の際に叩き割ってしまった。
それで、親父さんの部屋も別の部屋に替えたのだろう。
ダクネスは返事も待たずに中へ入った。
貴族のお嬢様がそれで良いのかと思ったが......。
違った。
もう、親父さんはロクに返事が出来ない状態だった。
俺が以前侵入した時よりもやせ細り、目の下に黒い隈を作り、深い息を吐きながら眠っている。
その親父さんが、物音に気付きうっすらと目を開けた。
ダクネスが、そして俺達が。
親父さんの枕元に近付くと。
ダクネスの姿を見た親父さんは......。
「......おお、ララティーナ......。綺麗だなぁ......。まるで、母さんみたいだ......」
そう言って、弱々しくも優しく微笑む。
その親父さんを見て、ダクネスは申し訳なさそうに顔を伏せた。
「......その、申し訳ありませんお父様......。勝手に進めた結婚ですが......。最悪の形でぶち壊して逃げてきてしまいました......」
それを聞いた親父さんは、実に嬉しそうに目尻を下げる。
「そうか......! それは良かった。気にする事はない、謝る事もない」
そう言った後、親父さんは俺に向き。
「カズマ君、こっちに来てはもらえんか」
その親父さんの言葉に、俺はベッドへ近付いた。
「......私は、ちょっと外の空気を吸ってきますね」
場の空気を読んだめぐみんが、そう言って廊下へ出て行った。
......そして空気の読めないヤツが、ちょろちょろと親父さんのベッドの傍へ。
病人がいるとこで叱り付けるのもアレなので、もうこいつは放っておこう。
親父さんは俺の顔を見ると、嬉しそうに笑い。
「......よくやってくれた。ありがとう。感謝するよ」
突然そんなお礼を言われても。
「俺は、お宅の娘さんに借りを返しただけですよ」
俺の言葉に、親父さんは再びニコリと笑みを浮かべた。
そして、ダクネスが居る前で、とんでもない事を言い出す。
「カズマ君。ウチの娘を貰ってやってくれ。頼むよ」
「えっ!?」
突然の言葉にダクネスがギョッとする。
「いらないですよ、何の罰ゲームですか」
「ええっ!?」
俺の言葉に、ダクネスが更にギョッとして声を上げた。
ダクネスは、何か言いたそうな顔で俺を見ている。
そんな俺達を見て、親父さんは楽しそうに笑みを浮かべる。
......参ったなあ。
王国の懐刀は、俺の心中などお見通しらしい。
分かってます、変な男に取られるぐらいなら、ちゃんと面倒見ておきますよ。
俺のそんな内心を見抜いているのか、親父さんは安心した様に息を吐く。
......もう、親父さんに残された時間は少ないみたいだ。
「ララティーナ。今の暮らしは楽しいか? 全てを捨てられるぐらいに?」
親父さんが、目を閉じながらそんな事を呟いた。
それにダクネスが、何の迷いもなく即答する。
「楽しいです。全てを投げ出して、仲間達を守りたいと思えるぐらいに」
親父さんはそれを聞き、満足そうに一つ頷くと、小さく、そうか......と呟いた。
「ララティーナ。お前は好きな道を行きなさい。後の事は任せるといい。こんな身体でも、最後に一筆書くぐらいは出来るだろう」
そんな親父さんに、ダクネスが寄り添い、手を握る。
「愛していますお父様。今まで育ててくれて、ありがとう......! お父様が元気になったら、また何時か。私が眠るまで話してくれた、死んだ母さんの事を教えてください......」
「愛しているよ、可愛い娘よ。ああ、またいつか、お前の大好きだった母さんの話をしてあげよう......」
ダクネスの瞳が潤む。
親父さんは、またいつか、ともう一度呟いて、幸せそうな笑顔と共にダクネスの手を握り返すと......。
親父さんの身体が、突然ベッドを囲むように現れた魔法陣の光に覆われた。
「『セイクリッド・ブレイクスペル』!」
それは空気を読めない子が放った魔法。
「あああーっ!?」
「お、お父様ーっ!?」
突然の閃光に、親父さんとダクネスが悲鳴を上げる。
その光が収まると、親父さんの顔からは隈が取れ、未だ瘦せこけてはいるものの、肌にうっすらと赤みが差す。
............えっと。
呆然としている皆の視線を浴びながら、アクアが褒めてとばかりに自慢気に。
「呪いよ! このおじさん、かなりの悪魔にすんごい呪いを掛けられていたから、私の力でサクッと解除してあげたわ!」
空気が読めない女神のおかげで元気を取り戻した親父さんは、ダクネスと手を握り合ったまま見つめ合い。
「「............」」
ゆっくりと握っていた手を放したダクネスは、耳まで顔を赤くしてフイッと窓の外を向き、親父さんは布団を上げて、恥ずかしそうに顔を埋めた。
布団から僅かに覗く親父さんの顔が、ダクネスと同じく真っ赤になっている。
......親子ですね。
「これでもう大丈夫よ! ダクネス、良かったね! ダクネスのお父さんも、何度でもお母さんの話をしてあげてね!」
まったく悪意はない嬉しそうなアクアの声。
それを聞いたダクネスが、顔を覆って蹲った。
いい話だなー......。
「ああ......、くそっ! くそっ! くそおっ!」
寝室の地下にある隠し部屋。
そこでイライラと、薄汚い一匹の悪魔に当たり散らしていた。
願い一つも満足に叶えられない壊れた悪魔、マクスを何度も何度も足蹴にする。
「ヒュー、ヒュー、ヒュー」
おかしな声を上げながら、蹴られるマクスは頭を抱えてうずくまる。
この下級悪魔を神器で呼び出し、一体どれぐらいの付き合いになるのか。
これだけの付き合いともなれば普通は可愛気が出てくるものだが、こいつだけはどれだけ経っても慣れる事は出来なかった。
「お前がっ! お前がもう少し使える悪魔だったなら! あそこで、あそこでワシのララティーナを奪われるはずもなかったのに! お前のつじつま合わせの強制力はそんなにちっぽけな物なのかっ! 役立たず! 役立たず! この、役立たずがぁっ!」
「ヒッ、ヒュー、ヒュー。教会は悪魔の力が弱くなるからね。そんな事より、何者かに呪いが解かれた様だよアルダープ」
頭を抱えてうずくまったまま、マクスがサラッととんでもない事を言った。
「呪いが解けただと!? お前はっ! 満足に、人間一人呪い殺す事も出来ないのかっ!」
怒鳴りつけながら、マクスを思い切り蹴り飛ばす。
物覚えが悪いコイツは、代価を受け取ったかどうかすら簡単に忘れるので、元手が掛からないというだけで使い続けていたのだが......そろそろ切り捨てるべきか?
だが、今回の件を揉み消すには、まだコイツの力が必要だろう。
さすがに、街の有力者達や貴族の前で、ララティーナへのあの言い草はマズかった。
頭に血が上り、家格は遥かに上のララティーナに対し、公衆の面前で随分と暴言を吐いてしまった。
しかし、式に乱入した忌々しい小僧を、これで堂々と処刑出来るようになったのはいい。
場合によっては、ララティーナが小僧の助命を懇願し、その身を差し出しに来るかもしれない。
「マクス! 今回の教会への参列者、及び、ワシの言葉を聞いた者達の記憶を明日の朝までに、全て都合の良い様に捻じ曲げ、つじつまを合わせておけ! 分かったな!」
明日の事に思いを巡らせ、そう言い捨てて、薄暗い地下室を後にしようと......。
「ヒュー、ヒュー......。無理だよアルダープ。僕にはそれほどの、力は無いよ」
して、その言葉に足が止まった。
......無理?
この壊れた悪魔が、今まで口答えをした事はない。
ましてや何を望もうが、どれだけ事実を捻じ曲げようが、無理だなどと言った事はない。
それが、今こいつは初めて無理と言った。
「......無理だと? お前が下級悪魔だという事は、呼び出したワシが一番よく分かっている。この神器にランダムで呼ばれて来たぐらいだからな。......だが、貴様に拒否権はない。やれ! 無理だろうが何だろうが、やって来い! 人数が多いからか? 記憶の捻じ曲げはお前の得意技だろうが! さっさとやれっ!」
だが、それでも......。
「無理。光が......。ヒュー、呪いを解いた強い光が邪魔をするから、それは無理」
無理だと拒否する悪魔の言葉に、カッと血が上る。
「もういい、この無能な悪魔が! 貴様なぞ、契約解除して他の力ある悪魔を呼び出してやる! 最後の命令だ! ワシの前にララティーナを......! お前の強制力で、今すぐここにララティーナを連れて来い! そうしたら、貴様に今までの代価を払ってやる!」
その言葉にマクスが反応した。
「代価? 代価を払ってもらえる?」
「ああ、本当だ。本当だとも。お前はバカだから、ワシが何度も代価を払っている事を忘れているだけだ。今度もちゃんと払ってやる。さあ、ララティーナを連れて来るんだ」
そう言って、マトモな記憶力がなく何度も騙されるこの悪魔に、諭す様に優しく告げる。
......その時だった。
「領主殿はいるか? 私だ。今日の事で謝罪に来た。顔を見せてはくれないか......?」
この、誰も存在を知らない地下室の入口が、なぜかコンコンと叩かれた。
どうしてこんな時間にだとか、なぜこの地下室を知っているのかだとか、そんな事はどうでもいい!
その声は、勿論この私が聞き違えることなどない......!
「ララティーナ! ララティーナか! よ、よし、良くやったマクス! 褒めてやる! 褒めてやるぞ! 一体どうやったのかしらないが、約束通り代価を払ってやろう! 契約も解除だ! 貴様を自由にしてやろう! ああ、ララティーナ、今開けよう!」
「まだ何もしてないのに、ヒュ、ヒュー! 代価を払ってくれる? 契約を、解除?」
何かを呟くマクスに注意を払う事もなく、急いで地下室のドアを開けた。
そこからこちらを見下ろすのは、間違え様のないララティーナの姿。
それも、随分と扇情的なネグリジェを身にまとったララティーナは、普段見せない様な親しげな笑顔を見せ、地下への階段を下りてきた。
その姿に、その笑顔に、即座にどす黒い欲望が身をもたげる。
ララティーナがすまなそうな顔で甘く囁く。
「申し訳ありません領主殿......。昼の事は謝ります。......なので、どうか、わが身と引き換えに仲間の助命を......!」
その言葉に全てを理解した。
この女は自分の予想通りに、仲間の助命の懇願に来たのだ!
もう、これ以上は我慢できない!
長年ずっと狙っていた娘が、こんな格好で目の前にいるのだ。
ララティーナが階段を下りきるまで待つ事が出来ず、その身体にむしゃぶりつこうとした、その時だった。
ララティーナがニイッと笑うと、その姿がグニャリと歪む。
そして、そこには......、
「フハハハハハハ! ララティーナだと思ったか? 残念、我輩でした! おっと、これまた凄まじく強烈な悪感情! 美味である美味である! フハハハハハハ!」
マクスと同じタキシードを着た、仮面を被った男が立っていた。
「!? な、なんだ貴様は。なんだ、貴様はっ! このゾクゾクする感じ。マクスと同じ感じだ! 悪魔だな! 貴様は悪魔だ!」
目の前の悪魔とおぼしき者に指を突きつけると、その仮面の悪魔はニタリと笑う。
「マクス! この汚らわしい悪魔を殺せ!」
仮面の悪魔を指差し、叫ぶ。
取り逃がした悔しさに歯軋りし、切望していたララティーナに化けて現れるとは、なんて奴だ!
なんというガッカリ感!
絶対に、絶対に許さない!
「......? なぜ僕が同胞を殺さないといけないの? ヒューッ......? あれ? 君はどこかで会ったのかもしれないな?」
マクスが、命令も聞かずにそんな事を言い出した。
口答えをしたのは、これで何度目だ?
今日はどうしてしまったのだこの悪魔は、本当に壊れてしまったのか?
そんな事を考えている間に、目の前の仮面の悪魔が、貴族として羨むような、完璧な作法と共に礼を尽くしたお辞儀をする。
「貴公に自己紹介をするのは何百回目か何千回目か。では今回も、初めましてだマクスウェル。辻褄合わせのマクスウェル。真実を捻じ曲げる者マクスウェル。我輩は見通す悪魔、バニルである。真理を捻じ曲げる悪魔、マクスウェルよ。迎えに来たぞ!」
この壊れた悪魔はマクスではなくマクスウェルというのか?
いや、迎えに来ただと......?
「バニル! バニル! なぜだろう、何だかとても懐かしい気がするよ! 以前どこかで会ったような?」
「フハハハハハ、貴公は会う度に同じ事を言うな! 貴公の名前はマクスウェル! こことは違う別の世界から、記憶を失ったままやって来た我が同胞である! さあ、貴公が在るべき場所、地獄へ帰ろう!」
「ま、待て待て! そいつはワシの下僕だ! 勝手に連れて行くな!」
思わず出たその言葉に、バニルと呼ばれた悪魔が笑う。
「下僕? 我輩と同じく地獄の公爵の一人であるマクスウェルが、貴様の下僕だと? 悪運のみが強い、傲慢で矮小な男よ。貴様は運が良かっただけだ。たまたま最初に呼び出した悪魔がマクスウェルだったから助かったのだ。他の悪魔を呼んでいたなら呼び出した瞬間に、代価も持たない貴様は引き裂かれていた事だろう! だが、貴様は運が良かった! 何も分からないマクスウェル! 力はあるが、頭は赤子のマクスウェル! 彼のおかげでその地位まで上ることが出来たのだ、深く、深く感謝するがいい!」
言っている事が分からない。
私が飼っていたマクスが、地獄の公爵?
いや、私がこの地位まで上り詰めたのは自分の力だ。
この壊れた悪魔の力など微々たる物でしかないはず。
バニルの指摘に戸惑う私に、その仮面の悪魔は更に口元を歪めて言った。
「そして、貴様は先ほど我輩が現れた時、マクスウェルにこう言ったな。......約束通り代価を払ってやろう! 契約も解除だ! 貴様を自由にしてやろう! と」
その指摘に、しまったと後悔する。
あの時はマクスが力を使い、ここにララティーナを呼んだのだと勘違いしてしまった。
上機嫌になり、我を忘れ、ついあんな事を口走ってしまった。
......そうか、この悪魔は見通す悪魔だと名乗ったな。
つまりこうなる事を分かった上で、このタイミングでここに来たのだ。
そこまで考えていたその思考すらも見通すかのように。
「そう、貴様とマクスウェルの間に契約が交わされているというのが問題だったのでな。いやいやまったく、大層回りくどい事をしてしまった」
......回りくどい?
「き、貴様、貴様......! 貴様が、まさか!!」
「そう、ご想像の通りである! 我輩があの小僧に借金返済の都合を付け、貴様の事も教えてやったのだ! フハハハハハハ! いいぞいいぞ、素晴らしい悪感情だ! 美味である美味である!」
震える拳を握り締め、
「こんな! こんな事をしてくれて......! こんな壊れた悪魔が欲しいのなら、言えばいい! 正体を明かして言えば、そうすれば、最初から返してやったのだ! こんな、街中を巻き込み、ワシに恥を晒させずとも......!」
そうだ、ここまで先を見通せる悪魔がいたと最初から知っていれば、私だってここまで大胆な事は......!
そんな私に、悪魔が告げた。
とてつもなく、バカな事をあっさりと。
「この方が面白いだろう! フハハハハハ、見物であった! 見物であったわ! 今回は、あの女神ですらが我輩に踊らされた事になるのではなかろうか! あのチンピラ女神が式に呼ばれている間、この我輩が卵の孵化をさせられるという屈辱は受けたものの、極上の悪感情を味わえた! 恋い焦がれ、ようやくその偏愛が実り! そして、あと少しで手に入ると思った瞬間に嫁を連れ攫われた時の、貴様のあの悪感情! 思わず我輩、このまま滅ぼされてしまっても良いとすら思える程の美味であった!」
何を言っている、何を言っているのだこの悪魔は!
「さて領主殿。我輩はもう貴様に用はない。後はマクスウェルを地獄に帰し、我輩はあのへっぽこ店主の下であくせくと働くのみだ」
どうやら、この悪魔はマクスを連れて、もう帰るつもりの様だ。
仕方ない、マクスが強力な悪魔だったとは知らなかったが、こいつがいなくてもきっと上手くやっていける。
だが、明日からどうするか。
これからは悪事の証拠を揉み消す事も出来なくなった。
と、そんな事に頭を悩ませていた、その時。
「ヒュー! ヒューッ! バニル! バニル! 帰る前に、僕はアルダープから代価を貰わないと! さっき言ってくれたんだ、代価を払ってくれるって!」
興奮したマクスが喉から笛の音の様な音を鳴らし、嬉々としてそう言った。
しまったな、そう言えばそんな事も口にしてしまった。
「分かった分かった、代価だな。払ってやるからとっとと」
帰れ、と言おうとした、その時だった。
暗い地下室に響く鈍い音。
それが、自分の腕が折られた音だと気付いたのは......、
「......えっ、あっ、ああああぐああああああっ!?」
マクスが、私の両腕を握りへし折る姿を確認してからだった!
「ひいっ!? ひいいいいっ! 痛っ、いっ、いだああああっ!?」
折れた両腕を握り締められ、悲鳴を上げるが、
「アルダープ! アルダープ!! 良い声だよアルダープ! ヒュー、ヒューッ!」
壊れた悪魔が、そんなバカな事を言ってくる。
「何をっ! 放せマクス! 止めろ! 痛い、止めてくれえっ!」
泣き叫ぶ私の声を聞き、長い付き合いだったこの悪魔が、初めてその顔に表情を見せた。
無機質だった能面の様な顔をぐにゃりと歪め、実に楽しそうに笑う。
それを見て、バニルが言った。
「フハハハ! マクスウェル、続きは地獄へ帰ってからやればよい。この男の貴公への代価は凄まじい量になっている。地獄へこの男を持ち帰り、ゆっくり代価を払わせるがいい」
痛みでぼうっとする頭でも、その言葉がとてつもない内容を含んでいる事に気が付いた。
「貴様がマクスウェルを使役してきた代価は、その契約に従い、マクスウェルの好む味の悪感情を、決まった年月分放ち続ける事になる。......フムフム。貴様随分と好き放題な生活をして、こやつを酷使したものだなぁ......。残りの寿命では到底払いきれるものではないぞ?」
仮面悪魔のその言葉に、私は背も凍るようなおぞ気を感じた。
腕の痛みもどこへやら、身体を震わせ、必死に悪魔に呼びかける。
「わ、分かった! 今まで酷使して悪かった! こうしよう! まず、ワシの莫大な」
「資産ならば、マクスウェルが地獄に帰る事により、貴様は様々な悪事が全てバレ、全財産を没収される。それはダスティネス家に管理され......。調子に乗って全財産はたくんじゃなかった本当に身体で払わせてやろうかあの女、と現在自宅で悶々と悩む男や、街や国へと返還される事になる。見通す悪魔、バニルが宣言しよう。貴様はもはや無一文である」
それを聞いて、カタカタと歯を合わせ、泡を吹きそうになる。
私が貯めた資産が全て......!
「そ......」
「それなら、家の者を何人でもワシの代わりに連れて行っていいから、だと? 残念、支払い義務は契約者にのみ請求される! ......おっと、せっかくの悪感情であるが、その絶望の悪感情は我輩の好みではないな。その感情はマクスウェルの好みの味だ」
それを聞き、いよいよ身体の震えが止まらなくなる。
「ま、まま、マクス......、マクス......! わ、ワシはお前に色々と酷い事を......。酷い事をしてしまった。頼む、助けてはくれんか? 見逃してくれ、ワシはああ見えて、お前の事が嫌いではなかったのだよ......! 本当だ! なあ、頼むマクス!」
その言葉を聞きながら、バニルはニヤニヤと笑ったまま、なぜか私の噓を訂正しようとはしなかった。
私の腕を握っていた、マクスの手が離される。
私は、そのままペタンと地に座り込んだ。
その行動に、ほんの僅かな希望を抱き、恐る恐るマクスを見上げた。
マクスは楽しそうに笑っていた。
それは、とても無邪気な笑顔。
ずっと無表情だったこの悪魔は、純粋な子供の様な笑顔を見せていた。
「アルダープ! アルダープ! 僕もだよ! 僕も、君が好きだよアルダープ!」
バニルは、一体何がおかしいのか、私の様子をニヤニヤと笑って見ている。
長い付き合いのある壊れた悪魔は、その顔を紅潮させてなおも続ける。
「アルダープ! アルダープ! 君が好きだよアルダープ! 地獄に連れて帰ったら、僕が傍にいてあげるよアルダープ! ずっとずっと、君の絶望を味わわせてよアルダープ!」
ああ、そうか。
この悪魔をどうしても好きになれない理由はここにあったのだ。
私はずっと、この悪魔の隠し持った本性に、心の底で恐怖を抱いていたのだろう。
今はもう、目の前で笑顔を浮かべるコイツの事が、恐ろしくて仕方がない。
──ああ、どうか。
「おっと、両想いであるなアルダープ。マクスウェルは献身的に尽くすタイプだ、四六時中貴様を嬲ってくれるぞ! フハハハハハハ! フハハハハハハハ!」
どうか、せめてこの壊れた悪魔が、私を嬲るのにすぐ飽きて、楽に死なせてくれますよう......。
私は、仮面悪魔の笑い声を聞きながら、生まれて初めて神に祈った。
「大事にするよアルダープ! 攫った少女を嬲った後、簡単に捨てていた君とは違い、僕は君が壊れない様、ずっとずっと大事にするから! ヒューッ、ヒューッ! ヒューッ、ヒューッ!!」
それは、ダクネスを拉致って来た次の日の朝の事。
「領主が失踪?」
朝一で屋敷に来たダクネスの言葉に、自分の耳を疑っていた。
あのララティーナララティーナ言ってたおっさんが、なぜいきなりいなくなるんだ?
「ああ、使用人達が探しても、姿が見当たらないそうだ」
そのダクネスの言葉に、俺は首を傾げていた。
てっきり、朝になったら領主の私兵が家に来ると思って準備していたのだが。
「なぜか今日になって、突然あちこちで領主の不正や悪事の証拠がこれでもかと湧いて出てな。王都でアイリス様に体を入れ替える神器を贈ったのも、どうも領主であったらしい。領主は、それらの発覚を押さえ込む事が出来なくなったため夜逃げしたのではと言われている」
──なるほど。
「......そんなわけで、もう夜逃げをする必要はないから、その荷物を置くといい」
俺は呆れた様なダクネスの言葉に、背負っていた荷物を降ろした。
後ろにいためぐみんとアクアも、それぞれ抱いていた荷物を降ろす。
色々なほとぼりが冷めるまで、どこか遠くで畑でも耕そうという事になっていたのだが。
「まあ、それなら良かったな。......って、どうしたんだよダクネス、早く中に入れよ」
俺は玄関先で立ったまま、屋敷に入ろうとしないダクネスを促すが......。
だがダクネスは、思い詰めた顔で動かない。
「どうしたんですか、ダクネス? 何かありましたか?」
めぐみんの問い掛けに、アクアが『あっ!』と声を上げた。
「そっか、めぐみんは最初から教会にいたわけじゃないから知らないのよね! 聞いて! ダクネスは、なんとカズマに買われちゃったのでした! カズマがダクネスの借金を肩代わりしたんだけどね。お前は俺の物になったんだから、その分を身体で払えって......! ダクネスは、カズマに何をされるか分かんないから怖くて中に入れないのね?」
「......は?」
「おい、ちょっと話をしようぜ。おかしい、色々とおかしい。いや、言ってる事は間違ってはいないが色々おかしい、お前は言い方が悪い!」
めぐみんが目を紅く輝かせ、俺にゴミでも見る様な目を向ける中、ダクネスが首を振る。
「......いや、そうじゃない。カズマには確かに衆目の中、身体で払えだの、ド変態クルセイダーだのと言われたが......」
おっと、めぐみんが魔法を唱えようとしてるんですが。
ダクネスが、突然頭を下げた。
「すまない。今回は自分勝手な事をして、皆に迷惑を掛けた。......本当に、自分でもバカな事をしたと思っている。許して欲しい......」
それを見たアクアとめぐみんが、慌ててダクネスに駆け寄った。
「もういいじゃないですか、こうして無事に帰って来られたんですから。私は気にしてませんよ。カズマがちょろっと色々失いましたが、この男は小金を得ると働かなくなる習性を持っています。これで良かったんですよ」
「そうそう、むしろ、今回の事がなかったら私だってダクネスの家に行かなかったわけだしね。そうじゃなかったら、ダクネスのお父さんの呪いにだって気付かなかっただろうし! ......そうよ、あの呪いを掛けた犯人捜しをしないといけないわ! でも私は、あの仮面悪魔が呪いを掛けたんじゃないかと疑ってるんだけどね。私のくもりなきまなこで見た感じ、間違いないわ! お礼参りに行きましょう!」
ダクネスは二人の言葉を聞きながら、俺を真っ直ぐに見つめてきた。
「カズマには、本当に大きな借りが出来た。全てを投げ出して、金を作ってくれたと言っていたが......。カズマが私の代わりに払ってくれた金など、それらは全て、今すぐにではないが国から還付される。父が体調を回復し次第、領主から没収した財産を計算し、それらの補塡が行われるはずだ。だが......」
ダクネスが、顔を曇らせる。
「......だが、お前が売ってしまった知的財産は、もう戻ってこない。これからは商売をやって安全に生きていくと言っていたのに、お前の仕事が......」
そんな事か。
「その事ならもういいよ。料理スキルを覚えたから、屋台でも出して俺の国の料理を作り、小遣い稼ぎをしてみるのも......。......あれっ、ちょっと待ってくれ。金が返ってくるの?」
ハタと気付いた俺は真顔で聞き返す。
「ああ、返ってくる。今回用立てて貰った二十億。そして領主の屋敷の弁償の金や、建物を破壊した金も返ってくる。なにせ、この街を守る過程で発生した賠償金だからな。それらは本来、この地を預かる領主が補塡すべきものだ。......しかし、今になってよく考えてみれば、なぜ私はあんな素直に領主の言い分を受け入れ、ホイホイと金を払ったのか......。まるで催眠にでも掛けられていた気分だ。それに、なぜこんなに急に、次々と不正の証拠が出てきたのだろう......?」
ダクネスが、合点がいかぬとか言いながら首を傾げているがそれどころじゃない。
それどころじゃないって!
「二十......二十億だと......!?」
なんてこった、つまりはもう一生働かなくてすむわけで......!
......あれ、ちょっと待てよ。一日が二十四時間で、あのサービスが三時間で五千エリス。
二十億もあったら、俺、このまま一生自分の望む夢の世界で暮らす事も......?
そんな俺に、めぐみんとアクアがピタリと寄り添う。
「今日のカズマって、何だかアレよね。凄くアレだわ、イケメンよね。ねえカズマさん、私ゼル帝のための立派な小屋が欲しいんですけど!」
「ですね、アレな感じでイケメンですね、私は昔から思ってましたよ、カズマはイケメンだって。ちなみに私は魔法の威力を向上させる魔道具なんかが欲しいです」
「おっ、早速金の匂いを嗅ぎ付けてきたなビッチどもめ! ......ダクネス、どうした?」
そんな俺達三人を見ながら、ダクネスはまだ玄関先から動かなかった。
「まったく、もういいって。お前は今まで、俺達の後始末をコッソリ内緒でやってくれてたんだろ? 昨日は何勝手な事してんだって怒ったけどさ。そりゃ、やっぱちょっと嬉しかったよ。で、今回はその借りを返した。そんで、その金が全部返ってくる。もうそれで、昨日は全部何もなかったって事でいいじゃないか」
ぶっちゃけ、返ってくる予定の金の、額が額だからみみっちい事はどうでもいい。
正直、ここ最近ずっと家に籠もっていたので、例のサービスを予約して、宿屋の一番良い部屋借りて、一週間ほど外泊したい。
だがダクネスは、『何もなかった事に』という言葉を聞いて、その表情を曇らせた。
「それは......。私を買った、という言葉もなかった事に?」
ダクネスの言葉を聞いて、両脇にピタリとくっついていためぐみんとアクアが、至近距離でジッと俺の顔を見つめてくる。
......や、やめてください。
「勿論なかった事に! あれだよ、昨日あった出来事は、もう全部忘れようぜ!」
ダクネスが、それを聞きなおさら沈んだ表情を浮かべた。
......あれっ?
ひょっとして、あなたの物になりたかったみたいな、そんな、ダクネスなりの変わった愛の告白展開なのか?
俺のそんな期待をよそに、ダクネスは泣きそうな顔で俯いたまま。
「......その、手紙の事だが......。私をパーティーから外して欲しい、と書いた、あの手紙だが......」
......ああ、なるほど。ダクネスの中ではパーティーを抜けたつもりでいるのか。
で、昨日の件をなかった事にしたら、クルセイダーとして身体で払って貰うって言った件も、なかった事になるわけで......。
なあんだ、期待した。ったく、そんなの......。
「何言ってるんですか、ダクネスはウチの大事なクルセイダーなんですから。絶対に放しませんよ?」
「そうよ、今更何言っちゃってんの? ダクネスって、たまにバカなの? ダクネスの居場所なんてここしかないでしょう?」
......くそう、先に言われた。
だがダクネスは、胸の前で指をもにょつかせ、おどおどとした不安そうな顔で、上目遣いに俺を見上げる。
俺の口から聞かないと安心出来ないのだろう。
と、俺が口を開こうとしたその前に、ダクネスが先に言ってきた。
「そ、その! 私は、硬いだけが取り柄の、ロクに剣も当てられないクルセイダーだ......、です......。ですが、もう一度......。もう一度、私を仲間にしてもらえますか......?」
不安そうに慣れない敬語を使ってきたダクネスに、俺は苦笑しながら言った。
「当たり前だろ。......お帰り」
その言葉にダクネスは。
「......た、ただいまっ!!」
目尻に涙を溜めながら、安心した様に微笑んだ──
「──ねえカズマ。でも、本当はちょっと残念だったりしない? ダクネスに身体で払ってもらうってセリフ、あれってちょっとえっちな意味も含まれてたでしょ?」
空気を読まない事にかけては他に並ぶ者がいないアクアが、口元に手を当てながらニヤニヤと、突然そんな事を言い出した。
こいつ、なに言ってんの?
「そういえば、ダクネスは俺の所有物だと公衆の面前で宣言したんでしたっけ。なんですか? それって愛の告白のつもりなんですか? ゆんゆんに子作りしようと言われた時といい、王都ではアイリスに簡単に手懐けられた事といい今回といい、どれだけチョロいのですかこの男は。紅魔の里では一緒に寝ていた私に手を出そうとしたくせに、気が多すぎるでしょう。もっとしっかりしてください」
めぐみんまでもが、若干不機嫌そうな顔でそんな事を言ってくる。
......こいつもなにを言ってんの?
妬いてんのかなんなのか、お前こそ態度をハッキリしろと言いたい。
ハーレムアニメに出てくる女の子みたいに、もっと分かりやすくくっついてきて欲しい。
......と、ダクネスの様子がおかしくなった。
未だおどおどしながらも、何だか痴話喧嘩みたいになってきた俺とめぐみんの方をチラッ、チラッと覗いながら。
「......そ、そういえば私も、こないだカズマが屋敷に侵入してきた時、危うく一線を越えそうになったな......」
「「ええ!?」」
恥ずかしそうにしながらもなぜか余計な事を言ったダクネスに、アクアとめぐみんが驚きの声を上げた。
「お、おい、止めろよ......、マジで止めろよ......、あれは未遂だっただろ......」
弱々しい俺の声に、めぐみんとアクアが叫ぶ。
「「未遂!?」」
なんという墓穴。
「ねえカズマ、あなたって本当にバカなの? 私やめぐみんがダクネスを連れ戻そうと頑張ってた時に、あなたは何をしていたの?」
「カズマ、あなたはダクネスを連れ戻しに行ったのではなく、夜這いに行ったんですか!? 本当に見下げ果てますよこの男は! 一体何をやっているんですか!!」
何これ、紅魔の里でめぐみんにイタズラしかけたときはともかく、今回は俺、何も悪くないはずだぞ。
ダクネスは、恥ずかしそうにモジモジしながら。
「まあ夜這いといっても......。深夜に私の部屋に押し入り、叫ぼうとする私の口を塞いでベッドに押し倒し、抵抗する私の片手を封じてのしかかり......。激しく抵抗し、服がはだけた私のお腹をまさぐったぐらいだ」
「「えっ」」
「おい待ってくれ! いや、合ってる! 合ってるんだけれども!!」
「「!?」」
俺のその叫びを聞いて、めぐみんがスッと距離を取る。
「カズマがダクネスを性的な目で見ていたのは前から知っていましたが、まさか手当たり次第に手を出す男だとは見抜けませんでした。カズマの事は、ヘタレだけども意外と誠実なところもある人だと思っていたのに。私の時も、多少なりとも気があるとかそんな訳ではなく、ただやりたいだけみたいな感じだったのですね。きっと隣に女性が寝ていたら、誰でもいいのですねこの男は!!」
ちょっと待って欲しい、このままだと俺は最低の屑男だという烙印を押されてしまう。
そのめぐみんの言に弁解しようとする俺に、更にアクアが追撃を......!
「なんて事なの、私とカズマがまだ馬小屋で隣同士で寝ていた頃、このけだものは私の熟れた肢体を虎視眈々と狙っていたのね!」
「それだけはない」
「なんでよー!」
半泣きで首を絞めようとしてくるアクアの頭を片手で押さえる俺に、ダクネスは恥ずかしそうにしながらも、勝ち誇った様にニヤニヤしていた。
この女は、どうやら以前の夜這い未遂事件の時、俺がダクネスの声色で実家の連中に色々やらかした事への仕返しをする気らしい。
俺が困り果てるそんな様子を、腕を組みながらニヤニヤと見ているダクネスに。
「............お前の方から、一緒に大人にならないかって誘ってきたくせに......」
俺は、そうボソリと呟いた。
「「!!」」
「ちちちち、違っー!? あれは領主のもとへ嫁にいくぐらいなら、それならもういっその事、と......!」
「認めた! ダクネスが自分から誘ったって認めたわ! なんという事でしょう! ......じゃあ私は、気を利かせてゼル帝の卵を持って公園でひなたぼっこしてくるわね!」
「ダクネスときたらとんだビッチではないですか! 悲劇のヒロインぶって何を色気出しているのです、心配して損しましたよ!」
「待っ......!? ちょ、ちょっと待って欲しい、待って欲しい!!」
めぐみんに、杖の先で頰をグリグリされていたダクネスは、恨めしそうに俺を見る。
どうやらこいつはまだやる気らしい。
俺は卵を愛でながらいそいそと出て行こうとしていたアクアを引き留め、ダクネスが落ち着くまでは言わないでおこうと思っていた事を、あえて今教えてやろうと思う。
「......なあアクア。ちょっと疑問に思ってたんだけどさ。この国の結婚って、入籍とかどうなってんの?」
突然違う話を始めた俺に。
「なあに、いきなり? まずは挙式の日の朝に、夫婦になりましたって入籍の書類を役所に出すの。それから、お昼頃から結婚......式......みたい......な......」
アクアは、俺の言いたい事に気付いたらしい。
途端に顔を引きつらせためぐみんも、同じくそれに気付いた様だ。
「......? 急にどうした?」
世事に疎いお嬢様だけが話に付いてこられていない。
めぐみんが、フォローでもする様に。
「さ、最近は、バツイチなんて珍しくもないですしね、ええ!」
その言葉でダクネスもようやく気付いた様で、ハッとして顔を上げる。
お嬢様なのにドM、処女なのにバツイチだとか、コイツはどれだけ属性を増やすつもりなのだろう。
「その......、これってどうなるのかしら? 式の最中にダクネスは攫われたわけだけど。次の日に相手が夜逃げって事は、むしろ世間は、ダクネスがあのおじさんに捨てられたって見るのかしら」
悪気はないアクアの言葉に、ダクネスがビクリと震えた。
そして、恐る恐る不安そうに、正面の俺の顔を見上げると......。
「まあ......籍ぐらいなんて事はないさ。気にするなよ......。............バツネス」
ダクネスが、ワッと泣いて背を向け逃げた。
「──とまあ、そんな事があったんだ。それからダクネスのヤツが、実家に引き籠もっちゃってさ。また、単身での侵入を計画してるんだよ」
アクセルの街の外れにある、こぢんまりとした喫茶店。
隠れ家的な店なのか、俺達以外に客はいない。
「キミってば、相変わらず鬼だよね。あんまりダクネスをいじめないでよ? あの子は強そうに見えて、実は結構繊細なんだからね?」
「分かった分かった。ていうか、クリスこそ今まで何してたんだ? 王都からここまで来るのにどれだけ時間掛けてるんだよ」
俺は今、王都から帰ってきたクリスに今回の騒動を説明していた。
クリスは困った様な表情で頰の傷跡をポリポリ搔くと。
「いやー、ちょっと色々忙しくてさ。一時はアクセルの街近くまで来てたんだけど、急遽呼び出しを受けちゃってね。色んな後始末を終えて、ようやくここに来たってワケ」
そう言って、テーブルの上にクタッと伸びた。
「呼び出しって、一体誰から呼ばれんの? 盗賊ギルド的な何かか?」
「うーん、まあその、人が死ぬと色々とね?」
「......葬儀屋のバイトでもやってんの?」
クリスはそれには答えず深々とため息を吐き。
「でもまさか、探してた神器が領主の屋敷にあっただなんてねえ......。以前領主の別邸に侵入した時は、アクアさんが持つ神器と混同しちゃったんだねー」
以前、クリスと共に王都で探していた二つの神器。
その内のもう一つが、領主の屋敷の地下室から見つかったらしい。
この街に帰ってきたクリスが早速それを回収してきたそうな。
神器の効果は、ランダムに召喚したモンスターを使役する事が出来るというもの。
領主のおっさんは、そんな物で何をしようとしたのだろう?
ひとしきり説明を聞き終わったクリスは、冷めたコーヒーを飲み干すと。
「何にしてもめでたしめでたしだね。ダクネスを助けてくれてありがとうね、助手君」
「良いって事ですよ、お頭」
そう言って、俺達は笑い合った。
「はあ......。それにしても、他の神器の回収がまだなんだよね。......ねえ助手君、キミってさ......」
「先に言っとくと忙しいですよ」
俺に先手を打たれたクリスは、頰を膨らませてじろりと睨む。
「バイト料を......」
「金には困ってないなあ」
クリスは困った様に頰の傷跡をポリポリ搔くと。
「もう、しょうがないなあ。またその内手伝わせるからね?」
そう言って、柔らかな笑みを浮かべ立ち上がり......。
......あれ?
何か、今の笑い方と、困った時頰を搔く癖にちょっとした違和感が。
というか、つい最近、どこかで見覚えがある様な......。
以前から、ちょっとだけ気にはなっていた。
というのもクリスは、ダクネスやめぐみんは呼び捨てなのに、アクアだけはさん付けするのだ。
そして何より、あの人と名前が似ていた。
髪の色だってあの人と同じだし、目の色だってやっぱり同じだ。
そして逆にあの人は、アクアの事は先輩と呼び、めぐみんに対してはさんを付ける。
だがダクネスの事だけ呼び捨てにするのだ。
それは、ひょっとしてあの人にとって、ダクネスが親友だからじゃないのだろうか。
──それは、ほんのイタズラ心からだった。
椅子から立ち上がり、俺に向かってじゃあねと手を振るクリスに向けて。
「そういえばエリス様。領主から回収した神器って、どこに持ってったんですか?」
「ああ、アレですか? アレならヒュドラが眠っていた湖の底に、封印を施して隠してありま......」
クリス......。
──いや、女神エリスは。
いつも通りの柔らかい笑顔を浮かべたまま、俺の前で固まっていた。
あとがき
ひよこの選別が出来る小説書き、暁なつめです。
アニメ化です。
アニメ化だそうです!
というわけで、アレとかコレとかソレとか色々とご報告したい事があるのですが、その辺はまとめてザ・スニーカーWEBの方を見てください。
丸投げじゃないです、あとがきに書ける文量も限られているので仕方なくなんです、優先順位というものがあるのでごめんなさい!
というわけで、そのとても大事な近況報告を。
なんと、読者様から頂いたファンレターが4通目になりましたひゃっほう!
「わざわざ数えてんの? きもい!」とか言われそうですが、大事に保管しているので簡単に数えられるだけです。
頂いたファンレターを大切に保管しニマニマするのは、多分ほとんどの作家さんが持っている習性だと信じております。
申し訳ない事に、いまだ返事を出せていないのですが。
というか、仮にも「文筆業」をお仕事にしている人間が、ファンレターをくれた読者さんより字が汚いという笑えない状況なので、もうちょっと上達するまでお待ちください。
現在、書道家が主人公の有名マンガを読んでいるので上達するのも間もなくだと思います。
アレとかコレよりも先に書く事がそれかよと言われそうなのでもうひとつ。
つい最近、埼玉なつめになりました!
要するに引っ越しました。
仕事が見つかって自宅警備兵じゃなくなったのならそろそろ家を出ろと親に追い出されたわけじゃないです、引っ越しといっても短期的なものなので、ちゃんと実家に舞い戻り引き籠もる予定です。
読者さんが気になりそうなアニメ情報を削ってまで書く事がそれかとそろそろ怒られそうなので、ちゃんとした宣伝なども。
『この素晴らしい世界に爆焰を!』とは別作品となるスピンオフが、ザ・スニーカーWEBの方で短期連載予定です。
今回の主人公は儲からない魔道具店のバイトなアイツです。
流れ的には、一癖も二癖もある街の人達の相談に乗ってなんやかんやする話となります。
ぼっちな子に悪友が出来たり、どこかのニートに水戸黄門の話を聞かされ影響を受けたとあるお姫様が、目を輝かせながらそれを真似てみたりなど、普段スポットが当てられないキャラが活躍予定ですので、そちらの方もぜひご覧頂ければ。
──というわけで今巻も、三嶋くろね先生や担当さんをはじめ、本当に色んな方々のおかげで無事刊行出来た事にお礼を。
そして何より、この本を手に取ってくれた読者様に。
あらためて、深く感謝を!
暁 なつめ
『たまにはお礼を言いたくて』
『おっ! 夏だからといって相変わらずエロい格好しやがって。誘ってんのか?』
屋敷に帰って開口一番の俺の言葉に、薄着でウロウロしていたダクネスが固まった。
「お、おお、お前は何を言っている!? 帰ってくるなりいきなり何だ! 暑いのだから仕方ないだろう、別にお前を誘っている訳では......!」
『とか何とか言っちゃって、本当はちょっと期待してるんだろ』
「ッ!? どうした!? 今日のお前はどうしたんだ!?」
そんな俺達のやり取りを聞いて、アクアとボードゲームをしていためぐみんがポカンと口を開けている。
「い、いきなり何なのですかカズマ、いつもセクハラが多いカズマですが、今日はストレートにもほどがありますよ?」
俺はそんなめぐみんを一瞥し。
『めぐみんはワンピースか。男前な性格のめぐみんなら、潔い格好をしろよ全裸とか』
「本当にどうしたのですかこの男は!? いきなり何を口走っているのですか!?」
腕を組んでうんうん唸っているアクアを前に、めぐみんが慌てて言ってくる。
『いや、実はな......?』
「「──思考が漏れる魔道具?」」
『ああ。なんかウィズに、新しい魔道具の試着をお願いされたんだよ。夏場って事で薄着になったウィズに上目遣いで頼まれて、大喜びで引き受けてきた』
つまりはそういう事だった。
現在俺の頭の上には、ウィズに渡された帽子が載っている。
「あ、あの、引き受けてきた経緯までは聞きたくは......。いえ、心の声が漏れるのでしたね。しかしウィズは、なぜそんな魔道具を作ったのでしょうか......?」
『何でも、これがあればモンスターや動物との会話ですら可能になるのではってコンセプトで開発したみたいだな。ちなみにウィズは動物にも使えるか試しに行った。知り合いの肉牛農家のおじさんのとこに持っていくそうだ』
「どうしてウィズを止めなかったのですか、牛農家のおじさんが働けなくなりますよ!?」
と、俺はボードゲームを前に唸ったまま動かないアクアに目がいった。
俺は何となく、被っていた帽子をアクアの頭に載っけてみる。
『どうしたものかしら。こっちの駒をここに置くと、きっと性悪なめぐみんの事だもの、そっちの駒を狙ってくるに違いないわ。本当にどうしたものかしら。一勝負につき晩のおかずが一品賭かってるっていうのにマズいわね。このままじゃ、晩ご飯がふりかけご飯になっちゃう。こんな事ならさっきのじゃんけん勝負だけにしとけば良かったわ。アレなら、さっきみたいにまたこっそりブレッシングの魔法を唱えればどうにかなったのに』
俺達の頭に響いてきたアクアの声を聞き、めぐみんがアクアへと襲い掛かった。
「ちょっ、何よめぐみん、どうしたの!? 盤面がぐちゃぐちゃになっちゃったじゃない! あっ、これはもうアレね、この勝負は無効ね! 晩ご飯までにもう一回ボードゲームで勝負する時間は無いから、ここはもう一回じゃんけん勝負で許してあげるわ!!」
『いきなりびっくりしたけど、これは好機ね! 暑さでイライラしてたのかしら。ダクネス並みの気の短さを持つめぐみんで助かったわ!』
「私の事をそんな風に思っていたのですか!? 私は冷静が売りのアークウィザードです、ダクネスとは違いますよ!!」
「待て、私はそんなに短気では......! アクアもめぐみんも、普段私の事をどう思っているんだ!」
俺はアクアの頭からひょいと帽子を取り上げそれを被る。
『まあこんな性能を持つ魔道具って訳だ。......おっ疑わしそうな目をしてるなおっぱい女。じゃあ次は、お前がこれ被ってみろよ』
「お、おっぱい女!? 貴様、普段私の事を心の中でそう呼んでいるのか!? や、止めろ! そんな物被りたくない、それはお前が着けていろ!」
『ちっ、これ被らせて日頃の自慰行為回数でも聞いてやろうと思ったのに』
「き、貴族の娘は自慰行為など、そんなはしたない真似は決してしない! ああっ、止めろ! 本当だ、噓じゃ無い! 噓じゃ無いから、それを持ってにじり寄るな!!」
俺とダクネスを眺めながら、めぐみんが呆れた様に息を吐く。
「まったく......。その魔道具は世に出さない方が良さそうですね。カズマ、それはもう外してください。そしてウィズには、その旨を伝えるべきです」
「しょうがないな。まあ、俺もこいつのせいで道行く女の人達に冷ややかな目で見られた訳だし。おかげで、しばらくこの辺りを歩けなくなったよ」
「何考えながら帰ってきたんですか。今頃警察が見回りしていないでしょうね?」
俺は脱いだ帽子を片手に、伸びをしながら台所に向かう。
「ところでアクア、さっきのじゃんけん勝負は無効ですよ。こっそりブレッシングの魔法を使って運を上昇させてのじゃんけんなど、ズルもいいところです。さあ、先ほどのじゃんけん勝負の分も合わせて、もう一度勝負です!」
「ど、どうして知ってるの!? じゃないわ、何よそれ言い掛かりよ、証拠! そう、私がこっそり魔法を使った証拠を出しなさいな!」
「アクア、諦めろ。今日のお前の食事はふりかけご飯だ」
「何でよー!」
広間からの騒がしい声を聞きながら、俺は晩飯の用意をしようと、テーブルの上に置いてあった酒瓶に持っていた帽子をポンと掛けると......。
『いつもお墓のお掃除と、冒険話をありがとうね!』
突然のその声に、俺はバッと帽子を振り向く。
「今の何だ? ......気のせいか? いやでも、結構ハッキリ聞こえた様な......?」
と、広間の方からアクアの泣き声が聞こえてきた。
「カズマさーん、カズマさーん!! 二人が酷いの! ねえ、お願いだから今日のおかずは多めに作ってー!」
......しょうがねえなあ。
俺は、普段作るよりもおかずを一品多く作り──
カバー・口絵・本文イラスト/三嶋くろね
カバー・口絵・本文デザイン/百足屋ユウコ+ナカムラナナフシ(ムシカゴグラフィクス)
この素晴らしい世界に祝福を!7【電子特別版】
億千万の花嫁
暁 なつめ
平成27年9月1日 発行
(C) 2015 Natsume Akatsuki, Kurone Mishima
本電子書籍は下記にもとづいて制作しました
角川スニーカー文庫『この素晴らしい世界に祝福を!7 億千万の花嫁』
平成27年9月1日初版発行
発行者 三坂泰二
発 行 株式会社KADOKAWA
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